目が覚めると、体中がバキバキになっていた。

 目覚ましが鳴らなかったことを不審に思いながら、毛布から顔を出す。


(あー……夢じゃなかったか)


 一気に現実に引き戻される。

 昨日の晩、緊張しつつも、疲労困憊だったせいであっという間に眠りについてしまったが、目が冷めたら元の世界に戻っているんじゃないかという漠然とした期待があった。

 夢のひとつも見なかったが、起きて、みすぼらしい小屋にいる自分を自覚してがっかりする。

 ドアを見ると、昨日立て掛けた薪がそのままだった。


(どうやら寝てる間になにかされたりはしなかったらしい)


 命の恩人に対してこんなことを考えるのは失礼だと自分でも思うが、あの男の風体と態度を思えば、信頼できないのはあたしの責任ばかりではないだろう。

 とりあえず身体を起こすが、制服のままで寝てしまったことを後悔する。

 髪の毛もボサボサだし、汗やらなんやらで気持ちが悪い。


 靴を履いて、薪をどけ、恐る恐るドアを開けると、すでに男は起きていて、昨日と同じ席で茶らしきものを啜っている。


「あの、おはようございます」


 挨拶をするも、何の反応もない。


(相変わらずの無視ね)

(不愉快だけども仕方がない)


 そもそも、自分はこの男にとって歓迎できない迷惑な客なのだ。

 贅沢を言える立場ではない。あたしにもそのくらいはわかる。

 しかも、


「あっ」


 見れば、テーブルの上には、朝食らしきものが置いてあるではないか。


(朝ごはんだ!)


 心の中で男の態度に文句を言ってた自分が恥ずかしくなった。


 皿の上には、何やらチーズのようなものが置いてあるばかりだ。

 どうやらこの男は「好きにしろ」と言っているらしい。

 というのも、パンにはナイフが突き刺さったままだし、昨晩と同じスープ皿がおいてあって、その上には木製のお玉が置いてある。

 薪ストーブにはスープが湯気を立てている。

 つまり、どう考えてもこれは。


(パンは自分で切れ、スープも自分で装えってことね)


 遠慮するのも馬鹿らしいので、ありがたく頂戴する。

 スープは、ネギらしきものが煮込まれたシンプルなものだったが、やけに美味しく感じた。

 しかし、世話になりっぱなしでいいものだろうか。


 モソモソとパンとチーズをかじっていると、外から「ビョオ」と風の音がする。


(困ったな、今日はお礼を言ってから、歩いて「駅」とやらに向かう予定だったのに)


 なんとなく、この天候の中出かけたら、駅に辿り着く前に死んでしまうような気がする。

 それに、言葉でお礼をしたところで、恩を返したことにはならないのではないか。


(男があたしを襲う気はないようだし)


 チラリと男を見るが、男は難しい顔をしながら、何やら本を読んでいる。

 男の巨体に対して、本がミニチュアのように小さく見える。

 野獣のような男に本はあまり似合わないが、そういえば自分のあてがわれた部屋にも本棚はあった。


 この世界に迷い込んで、とにかく情報がない。


(読めるとは思わないけれど)


 もしかすると、この場所についての情報が何か手に入るかもしれない。


 男に「ごちそうさま」とお礼を言って、食器を下げる。

 洗い物くらいすべきだと思ったのだが、水道がない。


(どうやって洗うんだ?)


 わからないので、とりあえず男の分の食器も下げて重ねておく。

 キッチンはよく整頓されている。

 薪のコンロとオーブンは、絵本の挿絵のようだった。

 無骨な鉄鍋や、大きな二股フォーク、やけにゴツいナイフや、丸太のような俎板。

 籠には野菜らしきものが積まれているが、見覚えがない野菜ばかりだ。


(料理とかしてお礼をするといいかもしれないな)


 もう一度お礼を言って(もちろん返事はない)部屋に戻り、本箱を眺める。

 やはり、自分の記憶にはない文字だ。


(やっぱり、なんとなく意味がわかる)


 昨日の地図を見た時と同じだった。

 明らかに見覚えのない文字なのだが、なんとなく意味がわかるのだ。

 それは、中国語を見たときに、漢字の並びから意味を推理したり、英語の知識でフランス語を読もうとするような漠然としたものだったが、じっと見ているうちに、なんとなく意味がわかる。


(もしかして、あたし結構頭がいいのかも)


 などと思うが、よく考えてみれば、こんな楔形文字みたいなものを見て意味がわかるほうが変だ。

 どう考えても、なにか不思議な現象が起きているに違いない。


(でも、言葉が通じないみたいだしな)


 お礼を言っても、お詫びを述べても、男には何の反応もなかった。

 意味がわからないならわからないなりに、何か反応してくれればいいものを、完全なる無視なので、何がどれだけ通じてるのかさっぱりわからない。

 そういえば、初めて出会った時、何やら口にしていたが、ドイツ語っぽい擦過音多めの言語だったような気がする。


 一つ気になった本を見つけたので、取り出して、わからないなりにペラペラとめくっていく。


(ふぅん、これってカスティ語の教科書なのか)


 本の内容は、子供に向けられたこの国の言語の説明だった。

 日本なら、小学〜中学くらいの外国語教科書が近いだろうか。

 なぜこんなものがあるのだろうか。


 そして、そんなことがわかってしまうということは。

 うん、そろそろ認めないわけにはいかないだろう。


 東京のレストランからいきなり飛ばされてきた世界。

 角の生えた狼。

 見覚えのない妙な野菜たち。

 そして見覚えのないはずが何故か読めてしまう文字。


 どうやら、あたしは異世界に飛ばされてきたらしい。

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