第49話 救出
再び目にした天界に、今度ははっきりと荘厳な城の姿が見えた。白く美しい城を呑み込んで、腐った瘴気がどす黒い炎のように揺らめいている。その上空、ちょうど城の真上に位置する場所に、巨大な真紅の魔法陣が敷かれていた。
青い空に不似合いな色を落とす魔法陣の四方には、赤黒い六角柱。その先端に捕らわれていた人物を見たロッドが、真っ先に飛竜を駆って空を滑っていく。
「セリカ!」
柱に括り付けられていた濃い茶色の髪をした女が、ロッドの声に反応して僅かに顔を上げた。
「……ロッド?」
「いま助ける!」
掠れるほどに小さな声だったが、とりあえず無事であることを確認するには十分だ。急いで飛竜を寄せて、セリカを捕らえている鎖を外そうとしたロッドだったが、触れた途端にバチンッと見えない力に手を弾かれてしまった。
「ロッド! その鎖を外すには私の魔法が必要です!」
遠目でも、レティシアにはその鎖にかけられている魔法がわかった。幼い頃に、クラウディスと共に作った遊びの魔法だ。
鍵のない箱や、例えば本でも、物質に鍵をかける封印の呪文に刻まれるのはクラウディスの名前。反対に解呪に必要な呪文には、レティシアの名前を刻んでいる。
所詮は子供が作った、効力は皆無の拙い魔法。それが解呪の要素だけを綺麗に残して、恐ろしく強固な封印の魔法に仕上がっている。解けるのはその呪文を知るレティシアしかおらず、そしてそれはクラウディスが彼本人であることを証明する魔法でもあった。
セリカたちを拘束している鎖は柱の下に垂れ、魔法陣の中央へと吸い込まれて消えている。彼らがひどく衰弱していることから、おそらくその鎖は捕らえた者の魔力を吸い取る役割も兼ねているのだろう。
各国の魔力の強い者たちを捕らえて、クラウディスは何をしようとしていたのか。その答えを知るよりも先に、今は捕らわれている皆を早く助けなければと、レティシアの背から気が急いたように翼が飛び出した。
「私が先に飛んで、鎖にかけられた魔法を解呪します。アレスたちはその後に、彼らを救出して下さい」
捕らわれている者は四人。クラウディスがいつ姿を現すかもわからないし、鎖にかけられた魔法はレティシアにしか解けない。アレスにもそれはわかっている。
なのに腕の中から飛び去ろうとしているレティシアの手を、アレスは思わず引き止めてしまった。
「アレス?」
なぜそうしたのか、アレスもわからない。けれど、何となく嫌な予感がした。
「……気をつけろ」
「はい」
大丈夫だと、向けられた顔は緊張していて。それでも安心させるように微笑んだレティシアが、アレスの手をすり抜けてロッドの待つ六角柱の方へと飛んでいった。
セリカの鎖にかけられた魔法を解き、ロッドが飛竜に彼女を乗せる。次いで隣の柱へ飛べば、そこには見たことのない少年が括り付けられていた。宵闇を思わせる濃紺の髪は、精霊王イエリディスと同じだ。とすれば、彼がイエリディスの息子ルネリウスだろう。彼の魔法も解けば、ぐったりとしたルネリウスの体はアレスの飛竜に乗せられた。
乗り手のいないアレスの飛竜からルネリウスが落ちないように注意しつつ、ロッドとイルヴァールが並んで飛ぶ。その間にレティシアはメルドールの元へと翼を羽ばたかせた。
メルドールは魔力を搾り取られているだけでなく、その体は攻撃を受けてぼろぼろに傷付いていた。紺色のローブはあちこち破れていて、頭から流れた血は頬を伝ってこびり付いている。それでも命が潰えていないのは、彼が世界最強と謳われる白魔道士だからだ。吸い取られる魔力の一筋を繋ぎ止めて、自身の回復に充てているようだった。
「メルドール様。……すみません。わたしが、ちゃんとお伝えしていれば……」
悔いても起きたことは取り返せない。せめてもの償いにと、体を癒やす回復魔法をかけると、レティシアの魔力を感じたのかメルドールがかすかに瞼を震わせた。
「……レティシア殿、か」
「メルドール様。この傷は兄が……」
「……あれを、クラウディスと呼べるのか……わしにはわからん。あの魔法は……失われた、暗黒の」
メルドールの言葉を遮るように、魔法陣の中央から見えない瘴気が噴き上がった。爆発に近い衝撃はレティシアの髪を激しく煽り、そばにいた飛竜たちは再び濃く漂い始めた瘴気に当てられ苦しげに呻いている。
恐ろしいほどの圧迫感。胃を握りつぶされるような不快感に、レティシアの体から冷や汗がどっと溢れ出る。姿はまだ見えないのに、体が恐怖に震え出す。それでも怯えて立ち竦む暇などない。まだロゼッタが捕らわれたままだ。
「ロゼッタ!」
急がなければと振り向いた最後の六角柱、そこにロゼッタの姿はなかった。
「……お姉ちゃん」
掠れた、弱い声がする。視線を落とすと、魔法陣の上にロゼッタがひとりで立っていた。いつの間に移動したのか、太い鎖の巻き付いた腕を上空のレティシアに向けてよろよろと足を引きずっている。
「お姉、ちゃん……たすけて」
「ロゼッタ。いま行くわ!」
メルドールをアレスに任せて、レティシアが魔法陣に急降下した。後ろでアレスの制止する声がしたが、ロゼッタがいるのは瘴気の溢れる魔法陣の上だ。弱った体、ましてやまだ子供のロゼッタに、あの瘴気は致死量の毒になりかねない。
龍神界で花冠の作り方を教えてくれた、可愛い少女。アレスの大事な妹。彼女をこれ以上傷つけたくない。
「ロゼッタ。もう大丈夫よ。一緒にアレスの所へ戻りましょう」
「……よかった。お姉ちゃん、来てくれた」
レティシアの姿を見て安心したのか、ロゼッタがついに力尽きて
「これでやっと、捕まえられる」
ずるりと、引き摺るような音を立てて、ロゼッタの両腕が伸びた。細い蛇に姿を変えた両腕はレティシアの体を容易く捕まえて、腕に翼にしゅるしゅると絡みついていく。
「……っ、ロゼッタ。そんな……」
捕らわれたことよりもレティシアを絶望させるのは、両腕を蛇に変えたロゼッタのその姿だ。見開いた青い瞳、ロゼッタの姿にエミリオの影が重なる。
魔物と一体化した体は、二度と元には戻らない。救いたいのなら殺すべきだと告げたアレスの声が、レティシアの中で凍ったまま木霊する。
「まさか……まさか、あなたまで魔物に」
絶望が。後悔が。レティシアの心を激しく責め立てる。逃げなければいけないのに、不気味に笑うロゼッタから目が離せない。体がおかしいくらいにがたがたと震え出し、こぼれる吐息が嗚咽に変わる。
遠くの方でアレスの声が聞こえたような気がする。その声にぎくりと意識を引き戻された瞬間、ロゼッタの背後にいつの間にかクラウディスが現れていた。
「……お兄、様」
「久しいな、レティシア。何をそんなに嘆いている?」
いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべて、クラウディスがレティシアを捕まえているロゼッタの肩に手を置いた。途端、彼女の顔に罅が入り、そこからロゼッタの体が縦真っ二つに割れた。
「ロゼッタ!」
「心配するな。お前の捜し物はここにある」
割れた体からロゼッタ本人が引きずり出されると、核を失ったのか、彼女の体を真似ていた魔物が蛇の腕もろとも塵となって消失する。
ロゼッタは意識を失いぐったりとしていたが、見た限りでは体に変化はなさそうだ。魔物化していないことに胸を撫で下ろしつつも、未だクラウディスの腕の中にあるロゼッタを前に安心するのはまだ早い。気持ちを切り替えて、レティシアはクラウディスを毅然とした態度で睨み返した。
「お兄様。ロゼッタを返して下さい」
「構わん。もう用済みだ」
「っ、だめ!」
駆け寄るレティシアの指先を掠め、ロゼッタの体は青空の下へ投げ出されてしまった。
「ロゼッタ!」
悲鳴に近い声を上げて魔法陣の床を叩くレティシアの視界、そのはるか下の方で、落下していくロゼッタを追って急降下していくイルヴァールの白い影が見える。その背に乗るアレスがロゼッタを無事に抱きとめたことを確認すると、クラウディスの前だというのにレティシアの体から力が抜け落ちてしまった。
「よかった……」
「他人を心配するとは、ずいぶん余裕だな。お前はもう、私の手中にあるのだぞ」
「……私は、戻りません。彼らと一緒に、あなたの野望を阻止します!」
「戻れるとでも? 愚かなレティシア。私が二度もお前も逃がすと、本気で思っているのか?」
美しい笑みはそのままに、邪悪な気配がクラウディスを包み込む。それは目視できるまでに濃くクラウディスに纏わり付き、彼の白い服を暗黒の色へ染め上げた。
邪気に煽られるマントの端からほろほろと闇がこぼれ落ち、クラウディスが一歩レティシアへ近寄るたびに辺りの空気がずしりと重さを増す。
「お……お兄、様。その力は……それは、一体何なのですか!? 魔界跡で何があったのです!?」
ぶわりと広げた翼が、恐怖で震えている。天界を逃げ出したあの時の比ではない。いまレティシアが対峙しているのは、闇そのものだ。クラウディスの皮を被った、暗黒の――。
「レティシア!」
上空で、アレスの声がする。けれどレティシアが見上げる前に、その視界はクラウディスから溢れ出した漆黒の瘴気によって完全にかき消されてしまった。
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