第三章 フリアと狂気の魔法使い
腰を下ろしていたのにも関わらず、ぼくはバランスを崩して倒れてしまった。そんなぼくを横目に、イナは真剣な表情で立ち上がり、カーロもさっと弓に手を伸ばした。
空間が捻じ曲がったかのように見えた。一瞬視界が歪んだと思ったら、次の瞬間には異形の生物が目の前に姿を現していた。カーロがこぼす。
「フリアか。やっかいだな」
その生物は、上半身は人間の女性、下半身は蛇の姿をしていて、背中には巨大な翼が生えていた。美しいその顔を歪め、ケケケと薄気味悪い声を上げる。
「イナ、お前は下がってろ。行くぞ、ロイ」
ぼくはカーロの言葉を聞いていなかった。どうしても、その気味悪い生物の方に目が吸い寄せられてしまう。月の二つある世界、弓を使うのが妥当な世界、そして奇妙なモンスターのいる世界で、……もしかして、勇者がいる世界。
「フリア……」
イナがそう、ぽつりと呟いた。イナもまた、カーロの言葉を聞いていなかったのだ。
「お、おい、イナ。下がっていろと言っただろ!」
イナは一歩ずつ、前に進み出る。視線は前のフリアとか言う生物から離さない。カーロが慌ててイナを引き止めた。
「イナ! もう我を忘れないって言ったはずだ!」
イナはそれで一瞬、ちらりとカーロを見やる。ぼくはそのイナの顔を見て、息を呑んだ。先程までの、明るくはきはきした面影はその顔から見て取れない。代わりにぼうっとした表情、対して鋭い眼光。
カーロは舌打ちをして、何故だか弓を下ろした。
「ロイ、逃げるぞ」
「え……?」
ぼくはカーロとイナ、両方の姿を見比べる。当たり前のように周りのものを片付け始めるカーロと、反してフリアを睨みつけたまま動かないイナ。
「何をやってる、早くしろ」
「え、だって……」
「あいつがキレたときのこと、忘れたわけじゃないだろ。いいから早くしろ!」
カーロは一本の棒のようなものをこちらに向かって投げた。腕を上げてそれを受け止めると、見た目よりもずっしりと重い。焚火で照らしてみると、それは剣だった。ぼくはぎょっとして、それを放り出した。
「何やってるんだ!」
カーロの一喝が飛んでくる。同時に、フリアがその姿に似つかわしくない太い雄叫びを上げた。
ギアアアア!
そしてその大仰な翼で、まっすぐこっちに向かってくる!
逃げろ!
そんな声が自分の中で響く。ぼくは慌てて立ち上がろうとしたけれど、腰が抜けて、力が入らない。
ヒュン。何かが空を切る音がした。ぼくはひっと息を漏らして、身を竦める。フリアが悲鳴を上げたので恐る恐る顔を上げると、そのフリアの首筋から、一本の矢が突き出していた。
矢を射たカーロが、こっちを向く。竦んでいるぼくを見て、いぶかしげに眉をひそめ、焚火を踏み消した。
「あとはイナに任せればいい! 早く逃げるぞ!」
「わ、分かった……」
ぼくはよたよたと立ち上がり、カーロに従って逃げ出した。手には重い剣が一本。背後からはフリアの壮絶な悲鳴。腹の底から何かが込み上げてくる。ぼくは口元を押さえた。
目の前を走るカーロが足を止めた。それに倣って、ぼくも足を止めて膝をつく。手の中の剣に寄りかかって、ぜいぜいと息を吐いた。
イナを振り返ると、まだフリアと相対している。フリアは矢を引っこ抜き、すさまじい形相で唸っている所だった。両腕を高く掲げ、唐突にイナが叫んだ。
「雨」
その場違いな単語に、ぼくはまた別の意味でぎょっとする。あ、雨? しかしぼくが目を見張っている間に、暗雲がどこかから湧いて出て、フリアにシャワーを浴びせかけた。フリアは煩わしそうに雲を見上げたが、お構いなしなのか、問答無用に飛び上がってイナに襲い掛かった。
ぼくは思わず叫び声を上げそうになったが、イナはフリアをちらりと見て、また単語を発しただけだった。
「雷」
突然黒い雲の中が光って、稲妻がフリアに落ち、フリアは全身で身悶えしながらまたも耳をつんざくような悲鳴を上げた。続けて稲妻が何撃も襲い掛かり、フリアは簡単に地に落ちた。いくらかも経たないうちに、どこかから火がついてフリアは燃え始めた。
「危ないったらありゃしないぜ」
そばでカーロがため息をつく。
そしてイナは、どこかから鋭利な刃物を取り出し、フリアの上にかざした。ここからでもフリアの表情はよく見えた。フリアは目を引ん剥いている。イナは有無を言わさず、その凶器をフリアに向かって振り下ろした!
肉が裂ける音がして、赤黒い液体が飛び散――いや、噴き出した。正面に立つイナに容赦なく降りかかる。最悪の光景だ。イナは、返り血で真っ黒に染まりながら、幾度となく短剣を振り下ろす。フリアが悲鳴を上げる。
その姿は、何かを彷彿とさせた。すぐに分かった。まるで、兄ちゃんみたい。兄ちゃんが暴力をふるう、あの感じにそっくり――。
ぼくはイナの表情を見た。はっきりと、見た。イナは狂ったような笑みを浮かべながら、悶絶するフリアを見下ろしている。――笑顔だ、よりにもよって。
なんともいえない思いが再び込み上げてくる。ぼくは視線を落としたけれど、しかし、肉を貫く音は際限なく耳に届いた。昨夜の夕飯が喉の奥まで戻ってきて、そしてそれを止められず――ぼくは思い切り、吐いた。
それと同時に、だんだんと意識がぼやけてきた。傍に佇むカーロと、返り血を浴びながら気が触れたかのように笑うイナとが、すうっと遠くなっていく――。ぼくは自分の吐瀉物の上に、どうと倒れこんでいた。
***ツッコミ***
なろう系のテンプレって、「美少女」「美人」という肩書きをもつ登場人物多くないですか? なぜよりにもよって美形ばかりが主人公の周りに集まるのか……しかも揃いもそろって主人公に好意をもつ……理解に苦しみます。ってことで、今回の登場人物は『二十代の女性』です。それ以上でも以下でもないです。まあキャラクターはちゃんと作っていますけど。ここからラブロマンスですか? もちろん始まりません。
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