ある夏の午後
清水優輝
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雲一つない青い空が遠くまで広がり、木々の葉がさわさわと輝く。
庭園の至るところにある女の裸体の彫像のひとつの前で少女は立ち尽くしている。彫像はローマ風で豊かな肉体が柔らかくい曲線を描き、編まれて後ろでまとめられた髪の毛は女が気品高いことを表していた。頬が丸く鼻は筋が通って唇は強く結ばれている。しかし目は開かれて真っすぐを向いているが何も見つめていない、と少女は感じた。右肩から垂れた布のふくらみが、石なのに、本当の衣服のように思えて、剥いでその下に隠れる乳房を覗きたいと思う。少女はその下に少女と同じものがあるのか知りたかった。
庭園には若い男女がベンチに座って、何か秘密めいた表情で話している。
「この庭園は何十年も前に持ち主が死んで、それからはこうして市民の憩いの場となったのよ」
「春にはピンク色のバラが咲いて、秋になるとここにある木すべてか赤や黄色に染まって、落ち葉を踏みながら散歩をするんだ」
「僕はここよりももっと大きく立派な庭園に行ったことがあるけれど、悪くないね」
少女はカップルの前を通り過ぎて、他の彫像の前へ移動した。そうして汗が流れてワンピースを濡らすのも気にせず、じっくりと彫像を観察し続けている。剥き出しの腕の肌は日に焼けて、すっかり赤くなっていた。
白い髭を蓄えた年老いた男が杖をついて庭園を歩いている。少女が彫像に釘付けになっているところを後ろから声をかけた。
「君は今日も来ていたのか」
少女は振り返り、男の顔を見ると安心したように返事をした。
「ええ、いくら見ても飽きないもの」
男は近くのガーデンテーブルに腰かけると、ポケットからぼろぼろになった文庫本を取り出した。
「”君は今日もそれを読むのか”」と少女が言う。
「”ええ、いくら読んでも飽きないもの”」男は微笑む。
その文庫本は外国の古い小説で、青年が旅に出る物語だった。少女は、男から何度もその物語を聞かせてもらった。
青年は少年の頃から、船乗りに憧れていた。貧しい農家の生まれで、父親の跡を継いで田畑と家族を守らなければならなかった。それでも、海への憧憬を抑えられず、ある日何も持たずに家を飛び出した。南を目指せば海につくはずだった。幾夜も森の中で過ごし、時には野生の動物に襲われて怪我をすることもあった。危険な旅路だった。遂に辿り着いた港町で、すれ違う人々へ青年は夢を語った。「僕は海に出たいのです。何もないけれど、この情熱だけは誰にも負けません。そのために家を捨ててここまで来ました」と。何度も馬鹿にされ、諦めかけていたとき、女性に声をかけられて家で誘われた。食事の際にその女性の夫である漁師と出会い、翌朝には船に乗って夢を叶えることができた。船乗りは楽じゃなかった。想像していたよりもはるかに苦しい仕事だった。それでも青年は満足して暮らした。青年は船の上で人生を終えた。
小説の主人公は生き生きと時を駆け抜けたが、男は生まれたときからずっとこの街で暮らしている。「僕は夢を諦めた。自分の家族が大事だからね」と、男は語っていた。
少女は彫像を眺めていた。少女の夢は彫像を見ることだった。眠りの中でも少女の夢には庭園の女の裸体の彫像が現れる。夢の中では彫像の女たちは動いて、話すことができる。少女は日中、ずっと疑問に思っていることを彫像に聞くのだった。
「ねえ、マダム。あなたのその布の下には何があるの。私と同じ体があるの」
彫像の女は無邪気な少女の質問に失笑して答える。
「さあ、どうかしら。あなたと同じ体がこの世にあると思って」
少女はまともに相手にされず、不満だった。
少女は足が疲れてきたので男と一緒にテーブルの椅子に座り、足をぶらぶらと揺らして休ませる。男が本のページを捲る音と、カップルの話し声が聞こえてくる。時々、虫が飛んできて、男の頭や手にいたずらをする。それを男が手で振り払おうとするときにする不機嫌な変な顔が面白い。彫像も彼らのように動いて、話してくれたらいいのにと少女は思う。
少女の母親は、数か月前に子どもを産んだ。普段は洋服に隠された乳房を、息子のために露わにし、お乳を与える。母親の胸は少女の胸とは違って、彫刻と似ていて、丸くて大きく膨らんでいる。少女もかつてはあれを口に含んだらしいが、赤ちゃんの頃の記憶はさっぱり消えてしまって、小説の中のお話に感じるのだった。
少女はずっと6歳のままで、それよりも小さかったことも大きくなることもないように思えるのだった。ずっと6歳のまま、彫像の女の裸体のような胸の膨らみや腹部の丸さを得ることなく、真っ平な体で生きていく確信があった。誰にも言わない少女だけの思い込みだった。
先ほどまでベンチにいたカップルは立ち上がり、庭園を後にする。
「また、季節が巡ったらこの庭園に連れてきてくれよ」
「もちろんよ、それまで一緒に居てくれたらね」
少女の前にはまだ、夏の太陽が降り注いでいる。
彫像は何も言わず、ずっとそこにある。
ある夏の午後 清水優輝 @shimizu_yuuki7
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