最終章 死と業火の果てに
X1
幾百もの火の粉が奴との間を通り過ぎた。
それでも奴との視線が交差していたのは数秒に満たなかっただろう。死にかけの獲物に牙を刺す獣のように、ヴォルナードは唇を捲りあげた。
「……人間」
ゆらゆらと揺れながら奴は俺の方に向き直る。
「オイオイオイ……死んだかと思ったぜェ……なァ」
「……あぁ、確かに死んださ。一度な」
「そうかァそいつぁ良かったぜ…………じゃあ死ね」
奴は自分の額の王石に拳を叩きつけた。それと同時につくもの体が宙に投げ出され、拳大の石が二つ、俺に向けて撃たれた。それを待たずして俺も奴に向かって飛び出す。
真っ赤に熱せられた石が寸分違わず俺の頭と心臓を打ち抜いた。脳をすり潰したそれは勢いを緩めず、はるか後方に飛んでいく。
そして俺は、そのまま勢いよく駆け抜ける。
「……ァン?」
怪しげに眉を潜めた奴の横を抜け、俺はつくもが地面に落ちる前に抱きかかえた。
「……央真、さん?」
「あぁ、俺だ。遅くなって悪かったな」
彼女は不思議そうな、でも嬉しそうな顔で俺を見上げた。全身が焼けこげ、普段からは想像もつかないほど弱り切った様子の彼女にそれでも笑顔を返す。
「なァ……感動の再会はいいけどもよォ……ちっとばかし帰って来んのが遅くねェかァ……ッ!? わかってやってんのかァ!? なァ!?」
奴が激高する理由はその足元に転がっている。真っ二つに折られた松明が無残にも転がっていた。とうにその灯は消え落ちていた。
「見ろよ、おい、テメェが死んでる間に決闘が終わっちまったんじゃねェかァ!? どうなっちまうと思ってんだ? まさか引き分けとでも言うんじゃねェだろうなァ!? このオレが! 人間と!! どうすんだァ!? テメェの四肢焼き切っても納まりつかねェぞァァッ!!」
ヴォルナードの全身を覆うように灰の閃光が王石から噴出する。まずい、このままだとつくもを巻き込まれる。だが炎がどこかから飛び出す前に突如沸き上がった黒煙が周囲を覆い隠した。
「央真! こっちだ!!」
俺はつくもを抱えたまま反射的に声の方へと向かった。そのまま木立の中にいる彼の元へと滑り込んだ。
「助かった、リスト」
彼も相当にやつれていた。どこか骨でも折れているのか動くたびに顔をしかめている。意識もはっきりしないつくもをそのそばに静かに横たえた。
「まだ煙幕弾の残りがあって良かったよ。今のでありったけを使っちまったがな。でも……本当にお前、央真なんだよな」
それに頷くと彼は複雑そうに表情を歪めた。
「閻魔大王の……その、やっぱり駄目だったのか」
全く、こんな時にもなって一番に心配するのがそれだなんて。だが、だからこそ助けに来た甲斐があるというものだ。
「いや、このアホのアホみたいな作戦はうまくいったよ。人間界には無事に行けた。だけど戻って来ちまった」
「戻ってきたぁ!?」
ただいま絶賛魔王強襲中なのも忘れたのか、リストは呆気にとられたように場違いなほど間抜けな表情を浮かべた。しかしそれも辺り一面の地面が次々と爆音を立て始めるまでだった。奴が黒煙を払おうとしているのだ。
「細かい説明は後だ。まずはアイツをなんとかしないと」
「なんとか、って……。奴に手も足も出ないのはさっきまでのでわかりきってるじゃねぇか」
「いや、今なら……コイツなら、もしかしたら……!!」
木立の近くの地面が火を噴いた。その明かりに右手のひらをかざす。リストはその中指の先、爪があった場所で煌めく赤い宝石に目を止めた。
「お前、それ……!?」
「そういうことだ。上手くいくかは五分五分、ってところだが……やってみる価値はある。ただ……」
また近くで爆発だ。さっきよりも随分近くなっている。燃え上がった黒炎の先が顔を撫で、前髪がジリジリと焦げた。怒り狂った奴は周囲の地形を変えてでも俺達を逃がさない気だ。煙幕弾の煙ももうだいぶ薄くなってきてしまっていた。
「こう所構わず爆破されて嬲り殺されたんじゃあ話にならねぇ……なんとか隙を見て奴の近くまで行きたいんだが……」
「正気か? わざわざ奴の懐まで入るって……」
だが俺が至極真剣なのを見て取ったのか、リストは思案するように眉を潜めた。
「……奴の
「いや、できるかもしれない。俺達には無理でも……」
そして俺は未だ黒煙の立ち込める先のある場所を見る。そこにはまだ、彼女がいるはずだ。
俺の視線から察したのか、リストは奇人でも見るような目を向ける。
「お前……本当におかしくなっちまったんじゃねぇか? それともさっきまでの事全部忘れちまったのか?」
「覚えてるさ。だからこそだ」
リストはまだ何か言おうとしたが、すぐに口を閉ざした。
「好きにやりゃあいいさ。どうせこのままじゃ逃げきれないんだ。つくものことは任せろ。こいつを抱えて逃げ回るくらいのことはまだできるしな」
「……ありがとう」
俺が茂みから飛び出そうとすると、リストは躊躇いがちに声をかけ引き止めた。
「なぁ。……本当に良かったのか」
彼が何を言っているのかはすぐにわかった。おそらく大体のことは察しがついているんだろう。
「あぁ。ダチを守るためだからな」
リストは一瞬虚を突かれたような顔を浮かべ、それから角をがしがしとかいて長い呻き声をあげた。
「だーーーーもうっ! いいか、俺と仲良くしたいならそのこっぱずかしいことを堂々と言うのをやめてくれ!」
俺はそれに笑い声で返した。
「そこで寝てる奴の馬鹿正直が移っちまったんだよ」
「お前はつくもが持ち込んだ厄介事の中でもとびきりだよ、ほんと」
その声を背中に俺は木立から駆け出した。
黒煙の立ち込める中を一気に駆け抜ける。途中何度も足元が爆発し、その飛礫が肌を刺した。だが立ち止まるわけにはいかない。危ないのは彼女も一緒なのだ。
こっちの方向で合っているはず。だが彼女の姿はない。そのうちに周囲の温度が急上昇を始めた。身構える間もなく奴のいる方向から一瞬轟音が響いたかと思うと、閃光とともに皮膚を焼き焦がす熱波が体を吹き飛ばした。周囲の空気さえ超高温に熱せられ喉と肺が焼き付く。
「小細工は終わりかァ……人間……」
黒煙をまとめて吹き飛ばしたその爆心地、奴はゆっくりと俺に焦点を定めた。
時間稼ぎもここまでか……。だが煙を払われてよかったことが一つだけあった。そう遠くない場所に腰を落とした彼女が見つかったのだ。
だが、奴も同じように見つけていた。その口端が歪に持ち上げられる。
「ちょうどいい、腐れ魔女共々燃え尽きろ」
ヴォルナードの王石が光を放つ。構えた腕は彼女に向けられていた。噴き出した黒炎が届く前に俺は庇うように体を滑り込ませた。背中が燃え上がるのに歯を食いしばりながら彼女に語りかける。
「……よっ、大丈夫か? って、そんなわけないよな」
「央真、様……」
マリナは虚ろな目で俺を見上げた。
彼女も全身を痛めていた。何度も奴の攻撃に巻き込まれたのだろう。小綺麗だった彼女の服も今や血で汚れきり、整えられていた髪も煤や泥まみれだった。それでも逃げることもなく無気力に地面に座り込んでいたのだ。
奴の撃ち込んだ岩が俺の脇腹を食い破って地面に落ちた。それを見て彼女はようやく今の状況を飲み込んだようだった。
「グッ……ゥ……」
「お、央真様……ッ!? 何をなさっているんですか!? もう決闘は終わったんです……早く逃げてください……ッ」
だが俺はその場を一歩も動かなかった。両足で必死に地面に食らいつく。
「そういうわけにもいかない。……俺はマリナと話がしたいんだ」
「話……? もう話すことなんてないじゃないですか……。私はあなたを裏切って、そして彼に捨てられた……。もう私には魔女としてのプライドも何も残っていない……何も……。話すことなんか……」
「違う!」
業火が肉を焼き、岩の飛礫が骨を砕いた。俺は膝をつく。けれど声は止めはしなかった。
「俺はまだマリナの言葉を聞いてない」
「私は既に言いました。魔女としての矜持を……」
「そうじゃないんだ。魔女がどうこうなんて、プライドがどうこうなんて俺には関係ない! 知ったことでもない! 俺はマリナの……マリナ自身の言葉を聞きたいんだ」
奴が俺達の方に歩み寄ってくる。高笑いと、炎の壁と共に。すでに俺達は黒炎の渦中にいる。それでも俺は彼女の肩を力強く掴む。
「お前が笑われ後ろ指を差されるんだったら、もう居場所がないって言うのなら、俺がお前の居場所になってやる!! だから本当の気持ちを教えてくれ!! ……じゃないと俺は、手を差し伸べられない」
「私、は……」
彼女の目から一筋、涙が零れ落ちた。
「本当は、もっと穏やかに事を済ませたかった……。決闘で、あなたを魔王に負かせる……それだけだったの。でも、私が気付いた時にはすでにヴォルナードは独断で動き出してしまっていた……結局、あなたの命も、あの町でさえ巻き込むことになってしまった……私にはもう、止められなかった……」
嗚咽交じりに言葉を重ねる。彼女の体は震えていた。
「こんなことを今さら言ったって、信じてもらえないのはわかってる。許されないのはわかってる!! ……でも私、あの町を巻き込みたくはなかった……それは本当なの。私が初めて、楽しいと思えた場所だったから……!! 私、楽しかったの。あなたと、央真様と過ごして、魔女ということを忘れて穏やかな時を過ごせたのが……!!」
もうすでに、俺達は呼吸をするのも難しくなっていた。彼女の姿が揺らめく。俺は俯いてしまった彼女に囁くような声で尋ねた。
「それで、マリナはどうしたいんだ……?」
そして、彼女は顔を上げ、
俺の、胸から、腕が生えてきた。
「ぐッ、ゥ……」
彼女の目が驚愕に見開かれる。その手は勢いよく引き抜かれ、俺は地面に倒れ込む。腕に付いた血を払って、ヴァルナードは俺を地に組み伏せた。
「どうやら、魔女にはフラれたみてェだなァ」
彼女の姿は蜃気楼のように揺らめいて消えていた。奴はゲタゲタと笑い声をあげて俺の体を蹴り転がした。
「魔女を手中に収めりゃ勝てると思ったのかァ? 人間の考えそうなこった。テメェとオレじゃあレベルがちげェんだよ。魔女一人でどうにかなる差じゃねェ」
「そいつは、どうかな……」
俺は体を起こす。すでに胸を貫通した穴も、焼け焦がれた火傷の痕も、ない。
「ァン? さっきもだが、テメェなんか妙な事してんなァ?」
それに答えることもなく、奴を睨みつける。
「チッ、ウザってェ……だったらこいつはどうだァ!?」
足元が三度爆発し、俺の体は宙に投げ出された。その威力はたった一撃で俺の下半身を消し炭にしていた。そして何度も、何度も、俺の体は爆撃に呑まれる。
「カハハハハハハハハッッ!! 何を身に着けたか知らねェが、羽も付けてもらうんだったなァ!!」
体が巨大なクレーターの中に落ちる。
そして俺は、
立ち上がって、
奴の方に歩き始めた。
「……テメェ、マジで何してやがる……」
それにも俺は答えはしない。ただ、奴に向かって歩みを進めるだけだ。
「クソッ!! その目でオレを見るんじゃねェ!! なんでテメェの顔を見てるとこんなにイライラするんだ!! なんでこのオレがこんな人間のクズごときにイライラさせられなきゃなんねェんだァッッ!!」
奴は激高して足を地面に叩きつけた。それだけで大地に亀裂が入り、そこから炎が噴き出す。
「こうなりゃ一発で終わらせてやらァ!! 焔獄魔王にケンカを売った事地獄で後悔しやがれァァァッッ!!」
奴は拳を王石に叩きつけようとした。そして、
「マリナ! 今だッ!!」
「『
三頭犬の牙がヴォルナードの腕を貫いた。
「んだとォッッ!?」
奴の背後に姿を現したマリナは、深緑の光を輝かせ糸を引くようにして三頭犬の頭を動かした。
「私は、コイツが許せません。身勝手だとしても、私の気持ちを、あの町を踏みにじったコイツが憎い……一発、叩き込まなければ気が済みません……!!」
彼女の目はもう濡れてはいなかった。決意を持った視線で俺に微笑みかける。俺はまた一歩踏み込んでそれに答える。
「わかった。それがお前自身の気持ちなら。俺がその望み代わりに叶えてやる……!!」
ケルベロスの巨大な顎は奴の両手と胴体をその無数の牙で磔にしていた。だがヴォルナードはそれに痛みも感じないように吠える。
「テメェらァッ!! ふざけてんじゃアねェぞァ!! 腐れ魔女に人間のゴミがァ!! このオレが!
ヴォルナードが轟くような咆哮を上げた。奴の顔面に血管が浮かび上がり、その姿が異形のものへと変わり果てていく。
その口からドス黒い炎が嵐のように吹き荒れた。その炎が周囲を、俺の全身を焼き尽くす。
だが、俺は一歩、踏み込んだ。
「な、にィッ!?」
一歩。また一歩。炎の中、奴の方へ進んでいく。
「テメェは、死なねぇだけじゃねェのかァ!? オレの炎を耐えるなんて……焼き殺すより速く体が再生するなんてことは……ッ!!」
「違う」
俺は口を開いた。そこから炎が入り体内を焼き尽くす。
「俺の
手のひらの王石が深紅の光を放ち、奴の驚愕に染まった顔を照らした。
「『
その王石はひたすらに輝いているように見える。明滅していることにも気づかせないほど、速く。
「……確かにお前は強い。人間なんかじゃ手も足も出ないよ。悔しいことに、ほんの一瞬だってその炎には耐えられない。お前の言う通り、人間は弱すぎるからな。……でも、だからこそこの
俺はまた黒い業火の中を一歩踏み出す。意識は薄れかけても、倒れるように足を出す。
「これは俺が死ぬことを発動条件にして、『魔界に俺をもう一度生み出す』
「生み、出す……!?」
「あぁ、傷一つないまっさらな状態で、だ。だから俺は死体になった瞬間に無傷になる。そして、こうして、動ける」
意識が途切れては鮮明になる。0と1を繰り返す体を、死ぬまでのほんの一時だけ、俺は動かす。
「ンだと……んなわけ、んなわけあるかァッ!! それじゃあ延々と死の苦しみを味わってるってことになるじゃねェか!! テメェ感覚が死んでんじゃねぇのかァッッ!?」
「感覚は死んでないさ。痛いし、苦しいよ」
それは永劫の死の苦しみ。死んでは生き返り、また死ぬ。俺は焼き殺され、嬲り殺され、叩き殺される。想像を絶する痛みを一瞬のうちに繰り返す。
また、俺が死んだ。もうそれが体内に炎が入り込んだからなのか、肌を焼かれた痛みからなのか、酸素がないからなのかはわからない。そう、痛いし、苦しい。
だけど。
だけどそれは、今まで居場所のなかった痛みに、誰からも受け入れてもらえなかった苦しみに比べれば、耐えられないほどじゃ、ない。
希望がないわけじゃ、ない。
俺の前に苦しむ道しか用意されていないというのならば、俺は誰かの為に苦しんでやる。誰かの分まで苦しんでやる。
死んでは生き返り、肉体が朽ち果ててはまた新たに用意される。その度に一歩ずつ、ほんの少しずつだとしても、俺は奴に近づいていく。
「ふざけんな……ふざけんなァ!! それ以上こっちに来るんじゃねェッ!! その顔でオレを見るなァッ!! 畜生ッ近付くんじゃねェッ!! そんな滅茶苦茶な
「あるさ」
ヴォルナードは一層の業火をまき散らす。だがそれはもはや恐怖していることの裏返しでしかない。俺に苦しみを、死を与えるだけで、歩みを止められることは決してない。
「例え苦しんでも……命を落としても……俺は絶対に止まらない、諦めない……! それは弱い俺だからこそ与えられたたった一つの希望……!! 諦めない限り決して負けない能力。それが……それが俺の
「クソァァァァァァァッッッ!! こんな奴に!! こんな奴にァッ!!」
炎を振り払う。そこには恐怖に怯えるヴォルナードの顔があった。彼と目が合う。それはもう侮蔑の視線なんかではなかった。ただただ恐怖に怯える愚者の物だ。
あぁ、そうだ。きっと今の俺は恐怖の対象でしかない。俺の顔面は焼き剥がれ、生誕し、融解し、また生まれ変わる。それが無限に繰り返されるその様は、その顔は、まさに恐怖の魔王なのだろう。
だけど、ダチを守る為なら、俺は魔王にでも何にでもなってやる。
「人間のくせに……ただの人間のくせにィィッ!! ……なんなんだ……なんなんだテメェはァァァァァッッッ!?」
「俺が何かって?」
ようやく、奴の所に辿り着いた。
俺はなんなのだろうか。
愚者? 人間? 時ヶ崎央真? いいや違う。今名乗るべきもの。そんなの決まってるじゃないか。俺は――。
「俺は……顔面魔王だ!! 覚えておけ!!」
そして燃え盛る業火を拳に纏い、炎の持ち主の顔面へと叩き込んだ――――
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