第33話 結晶石の謎

 訳も分からぬまま廊下に連れ出され、勝手に隣室へ入っていくアレスにレティシアは戸惑うばかりだ。そこは応接室なのか、メルドールの部屋にあったものと同じソファーとテーブルが置いてあり、カーテンは重く閉じられている。

 陽光を遮られた室内は薄暗く、当然ながら二人の他には誰もいない。閉めた扉に背を預け、アレスは腕を組んでレティシアと向かい合った。


「まだ、諦めていないのか?」

「え?」

「永劫封印のことだ」


 指摘され、レティシアが口を噤んだ。アレスだけではなくガッシュもロッドも、みんなレティシアのことを心配してくれている。その思いは痛いほど伝わるのに、レティシアはまだ永劫封印を諦め切れていない。それが一番簡単で、今の状況では最善策に思えるからだ。

 きっとアレスはいい顔をしないだろう。そう思って窺うようにアレスを見れば、予想に反して怒るどころか眉を下げて悲しげな表情を浮かべていた。


「力がないのは俺も同じだ」


 レティシアが名を呼ぶ前に、アレスの切ない声がこぼれ落ちた。自身の右手をぼんやりと見ながら、まるで無力さを嘆くようにぎゅっと拳を握りしめる。


「クラウディスに対抗するだけの力があれば、お前は永劫封印に執着しなかったはずだ」

「それは……わかりません」


 アレスの視線に感じる、理由のわからない居心地の悪さ。あの深緑の瞳に見つめられるのは、どうにも心が落ち着かない。心の奥に隠した思いを探られるようで……そのまっすぐで揺るぎない強さに甘えてしまいそうで。レティシアは逃れるように顔を伏せた。


「いいや、わかるさ。誰が好んで生贄になる? お前だって本当はそんなこと望んでいないはずだ」

「そんなことは……」

「ルルクスで子供の食べる菓子を、お前は嬉しそうに食べていたな。ユレストでは金のたてがみをした白馬に見惚れて、そのまま湖に落ちそうになってただろ」


 そんなところまで見られていたのかと、レティシアの頬が羞恥に染まる。

 何か他にもおかしなことをしなかっただろうか。そう思い記憶を手繰れば、短い旅の中で経験した幾つもの「初めて」に喜んで、驚いて、笑う自分の姿がよみがえってしまい、レティシアの胸はつきりと痛んでしまった。


「飛竜の背から見えるただの風景にまで、お前はその目を輝かせていた。……楽しかったんだろう? 天界では見ることも感じることもなかったはずの世界に触れて、その先をもっと知りたくなったんだろう?」


 天界の部屋から幾度となく眺めていた青い空。自由に飛ぶ鳥を羨ましく思えど、レティシアの翼には重い鎖が絡みついて飛び立つことができない。

 ならば代わりにと、空から影を落とすのは巨大な飛竜に乗った――。

 

「だったら、その道の先を見に行けばいい」


 レティシアに絡みついていた鎖のひとつが、音を立てて罅割れたような気がした。


「……簡単に言わないで下さい」


 頷きそうになる心を必死に押し止めて、レティシアが唇を強く噛む。

 まだ見ぬ世界に憧れはある。旅が楽しかったのも事実だ。けれど結晶石の封印がいつ解けるのかわからない今、自分の我が儘を押し通すことはできない。それに、いつまたクラウディスの魔手が伸びるかわからないのだ。

 そんな時に「楽しい」と思ってしまう自分が、ひどく罪深い者のように思えて仕方がなかった。


「俺は、お前だけが犠牲になる世界は間違っていると思う」


 はっと顔を向ければ、変わらない深緑の瞳がレティシアを見つめていた。迷い戸惑うレティシアの思いとは正反対に、アレスの瞳はいつだってまっすぐに強く揺るぎがない。

 うわべだけの言葉など通用しない真剣な眼差しに、レティシアはついに否定する言葉を失った。


「お前が望むなら、このあと魔界跡に連れて行ってやる。クラウディスに何が起こったのかを知り、奴がまだこちら側へ戻って来られる確証が欲しいのなら……それに付き合ってやってもいい」

「……どうしてそこまで、してくれるんですか。これは私の……天界が起こした罪なのに」

「一人で背負う必要はないと、何度言ったらわかる」

「でも……」

「俺がお前を犠牲にしたくないだけだ!」


 腕を引かれた、と思った瞬間にはもう、レティシアはアレスの腕に抱きしめられていた。

 飛竜に乗っているとき背中に感じていたぬくもりが、匂いが、いまレティシアの全身を包んでいる。一瞬何が起こったのかわからなかったが、服越しでさえ強く響くアレスの鼓動を感じて、呼応するようにレティシアの胸も早鐘を打ちはじめた。


「ア、アレスっ!?」


 戸惑いと恥ずかしさが同時にやってきて、レティシアの体が小さく震えた。それでも体を抱きしめる腕の力は少しも緩まない。近すぎる距離。こぼれたアレスの吐息が、レティシアの赤くなった耳をくすぐりながら落ちていく。


「レティシア」


 掠れた声に、またレティシアの肩が震えた。


「お前はどうしたい?」


 抱きしめられたことで、余計な思いが吹き飛んでしまった。結晶石を守る使命に埋もれてしまっていた思いが、風に流れる砂の中から顔をのぞかせるように。レティシアの中に残ったのは、譲れない思いだけになる。


 結晶石は守りたい。

 クラウディスを元に戻したい。

 本当は永劫封印が、怖い。


『俺は、お前だけが犠牲になる世界は間違っていると思う』


 それは使命を放棄することを誘う甘言などではなく、レティシアが犠牲にならずに使命を果たせる道を一緒に模索しようと差し伸べられた、力強い手だ。

 クラウディスもマリエルも、父も母も。レティシアの境遇に嘆き心を痛めていた彼らでも、結晶石を守る使命を負った「天界人」の前では口にすることのできなかった思い。目の前に差し出されたアレスの手が、レティシアにはとても大きく温かいものに見えた。


 魔界跡でクラウディスを変えた原因がわかれば、彼を元に戻す方法もそこにあるかもしれない。クラウディスが元の優しい兄に戻るのなら、レティシアもその身を封印することなく彼と共に再び結晶石を守り抜くことができる。

 そしてアレスはその手伝いをしてやるといったのだ。レティシアが生きるために。


「……私は……――」



 ***



 メルドールの元へ戻ると、すべて納得したように微笑んで頷かれてしまい、レティシアは恥ずかしそうに俯いてしまった。

 本人は自覚がないのだろうが、表情が先ほどよりも和らいでいる。その変化はロッドでさえ気付くほどで、目が合ったアレスに「やったな!」とウインクを飛ばしてきた。


「俺たちはこのまま、魔界跡ヘルズゲートへと向かう」

「は? 何で魔界跡なんかに……」


 ウインクを飛ばして喜んだのも束の間、アレスが告げた言葉にロッドが今度は目を丸くして驚いた。


「レティシアが永劫封印をしないで済むように、その手段を探しに行く」

「だからって、なんでヘルズゲートなんだよ。あそこは今も瘴気が渦を巻いて危険なところだぞ」


 ロッドの驚きも当然である。けれどクラウディスの真意を確かめるまでは、天界の惨劇を軽々しく口にすることはできない。どう説明しようかと逡巡しゅんじゅんしていたアレスに助け船を出したのは、意外にもメルドールだった。


「いや、ロッド。案外ヘルズゲートは真実に辿り着く場所なのかもしれんぞ」


 そう口を挟んだメルドールは、先ほど本棚から取り出していた本を手にパラパラとページを捲っている。


「真実って何のだ?」

「結晶石に決まっておろう。わしは長いこと結晶石について調べておるんじゃが……お主たち、月の結晶石についてはどれくらいのことを知っておる?」


 問われて真っ先に口を開いたのは、やっぱりレティシアだった。


「今から一万年前に、魔界王ヴァレスが作ったと。世界支配を企む彼の野望を、神界人であるラスティーンが神龍と共に打ち破った月下大戦を境に、子孫である私たち天界人の体内へ封印されたと聞いています」


 アレスもロッドも、結晶石について知っていることはレティシアの話と大差ない。おそらくはどの国でも似たような話として語り継がれているはずだ。もちろん魔法都市アーヴァンもそうであり、メルドールもレティシアの話に頷いている。


「ざっくり言うと、そうじゃの。なら、お主たちは結晶石がどのようにして作られるか知っておるか?」

「月の魔力を絡め取るんじゃないのか?」

「どれくらいの時間がかかると思う?」

「そこまでは……。十年くらいじゃないのか?」


 そう答えたアレスにメルドールが首を横に振った。

 結晶石を作るというのは魔法の領域だ。石について大まかな情報は知っていても、アレスやロッドがその作り方の詳細を知る機会はあまりないだろう。

 メルドールの物言わぬ視線を受け、レティシアが小さく頷いて続きを引き取った。


「人の寿命では足りないほどの年月が必要だと、教えられました」

「その通りじゃ。おそらく魔界王は自身の命を薄く引き延ばし、気の遠くなるような時間をかけて月の結晶石を作り上げたのじゃろう」

「そんなこと……簡単にできるもんじゃないだろ。命を薄くって……そこまでしなくたって」

「そこなんじゃよ、ロッド」

「え?」

「わしが気になるのは、そこなんじゃ」


 開いた本のページには、メルドールが独自に調べた結晶石についての事柄が記されている。

 結晶石はいつ誕生したのか。作ったのは誰なのか。その目的は。疑問に対する答えや推測がびっしりと記されている中、唯一空白になっている箇所をメルドールは指先で軽く叩く。


「結晶石を作るために必要なものが二つある。ひとつはさっきも言ったように、人の寿命を軽く超えるほどの長い時間じゃ。そしてもうひとつは、月の魔力に込める願いの強さ。結晶石を用いて自分が何を成し遂げたいのかを強く願う必要がある。それが月の魔力を結晶化させる鍵じゃからな」


 ここまで深い話はアレスもロッドも知らなかった。レティシアだけは驚く様子なく頷いているので、天界では当たり前に知られている事実なのだろう。隠されている事柄ではなく、魔法に精通している者の間で伝わりやすい話であるというだけだ。


「ゆえに、結晶石は作った本人にしか扱えぬ。石を所有するだけでも強大な力を持つことができるので、危険から遠ざけるためにも封印されておるのじゃが……」


 作った本人、すなわち今はもういない魔界王ヴァレスしか扱うことのできない結晶石。それをなぜクラウディスが欲しがるのか疑問に思ったが、手にするだけでも力を得られるというのであれば合点がいく。

 結晶石について詳しく知らなかったアレスにとって、メルドールの話は興味深く、これからの自分たちにとっても重要な内容であると心に刻み込んだ。


「わしが気になるのは、魔界王ヴァレスの目的じゃ」

「目的って……世界支配、だろ? 俺はそう聞いてるぞ」

「龍神界でも同じだ」


 二人に合わせて、レティシアも頷く。

 魔界王ヴァレスは世界を手中に収めんとし、月の結晶石を作り上げた。そして神界リヴァイアの姫ラスティーンと神龍によって滅ぼされた。それが今の世界に伝わる月下大戦の全貌だ。


「わしは、そこがわからんのじゃ」


 ぱたん、と本を閉じ、メルドールが深くゆっくりと息を吐いた。


「己の命を薄く引き延ばし、長い時間をかけてまで作り上げた結晶石に、世界支配だけを望んだとは思えん。魔界王にはもっと別の……わしらには伝わっておらぬ目的があったのではないか?」


 命を引き延ばしてまで手にした結晶石。魔界王ヴァレスが欲した世界。その二つを天秤にかければ、片方に傾きすぎるのは明らかだ。

 アレスには魔法のことはよくわからないが、命を薄く伸ばすという行為はきっと生半可な覚悟でできるようなものではないのだろう。もしかしたら苦痛を伴うのかもしれない。それに耐えてまで欲するものが世界支配だったのかと問われれば、確かにメルドールの言うように疑問が残った。


 長い年月を経てまで手にしたかった世界なのか。あるいは、手にしなければならない世界だったのか。


「……と、ここまでが、わしが調べた結晶石についての話じゃ。これ以上は書物をどれだけ読んでも先が見えん。答えがあるとしたら、魔界跡ヘルズゲートではないかと思ったわけじゃ」

「ってことは、その続きをアレスとレティシアに探して来いって言ってるのか?」

「もちろん無理にとは言わん。じゃが、結晶石の謎を解くことで、見えてくる道もあるのではないかと思っただけじゃよ」


 破壊の石。破滅を呼ぶ石。そんな風にしか思っていなかった月の結晶石に、隠された真実があるかもしれない。

 その真実がクラウディスの変貌に繋がっているのなら、魔界跡ヘルズゲートの闇を進み、わずかな光明を見つけたいとレティシアは強く思うのだった。




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