第69話 分かたれた道

 呼吸するのも忘れて、アレスはヴァレスを凝視していた。剣を握る手が震えている。告げられた真実に驚いているからではない。ヴァレスの言葉は乾いた大地に染み込む水のように、何の躊躇いもなくアレスの心に響いてくる。

 心のどこかで、エルティナとレティシアを繋ぐ何かがあることは感じていた。ならばこの止まらない震えは何に対してなのか。


 恐れだ。

 レティシアを失うかもしれないという恐れが、明かされた真実よりも重くアレスにのし掛かる。


 ヴァレスはエルティナの体と魂をもって、完全な復活を望んでいる。その過程で、エルティナの魂を血に宿すレティシアは、当然邪魔になる存在だ。ならばエルティナの魂を目覚めさせなければいいと思うのに、淡い期待は続くヴァレスの言葉によってあっけなく砕かれてしまった。


「レティシアの血に宿るエルティナの魂が、どうやって覚醒するか知っているか?」


 ロッドの足元に散らばった、今はもうただの鏡の破片を指差してヴァレスが笑う。


「エルティナの体を前に共鳴した魂の記憶が血の中から集結し、形を成したものが月の涙鏡るいきょうだ。それを割ることでエルティナの記憶は強制的によみがえり、目覚めたエルティナの魂はレティシアの魂と同化する」


 その話が本当なら、エルティナの魂を求めていたヴァレスは容赦なくレティシアを狙うだろう。実際にレティシアは天界から逃げ、片翼をもがれて自由を奪われ、今はヴァレスの手の内にある。

 けれどどんなにひどい怪我を負っても、ヴァレスはレティシアの命そのものを奪うことはしなかった。レティシアの魂が必要だと知っていたからだ。エルティナの魂が血に宿るのなら、レティシアは生かしておかなければ意味がない。


 ならばラスティーンはなぜ、それを知っていてエルティナの魂を求めたのか。アレスたちを騙していたことに変わりはないが、その目的はアレスと同じく世界を救うことだ。エルティナの魂を復活させてしまえば、その目的からは遠く離れてしまうのではないか。


『結晶石を、エルティナの魂ごと消滅させる』


 唐突に、龍のゆりかごで見た夢がよみがえった。

 月下大戦の終幕。ヴァレスから結晶石を奪ったラスティーンが放った言葉に、アレスは彼女の真の目的を知る。


 結晶石を砕けば、内包された力が爆発して世界が滅ぶ。

 神界人、後に天界人の女性に受け継がれてきた結晶石は、レティシアの代で封印が解ける。

 月の涙鏡るいきょうは砕かれ、レティシアに同化したエルティナの魂。


『結晶石を、エルティナの魂ごと消滅させる』


 ラスティーンはレティシアをとし、封印が完全に解ける前に、エルティナの魂もろとも消し去るつもりなのだ。


「……ラスティーン……っ」


 ともすれば今すぐ飛びかかってしまいそうな体を、右手に持った剣を強く握りしめることで必死に抑えながら、アレスがラスティーンを睥睨へいげいした。ラスティーンに向ける殺気と憤怒は、ヴァレスに向けるものと同じだ。アレスが真実へ辿り着いたことをその怒りから察しているはずなのに、ラスティーンの眼差しは変わることなく無感情に凪いでいる。それが余計に苛立たしい。


「世界を救うには、エルティナの魂と同化したレティシアの死が必要だ」

「……貴様っ」

「私はずっと待っていた。この血にエルティナの魂を閉じ込めた、バルザックの封印が弱まる時を。結晶石は単体では壊せない。石がとする器が必要だ。だからバルザックの封印が弱まる時期に合わせて、結晶石の封印も解けるようにした。封印が完全に解ける前に石を砕けば、結晶石はレティシアと言うのみを壊して消滅する。エルティナの魂と共に。――その運命に選ばれたのが、レティシアなのだ」


 何の感情も見えない口調で、ぬけぬけと運命だと言ってのける。そうなるように仕向けたのはラスティーン本人であるというのに。

 吐き気がした。レティシアを道具として切り捨てることに躊躇いのないラスティーンにも、エルティナの復活という妄執に囚われているヴァレスにも。


「……――そうか。お前もレティシアを殺すのか」


 世界を守るため、レティシアという生贄を欲している。自分たちを謀り、真実を伏せて、後戻りのできないところまで来たところで、すべてを白日の下にさらし逃げ場を奪う。

 最初に打ち明けてくれたのなら、他の方法を模索することもできたのかもしれない。けれど裏切られた今では、そんな思いも露と消える。


「天界人は結晶石を守る義務がある。レティシアも己の使命をまっとうするだけだ」

「それはお前の言い訳だ。あいつの生き方はあいつにしか決められない!」


 レティシアを犠牲にすることはできない。レティシアの命で成り立つ世界になど、アレスにとっては意味がない。それが個人的な感情からくるものだということは、嫌というほど理解していた。

 けれどラスティーンもヴァレスも自分勝手に動くのなら、アレスだって自分の望みを叶えるために動かせてもらう。


「俺は俺のやり方で世界を救う。レティシアを殺させやしない」


 そう言い捨てると、アレスは眼前のラスティーンとイルヴァールへ背を向けてロッドの元へ降りていく。背後で翼の羽ばたく音がして見上げれば、イルヴァールが迷いのある眼差しを向けてアレスをじっと見つめていた。


 イルヴァールに対して思うところがないわけではない。微睡みの蒼湖水エルスフォーリアで目覚めた時は、まだラスティーンと目的を共にしていたと思う。けれどいまイルヴァールが迷っていることも、手に取るようにわかるのだ。

 ラスティーンに向けて告げた言葉にも嘘はないのだろう。ここまで共に行動し、イルヴァールは二人の主が進む道の違いに苦悩していたに違いない。竜の声を聞くことができるアレスだからこそ、イルヴァールの心の揺らぎが嘘ではないと感じられるのだ。


 なれど、裏切られたことは事実。

 アレスはイルヴァールに対して、かける言葉を見つけられなかった。


「そうだ。レティシアは生かしておかねば意味がない。今はまだ、な」


 出口へ向かってロッドと共に走り出そうとしていたアレスの前に、ヴァレスが薄い笑みをたたえたまま立ち塞がった。


「結晶石の封印が解かれるのも時間の問題だ」


 そう言うや否や、ヴァレスの中からおびただしい量の瘴気が溢れ出した。壁に、床にへばり付く瘴気の中から更なる魔物が這いずり出し、それらは先程の魔物と同様にラスティーンを標的として巨木に群がりはじめた。


「二度も俺の邪魔をするな、ラスティーン。お前はそこで、生きながら喰われていろ」


 バサリと闇色のマントを翻して瘴気に消える間際、ヴァレスの赤い双眸がアレスを捉える。


「エルティナは必ず手に入れる。竜使い、お前の役目はここまでだ」


 召喚した魔物も、アレスたちには目もくれずラスティーンだけを狙っている。まるではなからアレスになど興味がないように。アレスたちが追いかけても、ねじ伏せられるだけの力があるのだと告げるように。ヴァレスは最後に嫌味なほど美しい笑みを浮かべて、アレスの前から姿を消した。



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