第15話 反発する二人

 暫くの間ただ黙って様子を見守っていた二人だったが、やがてレティシアが落ち着いたのを見計らったガッシュが再び静かに口を開いた。


「今はまだ、このことはあまり公にしない方がよいじゃろう。クラウディス殿の真意も……どうも腑に落ちぬ」

「真意も何も、実の妹を傷付けてまで結晶石を欲しているんだろう?」

「まったく、お主と言う奴は。もう少し言葉を選ばんか!」

「いいのです。私も最初は信じられませんでしたが……魔界跡ヘルズゲートより帰還してから、兄はもう以前とは変わってしまいました」


 その言葉に、二人がほぼ同時にレティシアへ目を向けた。突然二人から見つめられたレティシアが、何かまずいことでも言っただろうかと少し焦ったような表情を浮かべた。


「あの……」

「魔界跡だと?」

「は、はい。……ヘルズゲートへ調査に行き、瀕死の状態で帰還したのですが……」


 魔界跡ヘルズゲートは世界の中でも不吉とされている場所だが、アレスにとっては両親を奪われた忌むべき場所でもある。見て分かるほど不快感をあらわにしたアレスの横では、ガッシュが難しい顔をして考え込むように視線を落とした。


「ふむ。……何か、引っ掛かるの」


 魔界跡ヘルズゲート。人の住めない死んだ国からは魔物が溢れ続け、一万年前に滅びたと言えど今なお世界に脅威を与え続けている。月下大戦の元凶であるヘルズゲートは常に死の香りで満たされ、訪れる者を決して無事には帰さない。


「憶測になるが……ヘルズゲートでクラウディス殿に何かあったのかもしれんな。体の怪我だけではなく、心をも豹変させてしまう何かが……」

「魔界跡で? では……では、ヘルズゲートに行けば、兄を変えた原因が分かるのでしょうか?」

「それはまだ何とも言えんが……」

「……そうですか」


 一瞬見えた気がした光明が再び闇に包まれ、レティシアが肩を落としてしゅんと項垂れた。いたずらに希望を持たせてしまったことにガッシュも己を悔いて黙り込むと、意識的に大きく息を吐いたアレスが話の流れを強引に変えた。


「いろいろ考えるのは後だ。お前さえよければ、明日にでも魔法都市アーヴァンへ発つ」


 アレスの言葉にレティシアが驚くほど動揺して、弾かれたように顔を上げた。青い瞳でじっと凝視され、困惑したアレスも眉間に皺を寄せてレティシアを見つめ返す。その視線に何を感じ取ったのか、かすかに唇を震わせながらレティシアが小さな声で呟いた。


「……承認して下さるのですか?」


 レティシアの言葉の意味を理解できたのは、ガッシュだけだった。訳が分からないと疑問符を浮かべるアレスとは反対に、ガッシュが優しい瞳の奥に鋭い光をかすかに宿す。


「レティシア殿」


 少しだけ低い声音に、レティシアがはっと息を呑む。


「まさかとは思いますが、永劫封印をなさるおつもりですかな?」


 指摘され俯いたレティシアを肯定と取り、ガッシュが首を横に振りながら溜息をついた。


「そんなに早まるものではありませんぞ。結論を出すにはまだ早い」


 会話についていけず置いてけぼりにされたような気がして、アレスが無意識に眉を顰めながらガッシュの名を呼んだ。


「話の腰を折るようで悪いが、永劫封印ってのは何なんだ?」

「お主にはまだ教えてはおらんかったの。……永劫封印とは、簡単に言うと人体を核とした封印のことじゃ。どんな手を使っても解決策が見出せない場合に限り発動することができる上位白魔法じゃが、それには各国の長の承認が必要となる。言わば、最後の手段じゃ」

「人柱が?」


 明らかに嫌悪感を示したアレスが、鋭い視線をレティシアへと向けた。アレスの冷たい視線を感じながらそれでもレティシアはきゅっと手を握りしめて、自分の中にある思いを確認するように言葉を紡いでいく。


「結晶石を再び体に封印することができるのは神界人だけです。封印が解け、石が兄の手に渡るのを阻止するには、これしか方法がありません。それに私はもう……私のせいで誰かが傷付くのは嫌なんです」

「あの衛兵の事か?」


 問われて、レティシアがこくんと頷いた。


「私がこの体を結晶石と共に封印することで、すべてが終わるのなら……」

「何も変わらない」


 レティシアの言葉を遮って、アレスが語気を強めてきっぱりと言い切った。どこか怒ったような表情を浮かべて自分を見下ろすアレスに、言葉を詰まらせたレティシアが唇を強く噛み締める。


「お前が体を封印しても同じことだ。封印はいつか解かれる。それは結晶石を宿すお前が、一番よく分かっているはずだ」


 自分なりにこの状況を何とかしようと必死に考えたものが、永劫封印だ。それを真っ向から否定し、追い打ちをかけるようなアレスに、レティシアの心がささくれ立つ。

 誰が好き好んで体を封印すると言うのか。レティシアだって、本当は怖いのだ。その恐怖に気付かないふりをして、精一杯の虚勢を張っているというのに、アレスはレティシアの必死に押さえ込んでいる心の奥にずかずかと土足で踏み込んでくる。

 結晶石を守らなければという思いを簡単に愚策だと言ってしまうアレスに、レティシアは思わずかっとなって声を荒げてしまった。


「では私はどうしたらいいのですか! このまま兄から逃げ続け、また関係のない人を見殺しにしろと?」


 思ってもみない反論に、アレスが一瞬瞠目する。次いで口から飛び出しそうになった言葉を押し留めるかのように、ガッシュがアレスの肩を強めに叩いて二人の間に割って入った。


「まあまあ、二人とも少し落ち着いたらどうじゃ。若いもんはすぐ熱くなるのう」


 ガッシュが口を挟んだおかげで、さっきよりも更にきつい言葉を投げかけようとしていたアレスが、はっと我に返ってレティシアから目を逸らした。


「とりあえずじゃ、明日アーヴァンへと発つがよい。レティシア殿の傷を治す方が先決じゃ。どうするかはその後で考えても遅くはなかろう」


 その場をうまく宥められ、小さく返事をして頷いたアレスが逃げるように寝室を後にした。その後姿を肩を竦めて見つめたガッシュが、仕方なさそうに溜息を吐きながら頭を緩く横に振る。


「本当にすまんの。あやつは昔から率直に物を言う奴でな。言葉は冷たく聞こえるかもしれんが、あれはあれでレティシア殿を心配しているのじゃ」

「いいえ。私の方こそ助けて頂いたのにあんな言い方をしてごめんなさい」

「根はいい奴なのじゃ。悪く思わんでくれ」

「はい」


 レティシアの返事を聞いて、ガッシュがその顔にかすかな微笑を浮かべた。


「それじゃあ、儂はあやつの様子でも見て来ようかの。レティシア殿は少し休むといい。思っているより、体は疲れているはずじゃ」


 そう言ってガッシュも寝室を後にし、静かになった部屋にひとり残されたレティシアが、力尽きたようにベッドに倒れ込んだ。寝転がったままぼんやりと二人が出て行った扉を見つめていたレティシア脳裏に、ふと何の前触れもなくアレスの姿が浮かび上がる。同時に頭の中にアレスの声が響いた気がして、レティシアが慌てて瞼をぎゅっと閉じた。


 ガッシュの言ったように自分が思っているよりも体を酷使していたのか、そのうちにレティシアの意識は暗い深淵へと吸い込まれるように落ちていった。



 ***



「アレス。何じゃお主、そんな所で」


 家の中に姿の見えなかったアレスを探して外に出たガッシュは、入口のすぐそばに佇んだままの彼を見つけて呆れたように肩を竦めた。


「……あいつは?」

「少し休ませた。まったく……お主は本当に不器用じゃの。レティシア殿は辛い思いをして、今ここにいるのじゃ。お主には慣れんこととは思うが、せめてもう少し優しく接してくれんかの?」

「……悪かった」


 ガッシュとてアレスの気持ちが分からないわけではない。月の結晶石という、人の手に余る遺物をたったひとりで守り抜こうとするレティシアは、ガッシュから見てもどこか危うげで不安定なほどに儚く感じられる。

 頼るべきものを失い、精神的に追い詰められたレティシアが永劫封印に辿り着くのは時間の問題だった。けれどレティシアが他人を傷付けたくないと思うように、ガッシュとアレスも結晶石のためにレティシアひとりが犠牲になるのは間違っていると感じていた。


「レティシア殿には危うい純粋さがある。同じようなことがまた起これば、それこそ自分を犠牲にしてまでも結晶石を封印するじゃろう」


 アレスの記憶によみがえるレティシアは、いつも思いつめた表情をしていた。他人を優しく思いやる反面、自分の命は簡単に投げだそうとする。あの小さな体で結晶石にまつわる多くの苦難を受け止め、抱えきれずにがらがらと崩れ落ちていくレティシアの姿を想像してアレスが眉間に皺を寄せた。


「アレス。お主がレティシア殿を守るんじゃ。結晶石の運命に翻弄され散り逝くにはまだ早い。そう思うじゃろ?」


 散り逝くにはまだ早い。

 鮮血にまみれ、動かないレティシアの姿を脳裏に浮かべたアレスの中に、ガッシュの言葉はどこまでも深く響いていった。

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