男へ感謝を伝えるための料理作戦は、逆に料理を教わってしまうという形で玉砕したが、とりあえず、翌日の朝は、見様見真似でスープを成功させた。

 男は何も言わなかったが、作り直すこともしなかったので、あたしは勝手に「美味しかったのだろう」と判断した。

 自分でも割と良い出来だったと思う。

 とはいえ、料理の手伝いくらいしかできることがなく、掃除をしようにもこの家は常に整理整頓されている。

 文化が違いすぎて、洗濯方法すらよくわからない。

 あたしは自分の無力さを強く感じている。


(役立たずのタダ飯ぐらいだと思われてるだろうな)


 まぁ、あの鉄面皮男がどう考えているかなど、想像するだけ無駄だろう。

 要は、自分が役立たずであることが許せないだけだった。


 男は随分早朝に出かけていっては、朝食の頃には帰ってくる。

 どうやら狩りに出ているらしく、昼には矢の手入れをしたり、剣を磨いたりしている。

 その間、あたしは本を読んで過ごす。

 本は、明らかに勉強を目的とした子供向けの内容のものが多く、おかげであたしはこの世界について、最低限の知識を得ることができた。

 どういう理窟なのかはわからないが、三日目を過ぎるとこの世界の文字に困ることはなくなり、日本語と変わらないスピードでスイスイと読めるようになった。


(なんでこんな子供向きの本がたくさんあるんだろう)

(物語もあるけど、子供向きに書かれてるっぽいんだよね)


 もしかして、あの男が勉強のために使っていたのだろうか。

 いや、夜の暇な時間にはいつも本をめくっているし、さすがにそれはないだろう。

 

 まぁ、そんなことはどうでもいいことだ。

 あたしは貪欲にこの世界のことを学びまくった。

 

 今いる国の名前は『ヴォリネッリ』。

 人間が住める北端ギリギリの国らしい。

 王が支配する絶対王政で、貴族が領地を治めるいわゆる君主制であるらしい。

 領地の名前までは分からなかった。

 貨幣単位は『ハスク』……1ハスクが円換算でどのくらいの価値なのかまではわからない。


 あたしは未だに君主制である事実に不安を覚えた。


(まぁ、元の世界でもイギリスには女王陛下が、日本にだって天皇陛下がおられるし……って絶対王政と立憲君主制とはまた違うか)

(……この世界じゃ、庶民の権利なんてあまり認められて無さそうだなぁ……しかもあたし女だし……)


 どうも、文化レベルだけでなく、政治も元の世界よりも何百年かは遅れているっぽい。

 自分なんかが、この世界で上手くやっていけるのだろうか。

 女が働けない世界だったらどうしようと思ったが、物語には仕事をしている女性がいくらでも出てくるので、その点は心配無さそうだ。

 一番不安なのは自分の経験値の低さだ。

 社会経験もバイトくらいしか無いし、それだって父親の知人の居酒屋の手伝いなので、自分で仕事を見つけた経験はまだない。

 正直な話、全く自信はない。


 窓の外を見る。

 今日の天気は悪くない。

 ならば、そろそろこの家を出るべきなのだろう。


 言葉が通じるかどうかはともかく、それはもう始めからそうする予定であったことだし、男もそのつもりでお金やら地図やらを用意してくれていたのだ。

 いつまでも男の好意に甘えるわけにも行くまい。


(よし)

(明日にはこの家を出ていこう)


 そう決めると、心が少し軽くなる。

 街とやらに、自分に仕事があるかはわからない。

 もしかすると、ここで何か手伝いをさせてもらいながら生活をするほうが安全かもしれない。

 でも、未知の世界に対しての期待も確かにあって、「言葉さえ通じるならなんとかなるだろう」という楽観的な気持ちになっていた。

 ただのやけくそだった。


 * * *

 

 きちんとお礼を言って、ここを出よう。

 そして、いつか独り立ちできたら、きちんとお礼をしに来よう。


 そう思っていたのに。


(また吹雪いてるんだよな)


 せっかく決心していたのに、天気が悪くなってしまった。

 駅とやらは丸一日歩く距離だという。

 これでは行き着く前に死んでしまいかねない。


(仕方ない、もう少しここで厄介になるか)


 そんな事を考えながら、朝食を作り終わると、外から男が帰ってくる。

 安定感のある独特の足音と、玄関脇に狩りの道具を置く音で、男が帰ってきたことはすぐわかる。

 いつもなら、すぐに手を洗って食事が始まるところなのだが、男は家の外でなにやらやっていて、なかなか家に入ってこない。


(どうしたんだろう)


 もしなにかしてるなら、自分にも手伝えることかもしれない。

 そう思って玄関から外に出ると、雪に点々と血の跡があった。


(まさか、怪我をした?!)


 軽い吹雪の中、慌てて血の痕を追うと、離れのような小屋に続いていた。


(こんな小屋があったのか)


 これまで、野獣が怖くて、家の外を見て回ったりしたことがなかったのだ。

 もしかすると、この小屋と風呂だけでなく、他にもなにかあるかもしれない。


 血の跡を追って、小屋の中を除くと、男は鎖で何かを天井に吊るしていた。


(何だろう、何かの獣を吊るしてる?)


 パッと見、人間の赤ん坊にも似たフォルムの(一瞬悲鳴を上げかけた)生皮を剥がれた小動物が、小屋のテーブルにいくつも積まれている。

 その横には真っ白の毛皮。


(ウサギ!)

(角があるけど!)


 男はあたしの存在に気づいているのかいないのか、せっせと肉を解体している。

 その作業はグロくてあまりじっと見ていたいものではない。

 小屋を見回すと、大きな壺(おそらく塩漬けの肉が入っているのだろう)や、天井から吊るされた干し肉、瓶詰め、缶詰(缶があるのは意外だった)などが棚に並んでいる。

 あとは、何に使うのか、たくさんの白樺の枝が吊るされている。


(どうやら食材庫らしい)

(随分きっちりと整頓されている)


 感心して見ていると、男は手を拭き、ウサギ肉と芋を数個手に取り、小屋を出た。

 相変わらずあたしのことは目に入らないようだ。


 獣の死体が吊るされている猟奇的な空間に置き去りにされて、あたしは慌てて後を追う。

 小屋の扉をあけっぱなしにしたら、きっと害獣に荒らされるだろう。

 きっちりと閂をかけて、男を追いかける。


 家に入ると、すでに男が料理を始めていた。

 今日の朝食はまだ準備が済んでいないのだけど、とりあえず黙って男の様子を見守る。


 芋は器用に皮を剥かれ、小鍋の中で茹でられる。

 うさぎ肉は骨を外され、一口大に切り分け、塩とハーブをふりかけて皿に置かれている。

 野菜を刻んで、塩漬けの脂身で炒めているのはいつものスープの仕込みだろう。

 スープ鍋を薪ストーブに移すと、フライパンを温め、脂とにんにくを入れて軽く炒め、ウサギ肉を並べる。


(うわぁ、ものすごくいい匂いがする……!)


 肉を焼いている横で、茹でていた芋の水を切り、塩とハーブ、白っぽいラードのようなものを放り込んで鍋を揺すると、芋の水分が飛んで、香ばしい香りを放ち始める。

 ウサギ肉は皿(ちゃんと2枚用意されていた)に置き、フライパンに残ったにんにくを潰し、何やら瓶に入った液体をふりかける。ワインに似た香りがするので、どうやらお酒らしい。


 皿の上には、芋(どう見ても粉吹き芋だ)と、ウサギ肉。そこにソースがかけられる。

 さらに瓶からジャムのようなものを匙で掬うと、皿の上でカツンと叩いて肉の横に添える。


 ……なんだか、随分とちゃんとした料理が出来上がった。


 男はうさぎ料理とスープを2人前テーブルに置き、そのまま食べ始めた。


(えっと……)


 なんだこれは。

 ちょっとしたレストランのような料理が出てきた。

 お上品というか、この世界に飛ばされる直前に食べそこねた料理を思い出させる見た目だった。


(食べていいんだよね?)


 いつも勝手に食べているがちょっと躊躇する。


「いただきます」


 声をかけて、肉を口に運ぶ。

 一言でいうと、やたら旨かった。


(こんな森の奥の小屋で食べる、野人が作った料理がこんなにもうまいとは)

(ちくしょう、なんだかやたら悔しいぜ)


 ウサギ肉は、鶏肉に似ていた。

 フランス料理っぽい見た目だが、ソースは焼き肉っぽい味がした。

 横に添えているジャムをどうしたものかと思って男を観察していると、男はウサギ肉にジャムを載せて食べている。


(……変わった文化だこと)


 とりあえず真似て食べてみるが、どう考えてもジャムはないほうがいいのではないだろうか。

 でも、なんとなく失礼に当たるような気がして、自分もジャムを付けながら食べる。


(まぁ、ジャム付きでもまずくはないんだけどさ)


 芋は、見た目通り粉吹き芋っぽい味で、ほんの少しチーズのような乳製品の香りがした。

 じゃがいもに似ているが、ちょっと違う気もする。


 スープやパンも遠慮なくいただく。

 どれもとても美味しくて、あっという間に食べきってしまった。

 このところ、ずっとスープとパンだけだったので、久しぶりのちゃんとした食事だった。


(スープも美味しいし、飽きたりはしてないけど)


 肉料理らしい肉料理は久しぶりだ。

 大満足のブランチだった。


「ごちそうさまです、とても美味しかったです」


 男にお礼を言うが、もちろんいつもどおり返事はなし。

 おそらく、これは男にとって、たまの贅沢なのだろう。

 役立たずの居候が、ご相伴にあずかったわけだ。

 あたしのことなんて無視して自分だけ食べたって良かったのに。

 スープとパンが与えられているだけでも十分贅沢だと思っていたのだ。


 何となく、このままじゃいけない気がした。

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