第12話 天界からの追っ手
ルファの花と長い時間をかけて格闘した結果、レティシアの手の中にはひどく不格好な花冠が完成した。
一緒に作ったロゼッタの花冠は作りもしっかりしていて、花もまったく萎れていない。一方レティシアの花冠はふにゃふにゃで、所々強く握ったせいかせっかくの花が潰れてしまっている。あまりにもひどい出来栄えに言葉を無くしたレティシアの手から、ロゼッタが今にも崩れそうな花冠を両手で大事そうに受け取った。
「駄目よ、そんなの。もっと上手に作るから、ちょっと待ってて!」
「ロゼッタ、これがいい。お姉ちゃんが一生懸命作ってくれたんだもん。ありがとう!」
心から嬉しそうに笑って、ロゼッタが不格好な花冠を頭に乗せてくるりと回ってみせる。
「えへへ。似合う?」
「ええ、とっても。……私の方こそ、ありがとう」
「お兄ちゃんにも見せにいこうっと。自慢してやるんだ」
そう言って村へ戻っていこうとしたロゼッタを、レティシアが慌てて呼び止めた。
「ちょっ、ちょっと待って、ロゼッタ! アレスには見せないで!」
「どうして?」
問われて、レティシアが返事に困る。なぜだか分からなかったが、あのふにゃふにゃで不格好な花冠をアレスには見られたくないと思った。
「どうしてって……恥ずかしいわ」
「お兄ちゃんはそんなことで笑わないよ。それともお姉ちゃん、昨夜のことまだ気にしてるの?」
ロゼッタの言葉に忘れていた羞恥心がよみがえり、レティシアの頬がさっと紅潮した。そんなレティシアの様子を面白そうに見ていたロゼッタが、屈託のない笑みを浮かべたままひどく純粋な言葉をレティシアへと投げかけた。
「だったらもう、お兄ちゃんに傷物にされた責任を取ってもらって、結婚しちゃえばいいのに。そうしたらロゼッタも、お姉ちゃんともっと一緒にいられるし」
「……っ! き、傷物って……ロゼッタ、あなたどこでそんな言葉を覚えたの?」
「ロゼッタ、意外と物知りなんだよ。凄いでしょ」
得意げに胸を張るロゼッタとは逆に、動揺を隠せないレティシアが立ちあがり損ねて体をよろけさせた。そのままがっくりと力なく項垂れたレティシアの頭上に、突然ふっと影が落ちる。
さっきまで雲ひとつなかった空に、暗雲が漂い始めていた。
風はざわめき始め、ルファの花は震えるように激しく揺れる。見上げた空に不穏な何かを感じ取ったレティシアがさっと立ち上がり、ロゼッタを自分の背後に引き寄せて唇をきゅっと噛み締めた。
「お姉ちゃん?」
「私から離れないで」
そう言い終わると同時に足元から竜巻のように風が舞い上がり、レティシアとロゼッタの頭からルファの花冠が遠く空の彼方へ吹き飛ばされていく。その行方を追ったレティシアの視線の先で、暗雲の中からひとつの影が背中の翼を羽ばたかせながら降りて来るのが見えた。影は花畑に向かって一直線に降下し、身構えたレティシアの前で大きく翼を羽ばたかせると、ゆっくりと地面に足をついた。
「あなたは……」
レティシアの声に顔を上げたのは、天界の城で衛兵を務めていたエミリオだった。
クラウディスの帰還を告げに来たエミリオの顔に見覚えのあったレティシアだったが、見知った顔にも気を緩めずにいつでも呪文を唱えられるよう身構える。そんなレティシアの耳に届いた言葉は、想像していたものと真逆のものだった。
「ご無事でしたか! レティシア様」
背中の翼をしまい、深々と頭を下げて膝をついたエミリオに、レティシアはただ困惑したまま目を丸くした。天界からの追っ手ならば、有無を言わさずレティシアを捕らえるはずだ。しかし目の前のエミリオはレティシアの無事に胸を撫で下ろし、心の底からほっと安心しているように見えた。
「どういうことなの? ……天界には、まだ無事な者がいるの?」
「……わかりません。自分は途中から逃げて……あれがクラウディス様のはずがない。あんなものを、操って……」
「一体何があったの?」
「自分は、途中から逃げて……おぞましい魔物……逃げて、分かりません」
ぶつ切りの言葉が不気味に響く。けれども天界の状況を少しでも知りたいと、レティシアは彼の小さな声を聞き逃さないようエミリオに少しだけ近付いた。
「天界は変わり果てて、しまいました。美しかっ、た天界は、もう……どこにも、ない。あれはそう……かつての魔界跡ヘルズゲートのような……っ」
そこで言葉が途切れた。レティシアの足元に蹲ったまま、目を大きく開いたエミリオの額から大粒の汗が流れ落ちていく。
「……あ、れ? 僕は、逃げた……逃げ、きったはず……じゃ」
小刻みに震え出した体を両腕できつく抱きしめて、エミリオが呪文を紡ぐようにぶつぶつと呟く。その声も少しずつ曇って届き、明らかに異変をきたしたエミリオの状態にレティシアが身を屈めて様子を窺った。
「あぁ……やっぱり、だ……駄目だっ、た。……レティ、シアさ……ま。……僕から、逃げ……テ」
「大丈夫っ!? しっかりして!」
「天界は、モウ……駄目デ、す。マリエ……様も捕ら……捕らえ、ら……レテ」
「マリエル! 彼女は無事なのっ!?」
マリエルの名前を耳にしたレティシアが、思わずエミリオの肩に手を置いた。それを敏感に感じ取ったエミリオの体が、見て分かるほどにびくんっと大きく揺れる。
「いけませんっ! 離、レテ……ッ!」
――べこりっ。
エミリオの肩に置いた手が、大きな音を立てて体の内側に食い込んだ。
レティシアの手に押されて肩の筋肉が頭にまで移動し、エミリオの額がぼこりっと盛り上がる。剥き出しになった眼球がレティシアを捉えたかと思うと、そのまま糸を引いて地面に転がり落ちていった。
エミリオの体内で意思を持ったように動き回る筋肉や内臓は、外に出ようと内側からぼこぼこと皮膚を突付き始める。膨れてはへこむ、その繰り返しを目の当たりにしたレティシアが声を張り上げて絶叫した。
「いっ……いやああっ!」
悲鳴に合わせてエミリオの皮膚に亀裂が生じ、中にいたものができたばかりの出口から外へ出ようと一斉に溢れ出した。地面に抜け殻のような皮膚だけを残し、体内にいた『もの』がうねうねと地面を這いながらひとつに纏まっていく。ぼとぼとと拳ほどの肉塊を落としながら飛竜くらいの大きさにまで膨れ上がった赤黒いそれは、何とか人の顔に似せたものをレティシアに向けてにいっと笑ってみせた。
見れば見るほど気を失いそうになるレティシアだったが、自分の服の裾をぎゅっと握りしめているロゼッタの存在を思い出して唇をきつく噛み締めた。
気を失ってはいけない。ロゼッタを守れるのはレティシアしかいないのだ。
ずるずると音を立てて伸ばされた腕から身を避けて、レティシアは気持ちを落ち着かせるために深く息を吸い込む。
魔物の狙いはレティシアだ。ロゼッタの周りに素早く結界魔法を張って、レティシアが恐怖に震えるロゼッタの背中を優しくさすってやる。
「ロゼッタ。私が注意を引くから、その間にここから逃げなさい。村へ戻るのよ」
あまりの恐怖に声を失ったロゼッタが、涙ぐんだ瞳をレティシアに向けて必死に首を縦に振った。
「いい子ね。……さぁ、行って!」
その声を合図にして、レティシアとロゼッタが反対方向に走り出した。一瞬動きを止めた魔物だったが、次の瞬間には標的をレティシアに定めて勢いよく伸びあがった。巨体の割りに動きは素早く、伸縮自在な軟体の腕を伸ばしてレティシアを捕えようとする魔物によって、満開のルファの花が無残に押し潰されていく。
美しかったルファの花畑は、一瞬で悪臭を放つ魔物の肉塊に汚されていった。
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