第10話僕の力

「『忘れられる権利』?知らない。今は知らないことはすべてネットで答えが出てくるから」


「じゃあスマホで調べてみてください」


 僕はスマホを取り出し検索ワードで『忘れられる権利』を調べようとした。『圏外』。地下三階に電波は届いてない。


「無理だよ。『圏外』になっちゃってる。でも今のは『タカリ屋さん』の意地悪だろ?」


「すいません。ちょっと意地悪でした。この部屋に地上からの携帯やWiFiの電波は届きません。この部屋でネットを使うにはパスワードが必要になります。もちろん、それで繋げばラインも使えます。話を戻します。『忘れられる権利』とは簡単に言えば『ネットに書かれた個人情報を消してもらう権利』のことです。最近は最高裁まで争った判例があります。児童ポルノの罪で逮捕された人間が罪を償った後、自分のことをネットに検索をかけても出てこないようにするよう大手検索サイトを相手取って行われた裁判です。これに関連して『サムの息子法』と言う法律がアメリカには存在します。ニューヨーク州が初めてですね。これは『罪を犯したものがそれをもとに手記や作品などを世に出した場合、それで発生した収益は被害者遺族が手にする』と言う法律です。人は二度殺されることを知ってますよね?『物書きさん』」


「それはよく知っている。日本でも犯罪者が手記を出して大金を得ることはあったし」


「凡人の拙い作文が大金になるんですよ。この国は」


 僕は次の言葉が出てこない。げっぷを挟みながら『タカリ屋さん』は相変わらず表情を変えずに。百パーセント『正しい』ことを言っている。


「話を戻します。この国では『表現の自由』が今でも守られています。それは例え『残忍な犯罪者』のものでもです。それに唯一対抗出来るのが『忘れられる権利』です。昔は時間がそれを忘れさせました。でも今はネット時代です。真偽問わずネットに書かれたことはそれを管理するものが削除しない限り残るのです」


 『物書きの端くれ』である僕の頭に、ある一つのストーリーが。それを口にするのはとても勇気のいることだった。


「『タカリ屋さん』のお兄さんはひょっとして」


「はい。その通りです。ネットでありもしないことを悪意ある人間から書かれ、それを見てしまいました。そして病んでしまいました」


「そしてこの国が裁かないから『脱がし屋』を始めた、そうだね」


「はい。その通りです。君の言葉です。『人が人を裁く権利なんかない』。立派な言葉だと思います」


 僕は昔から自分自身、強く持ってきた信念を揺さぶられている。僕の信念は視野が狭すぎるとも思った。


「さっきの僕の言葉は訂正するよ。いや、保留だ」


「保留ですか?」


「そう。今までの僕は視野が狭かった。それは事実だ。そして『人が人を裁く権利なんかない』と言う考えも今は言い切る自信がない。『タカリ屋さん』のお兄さんのことを考えると、僕なんかが軽々しく主張出来ることではないと思う。でも、人間はどんな人だってやり直せると信じたい。例え犯罪者であろうと己の過ちを認識し、心から反省し、残された時間を、そんな『甘い』ことを僕は考えてしまう。だから『脱がし屋』が嫌いなんだと思う」


「確かに『甘い』ですね。『甘すぎ』です。『おお甘』です。だから薫君。君の力が必要なんです。もう分かりませんか」


 分からない。『タカリ屋さん』やそのお兄さんから見れば僕はただのお子様だ。


「『正直者が馬鹿を見る』と言います。薫君は一本のコーラに百万円払うはめになる人なんです。ただ、君の言葉。『匿名』の言葉はとても正直です。そして君の言葉はとても『優しい』。君の言葉はいつか暴走する僕の兄を止めてくれるんじゃないか、と。僕は君の存在を知ってから、言葉から、それを感じました」


 インターホンのような音がして先ほど、『タカリ屋さん』が『母上殿』と呼んでいた女性の声がした。


「ご主人様。お茶菓子をお客様にお持ちしたいのですが」


「『母上殿』。お願いします」


 インターホンのモニターの画面を確認し、手元にあるリモコンで画面を切る『タカリ屋さん』。


「僕の力が『タカリ屋さん』のお兄さんのためになるなら。僕は覚悟を持って『タカリ屋さん』に協力しよう。ただ、一つだけ僕にも条件がある」


「条件ですか?なんでも言ってください。それは『物書きさん』としての条件ですね?」


 『タカリ屋さん』が笑顔になるのが分かる。


「そう。これからの経験を僕は一つの『物語』として綴るかもしれない。僕は『書きたい物語を書く』。僕にその『表現の自由』を最初に認めて欲しい」


「僕の兄のことも場合によっては、ですね。いいですよ。それも織り込み済みです」


「じゃあ、まずは君の『母上殿』についてだ。その前にラインメモ帳が使いたい。この部屋のWiFiのパスワードを教えてくれるかな」


「もちろんですよ」


 『タカリ屋さん』がそう言ったとき、ドアをノックする音が聞こえた。

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