第8話 結露する

今時珍しいくらい仲が良かったのにね。


と、仕事帰りに、高校時代からの親友から連絡が来た。


旦那の方とは中学が一緒だけど、この十数年間、当時不登校だった私と交流があった訳でもなく、親友が奥様と仲が良かったからという理由で、連絡が回ってきた。


親友の六実は電話口で無念の溜め息をつきながら、「そういう別れ方もあるんだなぁ」と、私と同じような思考を張り巡らせていた。


それは訃報だった。私達の年齢で結婚している同級生の中でも一番、いや唯一と言って良いくらい、とにかくお互いを尊重し、助け合い、愛し合っていた。子供は二人。二人目は、まだ二歳だったはず。これらはすべて友人か、SNS経由で知ったこと。

連絡先を知らなかったり直接連絡を取り合わなくても、SNSで近況を知ることが出来るので、そうして皆かつての同級生や初恋の人の投稿を見て「あの子結婚したんだー!」「名前が旧姓に戻ってるってことは、そういうことだよね」なんて噂話のネタにしていた。


奥様は一年前から末期ガンだったそうで、一昨日亡くなったらしい。それは旦那や奥様のSNSにも載っていない、誰も知らない情報で、それを昨日の新聞のお悔やみか、同級生のネットワークで知ることとなった。

「自分の車のナンバーを、嫁の誕生日にしてたんだよ」

「すごいね…」

思わずすごいと口にしたのは、車のナンバーで奥様への愛を示したことにではなく、そんな二人が、離婚などではなく「死」という別れ方をしなければいけないことに対してだった。

普通は、「悲しい」「可哀想」などが相場なのかもしれない。だけど、不意に口に出たのは「すごい」だった。私の中で「死」はあまりにも身近すぎたので、適当な言葉が思いつかなかった。


「悲しい」は弱すぎる。

「可哀想」はどこか上から目線。

どれも適当じゃない。こうやって、いつからか私は、その時の感情を言葉の強さで表現したがるようになった。


「本当に。周りがばんばん不倫したり、別居したり、離婚していく中で、あんなに愛し合ってる二人がこんな目にあうのは、本当に悔しいよね」


私は、「そうだね」とだけ打って、携帯を鞄に放り投げ、忠実子さん家の鍵を出した。

ただいま、と言うよりも先に、今までかつて無いくらいにハイテンションの紳士たちに出迎えられた。

「もー、忠実子さんめぇ」

アルバたちは私の上にのしかかり、「ごはん」と目で訴えている。たしかに、ごはん時間を、一時間はように超えているけれど。


今日は忠実子さんの家には寄らないつもりのない日だったけれど、忠実子さんが編み物の会で家にいないから、代わりに紳士たちのごはんを用意してほしいと、ちょうど3時間前に連絡がきていた。

その頃はちょうど事務処理でバタバタしていたり、とある上司に対し不満の念を抱いていた時間帯だったので、メッセージに気付かなかった私も悪い。


はいはい、と、ごめんね、を行き来しながら、「魔法」ごはんをぺろりとたいらげさせた。

今日は少しズルをした。

忠実子さんが昔よく愛用していた黒い缶詰を入れたのだ。美味しいけれど、高カロリーだからだめだと言ったのは確かに私だったけど、今日は許しておくれ、紳士たち。

「おーえらいえらい。」

と言いながら、私は紳士たちに背を向け、食器を片付け、再び、

ごめんね、と告げる。

「今日はね、もう寄れないんだ。また明日ね」

リオスとブルンカは、呑気にわんわん吠えていたけれど、アルバは違った。

一匹だけ、くーんと鳴いた。

「ありがとう、じゃあね」


畜生。こいつが人間だったら、付き合いたかったなぁ。


「今日の夜、会えない?」

連絡がくるのは、わかっていた。いつも通り同じ場所で仕事を終え、別の場所で待ち合わせて会うつもりだったが、忠実子さんの連絡の都合上、30分ほど遅れてしまった。


気分が重い。あのまま、忠実子さんの家にいれたら。


黒いファミリーカーを見つけ、横に停める。

中で待っている人は、私を見るとニコッと微笑んだ。この場に置いての「ニコッ」程憎たらしいものはない。同時に、どうしようもなく溢れ出る恋心が喉の辺りまで押し寄せてくる。それを堪える事がどんなに辛いか、この関係を始めた頃に知っていればよかった。

「ごめん。待ったよね」

「大丈夫だよ。全然待ってない。」

私が乗車するなり、会いたかった。と言って、私を抱きしめる。そのままキスをしようとしてきたところで、それを振り払う。

「用件は?」と告げると、その問いがさも喧嘩腰かのように捉えられ、

「だから、会いたかったんだよ」

と、緩んでいた笑顔にも、次第に緊張と呆れが表れる。

「会いたい、ですって?」

「あぁ、ごめん。わかった。ごめん。怒らないで、」

「わかった?」

何がわかったんだか。それに、ごめんを二回繰り返す。この状況で言葉を二回繰り返すなんて。どこまでも憎らしい。あれ?この口調、忠実子さんに似てる。だけど忠実子さんのような冷静な物腰ではいられず、むしろ私は敢えて喧嘩を押し売りした。


「それで、言い訳は?昨日、電話にも、メッセージにも反応しなかった理由は?あるでしょう、言えない理由が。私は全部知っているのよ。すべて弁解もせずに、抱擁と接吻で私が機嫌良くなるとでも思っているの?」

「だから、謝ってるだろう、急にキレるなよ」

「だからって何よ。何が「だから」なのよ。」


急に。だから。

一向に答えようとしない彼に呆れ、思わずため息。

彼が答えたくない理由もしっかりわかっている。一+一より簡単だ。だってこれはただの恋愛ごっこで、この喧嘩だって続ける事に何の意味もない。

四年も同じようなやりとりを続けてこられた自身の扱いにも困っているのに、いい歳して若い女一人扱えないこの男にも、困ったどころじゃない。もう、疲れたのだ。

今日はすべて終わるつもりできたのに、言いくるめられてたまるか。


「だから、私は、」

「なぁ、わかるだろ?疲れてたんだよ!上司の接待や、機嫌取りや、家族のわがままや、もう、本当に、色々あったんだよ…!」


お前と会う時間だけが癒しなんだよ。

と、ぼやく。

あぁ、酷く滑稽に見えて、同情すら覚えるなんと、情けない男。


数年前に一般企業に就職し、この男のアシスタントになり、妻帯者と知ってて恋仲になり、「離婚するから」との言葉を信じて早四年。

かっこいいと憧れていたあの頃の姿はどこにもない。

いま横にいるのは、十も離れた、冷え切った家庭には無い癒しの場を逃したくないだけの、器の小さな中年の男だ。

忠実子さんが知ったらどうだろう。男性嫌いの忠実子の事だから、私まで罵られてしまう。


「私はね、昨日、事故に遭ったあなたを心配して、電話をかけたの。そしたら、あなたなんて言ったかしら。いまはやめてくれ、って、声を荒げて、私」

「だから、ごめんって!」


今朝、出勤後間もなく上司から告げられたのは、「上谷君が家族旅行中に事故に遭った」との事。

彼からは、事故に遭ったとの報告は受けていない。もちろん、家族旅行のことも。私は、事前に旅行に出かけるとは聞いていたが、仲間内で釣りに出かけると聞いていたので、当然、混乱した。それは彼も同じだろう。何故私が知っているのか。だけどそれを説明する義理はない。


こんな出来事でも無ければ、この不貞関係の不憫さにも気付けない。

男の発言の浅はかさにも気付けない。

終わらせたいが為にここにいるのに、皮肉なことに、頭の中は、良くも悪くもこの男のことでいっぱいだった。


「今更反省?ふざけないでください。私は、あなたばかりを責めるつもりはない。私も、悪い。あなたとこうして会っていること、誰も許してくれやしない。そう、許されないことなんです。

こんな関係続けてても、私は、あなたの家族と違って、あなたが事故に遭っても、介抱することも、怪我の様子を見ることも出来ない。ましてや、お見舞いなんて、行けると思う?現実を見てください。

…ねぇ、こんな人間に、抱きしめたいとか、キスしたいとか、何故思えるの、」


最後は、縋る気持ちで聞いた。だけど彼は下を向いたまま、黙った。肩は震えているけれど、きっと、私が喋り出すまで、黙り続けるだろう。


「結局私は、あなたに何があっても、何も出来ないことが、よくわかりました。あなたは私の心配を無下にして、自分の家族を守った。それで正解だと思います。大丈夫。自信を持ってください」


あぁ。

誰かの車に乗るって行為、そろそろトラウマになりそう。


そう言って、私は彼の車の助手席から降りる。自車は彼の車の運転席側に車を停めていた。

「愛凛子」と叫び、車の窓を開けた彼の元へ行き、

思い切り頬を叩いた。


せめてドアから降りて、引き止めろ。


帰り道、久しぶりにわんわん泣いた。

母さんたちが寝静まった頃に自宅へ入り、メイクも落とさず、そのまま意識は無くなった。


夢の中でも、彼に呼ばれて、目が覚めた。


目を開けた時、自分が夢の中から、しっかり心臓を動かし、呼吸し、色彩を認識出来る世界へ戻ってきたことを知る。

目頭が熱く、こめかみが痛い。そんなことよりも、お腹がすいた。

母さんの買った消費期限の切れそうな卵が残っていたはず。目玉焼き。塩胡椒たっぷりふりかけたの、食べたい。

レースカーテンの間から差し込む太陽光は、やんわりと視界に入り込み、やがて消えそうなくらいまで薄くなってゆく。今日は曇りなんだろうか。

寝返りを打ち、そのまま背伸びをする。ふと、左腕に細い跡がついているのが見えた。フローリングの溝の跡だ。

安眠の保証が出来る、ふかふかの温かいベッドではなく、無骨で温度のない淋しい色をしたフローリングを寝床にと選んだ理由も、しっかり思い出した。


「あはは、」

思わず口角もあがるってもんだ。

辺りに散らばる思い出の数々も、一緒に買ったフライパンも、写真たても、匂いの染みついたベッドカバーも。いや、ベッド自体も捨ててしまおう。そして、シングルベッドを買おう。広くなったスペースには観葉植物を置いて。思い切りラブリーな部屋にするんだ。


自然と、左腕のあの線の跡は、消えていた。


時計はもう9時を回っていた。窓から駐車場をのぞくと、母さんの車も、良人さんの車も無い。

「あっやば。薬、飲み忘れた」

朝の分。朝ごはんの前だけど、いいや。目玉焼きを食べたら、忠実子さん家に行こう。

アルバたちと、約束したし。

とにかく、メイクは落とさないと。起きた時の肌のざらつきと言ったら、本当に酷かった。

失恋しても、スキンケアはきちんとしよう。

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