第10章 過去と今の選択に
10.1
目の前に美女の顔があった。
「うわぉあ!?」
俺が勢いよく後ろにひっくり返ると、直前まで座っていた椅子は背もたれを地面にぶつける前に霧散した。
「……あら、起きたのね……」
「……何してるんすか」
「いえ、相変わらず……信じられないくらい恐い……顔だなって……」
この人もどうやら相変わらずブレていないようだ。すでに飛び散ったはずの心臓が激しく高鳴るのを不思議に思いながらも、その女性に目を向ける。
「お久しぶりです、閻魔大王」
「ふふ、久しぶりね……」
閻魔大王。死んだ俺を魔界に送った張本人である、白銀の髪と衣を携えた超マイペース美女。俺に生き返りのチャンスと不死の指輪を授けた人物でもある。
周囲を見渡すと、そこは物も音も果てすらも無い真っ白な世界。そこに佇む彼女を見据えて、自分は確かに再び命を落とし、死後の世界にやってきたのだと確信する。
その無音の世界に自分の呼吸と、彼女の白い装束が僅かに立てる絹擦れの音だけが浮かんでは消えることで、自分の気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「……俺、無事に死んだんですね」
「えぇ、あなたは無事に死んだわ」
彼女の口ぶりからして、きっと閻魔大王は見ていたのだろう。無事に、なんて言葉が付くべきなのかはわからないが、あの土壇場で最後の手段としてそれを選んだのは他ならぬ自分だ。
最後の選択、つくもが見つけ出した奇策。俺は自らを「殺す」ことでヴォルナードの出した「時ヶ埼央真の討伐」という試練を自分で突破して見せたのだ。
その策をつくもがいつ思いついたのはわからないが、きっと彼女もあの寸前までは思いついていなかったのだろう。何せ「自らの死」という成功と失敗の両方のトリガーを同時に引いてしまったのだ。それが許されるかどうかなんてわからない。
わかるのは、目の前に立つ閻魔大王だけだ。
「……あれはセーフに入るんでしょうか?」
俺の躊躇いがちな問いに、彼女は優しく微笑んだ。
「正直……私にも予想外だったくらいの、方法だわ……。……でも央真君、頑張ったものね……セーフにする、わ……」
その言葉を聞いて、俺はばったりと倒れ込んだ。体に力が入らなかった。長い、とても長い魔界での苦難が実を結んだのだ。しばらく仰向けで何も映らない白い天を見つめていた。
「魔界で、随分と色々な経験を……したみたいね……」
「えぇ、おかげさまで。魔界に送り込まれたおかげでとんでもない苦難の連続を体験しましたよ」
「ふふ、スリルと危険とデンジャラス……魔界は良い所よね……」
ふむ、やっぱりこの人とは時間をおいても価値観が合わないようだ。
「……そういえば、娘さんにも会いましたよ」
「あら、リッカに……会ったのね……。可愛い子、だったでしょう……?」
「そうですね、あなたに似てはいましたけど、素直で可愛らしい子でした」
お母さんと結婚するとか放置プレイとか、若干言動が怪しくはあったけど。
「央真君でも、譲らないわよ……? あの子が大きくなったら……私が結婚、するんだから」
「性格の歪みはお前直伝かよ!?」
まさか放置プレイの方も本気じゃないだろうな、と疑いながら飛び起きる。彼女は俺の心境はいざ知らず、穏やかな表情をしていた。
「央真君とお話ししているのは……楽しいわ。……けど……そろそろ切り上げないと、ね。あなたも……そろそろ人間界に、戻りたい……でしょう……?」
一瞬、何のことを言われたのかわからない自分がいた。ずっと遠くに見ていた目標の目の前に来ているのだと気付けなかったから。そうだ、頑張ったというのならそのためなのだった。人間界に生き返る。それが俺が頑張ってきた理由。そして魔界で思い出した、その延長線上にある理由。
「そう、人間界に……生き返らせてあげる、わ……。それも……ちょっと、オマケも付けて……ね」
「……オマケ?」
「えぇ、央真君……予想以上に苦しい思いを……してた、から……私も少し、申し訳なく……なっちゃった……。だから……生き返らせるついで、に……普通の……容姿に……してあげる……」
その言葉を、その意味を推し量るのにしばらく時間がかかった。その意味を理解してからも、俺はどうしても声が出せなかった。その荒い呼吸が静まるまで、閻魔大王は静かに待っていてくれた。
「それは、つまり……俺は普通の顔の、普通の人間になれる、と……?」
「そういうこと……よ。因果律の……操作、だから……反映に時間は、かかる、けど……人間界で一月もすれば……あなたは、一般的な顔で……生きてきたことに……なるわ……」
俺は思わず自分の顔を抑えた。その手が震えていることに気付く。俺を苦しませ続けた、この恐怖しか生まない顔と別れを告げられるのだ。それは俺が生まれて来てから幾度となく思い描いた願いであった。
「本当に……そんなことが……」
「あなたは、苦しみ続けた……もの。そろそろ……幸せになっても……いい、わ」
俺は何か感謝を述べようとしたが、うまく言葉にまとまらなかった。それでもその様子から閻魔大王は気持ちをわかってくれたようだった。
「……それじゃあ、あなたを……生き返らせる……わね」
彼女は流れるように手をかざした。だが、俺にはまだ心につかえたままの事があった。
「ちょっと待ってくれ、閻魔大王」
俺の声に彼女は開きかけた口を閉じた。
「その、ここまでしてもらって厚かましいんだけどさ、もう一つお願いがあるんだ。今魔界で俺の恩人が、つくもとリストが危ない状況なんだ。あの二人を助けて欲しい……頼む!」
「それなら……心配ない……」
深く頭を下げた俺に彼女は声の調子を変えず優しく声をかけた。その返事に俺は心を躍らせる。
「それじゃあ……!!」
「いいえ、私は何も……しないわ」
彼女の顔を見つめる。閻魔大王は先ほどまでの柔和な微笑みを携えたままだった。けれどその言葉は俺にとっては優しくはないものだった。
「だって……それが魔界、だもの……。央真君は……人間界の人、だから……納得できない……かもしれない、けど……それが魔界の、普通。あれくらいの……こと、なら……魔界では……些細なこと……なの……」
「でも、あいつらにはずっと助けられてきたんだ……!!」
「魔界の人……なら、ちゃんと……理解しているはず……だわ。魔界が……そういう場所、だと。あなたを……送りだすのは……そういうこと……だと……。諦めがついている……わ……」
それでも何か言い返そうとする俺の顔に、彼女はそっと手のひらを添えた。そして俺の顔を撫でると、その手のひらをささやかに瞼の上へ被せる。
「あなたはもう……わかっている、はず。あなたに……できること、は……その分幸せになる……こと、だと」
真っ白だった世界が、今は彼女の手によって暗闇をかけられている。俺は次第に眠くなってきていることを意識する。
「それじゃあ……ね」
待ってくれ!
それが声になっているかどうか、俺にはわからなかった。
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