第54話 月の涙鏡を求めて

 銀色の夢を見た。

 溢れんばかりの星屑の中、ひときわ輝く青い星がある。それと目が合った瞬間、星屑はざぁっと滝のように流れ、ラスティーンの銀髪へと変わった。


『アレス』


 フェゼリアの大樹と同化する前の姿で、ラスティーンがアレスを呼んだ。すっと右腕を上げ、アレスの後方を指差している。振り返ると、枯れ果てた大地に漆黒の大口を開けた巨大な穴が見えた。延々と漏れ出る瘴気で、周囲の空気がどす黒く染まっている。


『アレス。レティシアを連れて、魔界跡へ行け』


 アレスの意識は瘴気溢れる大穴へと吸い込まれていく。奥へ奥へ。地底深く落ちていく視界に、ぽうっと白い光が現れた。鏡だ。鏡面に緩やかな波紋を広げる、一枚の鏡がゆっくりと光を反射していた。


『月の涙鏡るいきょう。エルティナの思いが込められた鏡を持って帰れ。それがあれば、レティシアの中にある結晶石を、再度封印することができる』


 ちかりと反射した鏡はその鏡面に銀髪の女の姿を一瞬だけ映し出し、後は再び魔界跡の闇へと覆い隠されていく。


『ヴァレスが再び動き出す前に、必ず鏡を手に入れて戻るのだ』


 魔界跡の闇と、ラスティーンの髪。黒と銀が入り乱れ、渦を巻き、アレスの意識は混沌の沼へと引きずり込まれていった。



 ***



 ゆっくりと瞼を開くと、寝起きの瞳を眩しい朝日が突き刺した。昨夜は少し目を瞑っただけなのに、気付けば窓の外は夜を過ぎてすっかり日が昇っている。焦ってソファーから体を起こすと、テーブルの上に洗濯されたアレスの服が置かれていた。

 イルヴァールの言ったように、自分ではわからないほど体は疲弊していたらしい。服を持って、誰かが部屋に入ってきたことにすら気付けないほどだ。だが、おかげで体はすっきりと軽い。


 ベッドの上では、レティシアがまだ眠っているのが見える。顔色は随分とよくなっていたが、まだ目を覚ます気配は感じられない。

 窓から差し込む陽光に照らされた銀髪を見ていると、アレスの中に夢の残像がちらついた。あれがただの夢でないことはわかる。同じ神界人としての血が引き合ったのかもしれないが、とりあえずロッドたちには伝えるべきだと判断し、アレスは後ろ髪を引かれつつも部屋を後にした。


「お兄ちゃん!」


 声をかけられ反射的に顔を向けると、廊下の奥からロゼッタが駆け寄ってくるのが見えた。天界から救出した時には意識すらなかったが、今は走れるほどに体力も気力も戻っている。昨夜精霊王が生気を注いでくれたおかげだと、アレスはここにはいないイエリディスに心の中で深く感謝した。


「ロゼッタ。目が覚めたのか。……よかった」


 腰を落として目線を合わせると、ロゼッタが甘えるようにアレスの首に腕を回してくる。恐ろしい思いをしたのだ。体よりも心の傷を心配して小さな背中を撫でてやると、鼻をすする音と一緒にアレスの襟元がロゼッタの涙に濡れた。


「もう大丈夫だ。ここに怖い奴はいない」

「……うん」

「不安なら一緒についてくるか? 今からロッドたちと少し話をするが」

「お姉ちゃんは?」

「レティシアは……まだ眠っている。目覚めるには、もう少し時間がかかりそうだ」

「ならロゼッタ、お姉ちゃんのところにいる。早く良くなるように、お祈りしてる」

「そうか。そうしてくれると助かる。……何かあったら、すぐに呼んでくれ」


 ちょうど近くを城の者が通りかかったので、アレスはふたりのことを頼むと、イルヴァールがいるであろう城の前庭へと急いでいった。


「アレス! ちょうど良かった。いま起こしに行こうと思ってたんだ」


 城を出て前庭へ続く階段を降りていると、アレスの姿に気付いたロッドが大きく手を振りながら駆け寄ってくる。イルヴァールの近くにはロッドの他にメルドールと、茶色の髪をした女性――セリカの姿もあった。


「みんなイエリディスのおかげで目が覚めたんだ」

「あぁ、ロゼッタも無事だった。精霊王は?」

「さすがにちょっと疲れたって、今は眠ってる。ルネリウスがそばについてるから、大丈夫だと思うけど」

「そうか。……あとでちゃんと礼をしなくてはな」


 イルヴァールの前には、テーブルが昨夜のまま置かれている。促されるまま席に着くと、お茶を用意したセリカがアレスを見て深くお辞儀をした。


「助けて頂き、ありがとうございます。それにロッドがいろいろと無理を言ったようで……ご迷惑をおかけしました」


 そう言えば唐突に飛竜を貸せと言ったり、一人で突っ走った挙げ句、揃って異界に迷い込んだこともあったなと思い出す。出会いから振り回されっぱなしのような気がするが、今ではそれにも慣れてしまったのか、ロッドの行動に前ほど苛つくことはない。

 それにロッドの明るさに救われた部分があるのも確かだ。最初は面倒臭い奴だと思っていたのに、いつの間にか心を許している自分に気付いて小さく笑ってしまう。


「いや……。ロッドには助けられている。ありがとう」


 ロッドはアレスにとって、飛竜と同じ「友」だ。そう認めてしまえば何となく気恥ずかしくて。横目でちらりと盗み見ると、当の本人はまるで聞こえていないのか、一気飲みしたお茶のおかわりを注いでいるところだった。


「話はロッドと神龍から聞いておる。アレス……大変じゃったの」


 メルドールがそう口火を切ると、場の空気が少しだけ緊張した。


「魔界王ヴァレスが復活したとなると、わしらも互いに協力せねばならぬ。地上を守りつつ天界を制圧し、ヴァレスの野望を阻止するのじゃ。奴の手に結晶石を……レティシア殿を渡してはならぬ」

「そのことだが……昨夜、ラスティーンが夢に現れた」


 ロッドたち皆が食い入るように見つめてきたので、夢を見たのはどうやらアレスだけらしい。これも神界人の血のせいかとイルヴァールを見れば、彼は少しだけ目を伏せて小さく頷くだけだった。


 夢の内容に手放しで喜んだのは、やっぱりロッドだった。イルヴァールは無言のまま表情はわからず、メルドールは髭を撫でながら思考に耽っている。

 アレスはといえば、喜び半分、疑問が半分といったところだろうか。結晶石を再度封印できるかもしれないという純粋な喜びと、ならばなぜ結晶石の封印が解かれるのかという疑問だ。

 レティシアの代で結晶石の封印は解ける。時を同じくして、神龍イルヴァールとラスティーン、そして魔界王ヴァレスまでもが目覚めてしまったことには、何か理由があるのではないかとも思ってしまうのだ。

 けれどヴァレスの魔手はもうレティシアの喉元にまで迫ってきている。あれこれ考えるよりも、今は結晶石の封印が最優先であることはアレスにも十分理解できた。


「結晶石を封印できる手立てがあるなら、魔界跡に行くしかないよな。その何とかって言う鏡を見つけて、早くレティシアを安心させてやろうぜ」


 当然のようについて来ようとしているロッドに困惑していると、視界の端でセリカが諦めたように苦笑していた。どうしたものかと視線を合わせれば、「夫を頼みます」と頭を下げられてしまったので、もうアレスには何も言うことができなかった。


「魔界跡へ行くのなら、準備は万全にしておくことだ。瘴気の生み出る場所……ヘルズゲートは、かつてのシュレイクだ。バルザックに殺された者たちの魂がさまよい、血と共に数多の感情が今なお強く渦巻いている。――呑み込まれるな」


 目を逸らさずに見つめてくるイルヴァールに、アレスはしっかりと頷くことで返事をした。

 ヘルズゲートの名を聞くだけで幼い頃の胸の痛みがよみがえる。けれど今はその痛みに気付かないふりをして、アレスは自身を奮い立たせるように拳を強く握りしめた。



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