第101話 情報の共有

 アレスたちが神殿の中に入っていくと、イルヴァールは暫しの休息とでも言わんばかりに首を降ろして微睡み始めた。その隣にいるロアは姿勢を崩さず、腰を下ろしたまま神殿の方を黙って見つめている。

 階段の上には二頭の巨大な龍。しかも純白と蒼銀というめずらしい体だ。彼らの来訪に魔道士たちが興味を示さないはずがなく、魔力に乗せた視線の気配がさっきからずっとイルヴァールたちに伝わってくる。そのほとんどは魔法都市と隣接する魔法学院の方からだ。


「騒がしいな」

「……それは仕方のないことだ。あなたは伝説であり、龍の王でもあるのだから」


 イルヴァールが疲れたように溜息をこぼした。気怠げに翼の一枚を持ち上げて軽く羽ばたかせると、辺りに漂っていた無数の魔力の気配が吹き飛ばされていく。


「龍の王か。……しかし、その私でもおぬしのような竜は見たことがない。ロア。おぬしは一体どこからきた?」


 警戒心を隠しもしないイルヴァールの青い瞳を、静かに凪いだロアの金の瞳が受け止める。畏れも戸惑いもない、ある意味堂々としたロアの瞳の奥には強い忠誠心に似た光が宿っていた。

 それはイルヴァールがアレスを見るまなざしに近い。ロアもイルヴァールと同様に、主のために動く龍なのだと実感した。


 ロアの主。魔眼を持つ謎の男カイル。

 彼自身にヘルズゲートの気配は今のところ感じないが、それでもイルヴァールにとって真紅の瞳を持つ者はそれだけで警戒対象だ。


「話したくないのならば無理には聞かぬ。だが、ロア。わしらに牙を剥くな。アレスは謎だらけのおぬしとカイルを仲間と認めたのだ。あやつの信頼を裏切るな」

「それは私も同じだ。カイルを傷つけることは許さない。カイルは魔眼を持つが、闇ではない」

「……そうか。ならばもうわしから言うことは何もない」


 イルヴァールもロアも、自身の忠誠心に従って動く。進むべき道が同じ方向を向いているのなら脅威にはならないだろう。今は、まだ。


 最低限の注意だけは怠らぬようにして、イルヴァールは再び体を横たえて暫しの休息を再開した。



 ***



「散らかっていて申し訳ない。会議中だったものでな」


 パルシスが軽く指を動かすと、机の上に広げられていた資料がひとりでに集まっていく。ちらりと見えた資料には「呪眠」の文字が刻まれていた。


「重要なのは話が外に漏れないことだ」

「それは大丈夫じゃ。ここにはわしら賢者の張った結界に守られている。大声を出しても外には何も聞こえまいよ」


 それは逆を言えばここで襲われても誰にも気付かれないということではないか。部屋の奥へ進むのを躊躇していたカイルだったが、アレスに視線で「そばに来い」と促されれば逆らうこともできず、渋々と彼の後に従った。

 万が一なにかが起こっても、アレスならば結界を破ることは容易いだろう。結界が破れればロアを呼べる。アレスの力に頼るのは癪だが、ここには神聖な賢者の力以外のものが密かに息を潜めている。

 神殿の入口で聞いた魔犬の声は未だ脳にへばり付いていて落ち着かない。カイルは何が起こってもいいように神経を尖らせたまま、アレスの背後で賢者たちの話に耳を傾けることにした――のだが。


「それは部外者にも聞かせていい話?」


 アレスが話し始める前に、その言葉を遮ったのはカミュだった。子供の姿には似つかわしくない、ひどく冷めた鋭利な視線が向けられた先にいるのはカイルだ。

 あからさまな侮蔑のまなざしにカイルの表情が歪む。カイルだって望んでここにいるわけではない。成り行きであると自覚しているからこそ、カミュの言葉は余計に深く胸を抉った。


「俺は……っ」

「カイルはリシュレナと共に行動していた。闇の存在を一番近くで見てきている」


 言い返そうとするカイルを、アレスは軽く右手を挙げて制した。視線はカミュに向けたまま、静かに響く声音はけれど逆らうことを許さない強さを纏って響いてゆく。


「闇の存在?」

「そうだ。闇が膨張していることはわかっているんだろう? 各地を襲う呪眠もおそらくその一環だ。魔界跡に残る黒の魔力も少しずつ力を増してきている。その根源が魔界王ヴァレスなのかそうじゃないのかは現段階では判断しにくいが、ただひとつわかることがある」

「それは?」


 訊ねたパルシスへ視線を向けて、アレスははっきりとした声で告げた。


「闇に狙われているのはリシュレナだ」


 リシュレナが見るという恐ろしい夢。

 各地を襲う、原因不明の呪眠。

 伝説だったはずのアレスの出現と、世界を再び覆い尽くそうとしている闇の存在。

 それらがいまここで奇しくも重なり合い、時代の節目を迎えようとしてる。


 偶然か、必然か。

 ――否。

 そこに抗えない運命の力を感じて、パルシスはわずかな恐怖に体が震えるのを抑えられなかった。


「呪眠の報告は数ヶ月前に受けていたが、今になってもなお、その原因すら掴めていないのが現状じゃ。被害は各地に広まっておる。それを闇の仕業とするならば、よほど強大な闇であることは間違いないようじゃな」

「ヴァレスである可能性は高い」

「では、その魔界王にリシュレナが狙われていると? なぜじゃ」

「まだ推測だ。だが確かめる必要がある」


 不意に言葉を切って、アレスが背後のカイルを振り返った。重なり合う視線の意味を問う間もなく、次いで告げられた言葉にカイルは思わずぽかんと口を開けてしまった。


「俺とカイルは闇の正体を確かめに行く。もちろんリシュレナも連れて行くつもりだ」


 その後も、結局カイルは一言も口を挟めないまま話し合いは進んでいった。アレスの言葉に承諾したわけではないが、この場で蒸し返すほどカイルも子供ではない。反論は後でするとして、いまはおとなしく壁の染みにでもなっておこうと会議が終わるのを黙って待つことにした。


 四賢者の元に集まっていた各地の情報の中に目を引くものは特に無かったが、ここ数ヶ月で魔物による被害が急激に増加していた。呪眠の報告が届けられたのも同じ時期だ。そしてもうひとつ。リシュレナが時間魔法を修得し、成長する闇の夢を見るようになったのもこの頃だ。

 同じ闇が、裏で動き始めている。誰もがそう直感した。


「リシュレナを狙う闇は、これらの事件の裏で糸を引いていると考えて間違いないだろう。目的は単純に考えて、時間魔法だな」

「呪眠に関して、いくつか同じ情報が届いているよ。銀色の堕天使を見た……ってね。闇を操っているのはこの堕天使かもしれないね」


 カミュの言葉にアレスの体がかすかに震えたのを、カイルは見逃さなかった。けれど瞬きよりも早く平静を保ち、アレスは少しの動揺も見せずにカミュを真っ直ぐに見つめ返した。


「その可能性もあるだろうな。悪いが堕天使の件については、そっちで調べてくれないか?」

「それは構わんよ。して、アレスたちは次はどうするつもりじゃ? まさか、また魔界跡へ向かうつもりか?」

「いや。魔界跡の結界は、いまは安易に解けない状況にある。だから俺たちはまず、精霊界へ行こうと思っている。闇の力が増しているのなら、精霊たちは誰よりも早くそれに気付いているはずだ」


 精霊界オルディオ。

 三百年経った今でも、「時忘れの森」の奥深くに隠された神秘の国。

 蒼水晶のきらめく美しい国が、湖面に落ちる涼やかな波紋に揺らめいて消えていく。そんな幻を脳裏の奥に見て、アレスは何かに堪えるようにきゅっと瞼を閉じた。


「そうか。しかしことを急いては碌なことにならん。出立の準備はこちらで調えるゆえ、アレスたちはしばらくここで体を休めるといい」

「……そうだな。すまない、世話になる」


 パルシスが指を鳴らすと、何かが割れる小さな音がした。部屋を覆う結界が解除されたのだろう。しばらくしてから現れた魔道士のひとりに、パルシスがアレスたちの部屋の準備を指示している。その間にカミュはいつの間にか姿を消しており、短い会議はエヴァとヴィンセントが戻る間もなく終了した。



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