第50話 グランドクラックの底で感じた焦燥感

 しかし、グランドクラックの底で感じた焦燥感。そこではすでに前の世界の価値観というべきものが混ざりあっていた。いや奥底に封印されているというべきか? 

 封印なんて複雑なもんじゃない……。時間が経過するだけで、本来、お互いに牽制し合い、睨み合っているべきものが混じり合い新しい価値観が生まれてしまう。

 だから、時間を概念を無効にするために、時間操作ができる勇者と魔王を生み出し、二人が死ぬことで、時間の概念が無くなり、混じり合うことを止めることができる。


「なるほど、この世界はラノベが予言書という訳なんです? それで、この世界の未来はどうなるの?です」

 それまで、黙って俺の聞いていたエムが尋ねてきた。

「それが、勇者と魔王は刺し違えて死んでしまうんだ。それで、グランドクラックの結界が再び堅固になり、千年間、世界の平穏が約束されるわけなのさ(胸糞が悪い!!)」

「勇者と魔王が死ぬ――。なのに平和が約束される?」

 俺の言葉にマリーは合点がいかないという風に首を傾げた、

 ただ、エムだけは訳知り顔だ。いや、この話は初めてするはずなんだけど?


「闇属性と光属性……、それは時間に係わるだけじゃないんですよね。本来、量子論で存在しない時間という概念が認識されるのは、エントロピーの増大を過去から現在そして未来への流れと認識するからなの、です」

「うん、エントロピーの増大の法則によって、未来を予測することが出来る。秩序(コスモス)から混沌(カオス)へと変化していくんだ……」

「その秩序(コスモス)から混沌(カオス)へと時間経過とともに、何が混じり合うかというのが問題なんですが?です」


「えーっと、時間が流れるってそんなに難しいことなの?」

「サリーのいう通りです。一般的な人たちは時間を必要とします。でも、よく考えてください。時間が必要な場面って仕事においてだけなの、です」

「確かに……。生きることのみに生活を削ぎ落とすと時間って必要ないかも」

「サリーの言う通りなの、です。昨日より今日、今日より明日、自分を高めなければならないという強迫観念が、業績主義や能力主義とかの競争主義を生み出したなの、です」

「だから、人族は進歩しなければならない。理想を現実に変える力があると勘違いさせられているんだよ。前の世界の俺もそうだった。それこそ、理想を現実に変える理性が支配すべきと云いたかったんだろうけど、グランドクラックの底で理性の正体を教えられたんだ」

「本当の理性って?」

「マリー。――理性っていうやつは人間だけが持つ欲望なんだよ。競争社会で生きる指標、生まれ落ちた時から身に着いた不自由な価値観って奴なんだよ」


「そんな……、理性は本能を抑える人としての大事な良心のはず……」


「俺もそう思っていたよ。でも、それは本能と理性が秩序だっていて、混沌とする前のこの世界の話だな。俺がいた世界では理性が本能にいつの間にはすり替わっていた」


 サリーやマリーは理解できないという顔をしていたが、エムは頷いている。

「マリーあなたはダイエットをしたことがありますか?です」

 いや、いいところなのに、なに関係ないことに話題を振ってるの?

 エムの唐突な質問にマリーも首を傾げる。

「まあ、はい……」

「じゃあ、あなたは本能に従って食べ過ぎるから、理性でその食欲を抑えようとしてるわけ、ですね」

「うーん、そういうことになるのかな?」

「動物って食べ過ぎることはありませんよね。必要な分だけ食べて肥満になることも無い、です。それは理性による行動なんですか? 違いますよね。動物って本能に従って行動しているだけ、です。本能むき出しの動物は食べ過ぎることも無ければ、意味なく殺し合うこともありません。です。

 ――どうです? 無駄な買い物だってそう、です。人って人だけが持つ欲望(理性)を理性で抑え込もうとする、とんでもなく無駄で、そして無意味で、損なことを自分に強いているの、です。食べすぎるのも、無駄に買い物するのも、その無駄を美化するのも、殺し合いを正当化するのも、本能ではなくて理性なんです。

 それを理性で抑え込むことを、理性的な振る舞い、理性的な判断として、人は正しいと信じ込んでいるんです。なんと不幸な選択なの、です」


「「……」」

 サリーとマリーはエムの例え話に黙り込んでしまった。まだこの世界は俺のいた世界ほど本能と理性は混とんとしていない。まだ本能からの声も聞こえるし、本能に委ねているところだってある。魔族を恐れるのは純然たる本能だろう。


 でも、前の世界では本能の声は届かない。本能に委ねることを拒否し、自分で正悪を判断し、自分で自分を律し、自分たちのルールで生きて行く。それがあの世界の人間なんだ。


「俺がラノベで理解したところも同じようなことだ。魔族は本能を司っていて、人族は本能からくる本質を恐れてそれを理性で抑え込もうとしている。

 魔王を恐れ、勇者を召喚する。これは宗教うんぬんじゃなく、心の底から来る畏れだな。

 そして、本能と理性は時間の流れとともにエントロピーを増大させ、本能と理性が混じり合い混とんとなる。そして、いつの間にか理性は本能とすり替わって、人にしかできない価値観を生み出し、同時に人にしかできない愚かさを生みだすようになる」


 エムは大きく息を吐きだした。

「ふーっ、だから集合的無意識は闇属性の魔王を光属性の勇者を激突させ、時間を操る二人の死亡で時間の概念を無くし、エントロピーの増大の流れを止め、この世界を振り出しに戻すのが狙いなんですね、です」

「それって、この世界はその集合的無意識って名の神のただの実験場ってこと……」

「そ、そんな、私たちはモルモットじゃない。ちゃんとみんな生きてるのに……」

 絶望に歪むマリーとサリーに向かって、俺は中指を立てた。

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