第11話 ルファの花畑

「はっはっはっ! 年の割には大人びていると思っておったが、お主も意外にうぶじゃな」


 ガッシュに盛大に笑われ、アレスが居心地の悪さを感じて前髪をくしゃりと掻きむしった。


「大体あいつが変な風に捉えるから悪いんだ」


 ひとしきり笑ってからようやく落ち着いたガッシュがお茶を飲む横で、アレスが少年のように拗ねてそっぽを向いている。その様子を微笑ましく見ているうちに再び笑いが込み上げてきて、ガッシュは慌てたように残ったお茶を一気に飲み干した。



 朝になって家を訪れたアレスを見たレティシアの様子は、端から見ても尋常ではなかった。

 飲んでいたお茶を溢し、床に落としたカップを拾おうとしてテーブルに頭をぶつける。逃げるようにキッチンにいるメレシャの元へ行こうとして、何もないところで躓いて膝を付く。心配して椅子に座るよう促されれば、それはもう顔を真っ赤にさせて頑なに唇を噛み締めるのであった。


 訝しむガッシュに昨夜のことを説明したのはロゼッタで、その横で二人はばつが悪そうに俯いて一向に視線を合わせようとはしなかった。

 そのうち居たたまれなくなったのかレティシアが外に出たいと言い出し、それに付き合う形でロゼッタが村の案内を買って出て行ったのは数十分前のことになる。


「そもそも女性に対して服を脱げなどと、よく言えたもんじゃ。……お主、本当にやましい事は」

「何もないっ!」


 ガッシュの言葉を遮る形で、アレスが語気を強めて言い切った。そろそろ本気で怒り出しそうな雰囲気にいい加減からかうのを止めたガッシュが、静かに席を立って窓際へと移動した。レティシアたちの姿はもう見えないが、出て行く時にロゼッタが口にしたお気に入りの場所へと案内しているのだろう。

 ロゼッタのお気に入りの場所と言えば、祝福の谷の手前にある花畑に違いない。今の時期、あそこはルファの花で満開のはずだ。美しい花畑が少しでもレティシアを癒してくれたらと願い、ガッシュはそっと視線を外から部屋の中のアレスへと戻した。


「夜中だろうと構わず、儂らを起こしてくれて構わんよ。お主のことじゃ。レティシア殿の傷の手当てに、儂らを頼るか迷ったのだろう? 相変わらずの甘え下手じゃな。……本当にそう言うところは父親に似てきたの」


 昔を懐かしむように呟いて、ガッシュが再び椅子に腰を下ろした。その隣では平常心の戻ったアレスが、無言のまま冷めたお茶を啜っている。


「反対にロゼッタは母親似じゃな。金髪の巻き毛も、明るく元気いっぱいなところも、アシュリアを子供に戻したようなもんじゃ」


 久しぶりに聞いた母親の名前に、アレスの胸が予想外にずきりと痛んだ。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて目を伏せたアレスの脳裏に、幼い頃の切ない記憶がよみがえってくる。

 冷たい雨の降りしきる中、幼いロゼッタを抱いて両親の帰りを待ち続けた幼少の自分。激しく泣き叫ぶロゼッタをあやしながら、本当は一緒に泣いてしまいたかった過去をかき消すようにして、アレスが苦い回想から目を覚ました。


「それで、魔法都市へはいつ発てばいい?」

「おお! 行ってくれるか。お主が一緒ならば心強い」

「買い被りすぎだ。……氷花の森であいつを見つけたのは俺だからな。最後まで付き合わないと後味が悪いだけだ」


 いつか、彼の父親も似たようなことを言った。束の間よみがえる懐かしい記憶を、けれどガッシュは瞬時に己の胸に閉じ込める。

 さりげなく話題を逸らしたアレスに、親代わりであるガッシュが気付かないはずはない。懐古に耽るのは後にして、ガッシュはただ静かに頷き返した。


「今朝早くにアーヴァンには使いを出した。今や世界最強の白魔導士ともてはやされておるが、メルドールとは昔馴染みじゃ。行けばすぐに会ってくれるじゃろう」

「なら早い方がいいな。……ガッシュ。状況は思ったより悪いかもしれない」

「どういうことじゃ?」


 無意識に声を潜めたアレスにつられて、ガッシュも声を落として僅かに身構える。メレシャは外に出ており家の中には二人しかいなかったが、それでもアレスは周囲を見回して続きを口にするべきかどうかを逡巡した。


 昨夜レティシアが口走った言葉は、それだけでアレスを不安にさせるものだった。それと同時にレティシアを狙う者が誰なのかもはっきりと分かった。

 アレスが思い描く事態に間違いはないのだろうが、レティシアからはっきりとした答えをもらっていない今は安易なことは口にできない。けれどガッシュは知る必要があると判断し、アレスは自分の主観を交えないように、レティシアが口にした言葉だけを抜き取って報告することにした。


「……実は、昨夜」



 ***



 レティシアを連れて一通り村を案内したロゼッタは、最後にお気に入りの場所だと言ってレティシアを村外れの花畑へと連れていった。

 今の時期はルファの花が満開で、花畑は明るい黄色で満たされていた。ルヴァカーン山脈から流れてくる風は爽やかで心地よく、そこにルファの控えめな香りが重なって訪れたレティシアたちを優しく出迎えた。


「とても綺麗な場所ね。教えてくれてありがとう、ロゼッタ」


 レティシアの手を引きながら花畑の中へ進んだロゼッタが、そこに腰を下ろしてにっこりと満面の笑みを浮かべた。


「夏になるとね、今度はリデスの花が咲くんだよ。水色の花でね、咲くと湖みたいに綺麗なの」

「その光景もきっと素敵でしょうね」

「また夏に見に来ようよ!」


 無邪気な言葉にレティシアはどう返事をしていいのか分からず、ただ曖昧に微笑むだけだった。


 美しい花畑と、そこに流れる穏やかな時間。どこまでも晴れ渡った青い空の向こうには、ゆっくりと浮遊する天界の姿が見える。そこにいるであろう兄を思い、レティシアが表情を曇らせた。

 体中に巻かれた包帯を見て、あの夜の出来事が夢ではなかったのだと思い知らされる。空に浮かぶ天界はいつもと変わらずそこにあるのに、内部で何が起こっているのかも、クラウディスが何をしようとしているのかも、すべてが遠く離れて分からない。


「これ、お姉ちゃんにあげる」


 ロゼッタの声が聞こえたかと思うと、レティシアの頭にふわりとルファの花冠が乗せられた。物思いに耽っていたレティシアの思考が現実に引き戻され、青い瞳に明るい笑顔のロゼッタが映る。


「えへへ。やっぱり似合うね! お姉ちゃんの髪、すごく綺麗だから絶対似合うと思ったんだよ。ロゼッタはくせ毛だし色も似てるから、ルファの花は好きだけどあんまり似合わないんだ」


 自分の巻き毛を指で弄りながら、ロゼッタが少し寂しそうに笑った。


「そんな事ないわ。ねぇ、ロゼッタ。作り方を教えてくれないかしら? 私、ロゼッタに花冠を作ってあげたいわ」


 その言葉に見て分かるほど嬉しそうにはにかんだロゼッタが、レティシアの横に座りなおして身近なルファの花を数本手折って膝の上に乗せた。


「えっとね、ここをこうして……」

「……こう?」

「そっちじゃなくて、ここをね……こうやって曲げて」

「えっと……こう、かしら」

「ううん、違う違う。……――お姉ちゃん……不器用だね」

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