9.5

「マリナが……首謀者……? 何を、言って……!?」

 俺には奴の言葉が何を意味しているのか理解できなかった。マリナがすぐに誤解を解くのを、間違いを正してくれるのを期待する。なのに彼女は俺の伸ばした手をすり抜け、何も言わず奴のすぐ横についた。

「簡単なこった。全部この魔女が仕組んだことなんだよ。コイツがオレに人間の存在を知らせ、討伐を頼み込んできやがったんだ」

 そんな、そんなはずはない。彼女は今の今までヴォルナードから逃げるのに手を貸してきてくれたのだから。

「馬鹿を、言うな……。マリナはお前から俺を守り続けてくれていたんだ……!! それが、首謀者? お前は間違っている。なぁ……マリナ」

 それならば何故、彼女は黙っている。俺の方に駆け寄ってきてくれないのだ。俺が気付いていないだけで、これも作戦のうちなのか? 彼女なりの時間稼ぎで、窮地に立った時に助けてくれようとしているのか? だが、俺は混乱する思考の隅でも冷静に考えている自分に気付いていた。確かに、誰かが情報を漏らしていないとあり得ない状況が何度もあったのは確かだ、と。

「……央真様、悪い事は言いません。指輪を外してください」

 マリナの声には感情がこもっていなかった。ただ淡々と、奴の横で俺を見下しているだけだ。

「カハハハハハッッ!! 滑稽だなァ人間。テメェは本気でこの魔女を信じてたっつうのかァ? 守り続けてくれたァ? なら今度も守ってくれって頼んでみろよ! ほらよォ!!」

 再び、俺の体が炎に包まれる。俺の喉は意味のないことだというのに悲鳴を絞り出す。体の下の地面が爆発を繰り返し、俺は何度も宙に飛ばされては、地面に叩きつけられる。

「グッ……ガ、アッ…………ッッ!!」

 そしてまた黒く燃え盛る煉獄に閉じ込められる。俺はその炎の先に、彼女の元に手を伸ばしたが、マリナはそれを冷たく見つめるだけだった。助けてくれないというのなら、本当に、本当に奴の言う通り彼女が元凶だというのか。

「どうして……俺はマリナを、仲間だと……」

 炎が消えむせ返るように呼吸をしながらも、それでも抑えきれずに出た言葉に、彼女は僅かに眉を動かした。

「仲間……? 仲間ですって? じゃあ……その仲間に秘密を隠してあざ笑っていたのは誰なんですか……!?」

「あざ笑ってなんか……!!」

 だが彼女は俺の言葉には耳を貸さず、自らの言葉に火を付けられたように段々と語気を激しくしていく。彼女自身がその感情に驚いているように、目を見開き、拳を握りしめ。

「どうしてですかって? そんなのあなたが人間だったからに決まっているじゃないですか!? 私は魔女!! 誇り高き、魔王に就く血族!! それなのに、魔女だというのに! あなたは私の誇りに泥を塗った……!! 人間の許についたなどという泥を……」

 彼女は唇を噛みしめた。また、人間だからというのか。俺が人間だったから。……いや、俺が彼女に秘密を隠し続けたことで、彼女をここまで追い込んでしまったというのか。しかしまだ事実は食い違っている。

「でも、俺が人間だと知ったのは、アイツが襲ってきた後じゃないか……」

「……違います。私はあなたが人間だとあの晩知ったんです。あなたと町を歩いた、あの晩に」

 俺は記憶を遡る。あの晩。マリナと町を散策したあの日の夜。確か彼女が消えてから、後を追って来ていたつくもと……そうだ、確かにあの日人間であることを話している。

 彼女はそれを聞いていたというのか。だが、考えてみれば俺の従者と着いて回っていた彼女が、不審な人物につけられたままの俺をそのまま残して帰るわけがなかったのだ。それに姿を消すのが魔女の十八番だなんてことは、十分過ぎるくらいに俺は知っている。

 彼女は、その傷ついたような表情のまま言葉を続けた。

「私がどれだけ苦しんだかわかりますか……? 人間についた魔女だなんて許されない……私はきっと一族からも、魔界中の人々からも一生笑われ後ろ指を指される……だから、私は焔獄魔王の元を訪ねた……央真様を討ち倒して欲しいと」

「そんな……俺を殺したって俺の許についた事実がなくなるわけじゃないじゃないか……!?」

「ちげェなァ……」

 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたヴォルナードが声を挟んだ。

「そいつはただテメェの討伐を狙ったんじゃねェ……鞍替えしようと画策してたんだよ。オレにテメェを消させて、新しい主様に就こうって魂胆だ。焔獄魔王なら魔女の仕える身としてふさわしいってなァ」

「じゃあ、なんでわざわざ俺を群衆の中から守ったり……」

「考えてもみやがれ、有象無象に殺されちまったらクズに仕えたクズってことは変わらねェからだろ? オレと直接手合わせした末にその所有権が移ることを期待したんだよ。面倒なこったがなァ。そいつは『魔王がわざわざ手に入れたがった』って箔が欲しかっただけだァ」

 俺は彼女を縋るように見る。だが真実はその無言が何より明白に語っていた。

「そいつがテメェと一緒に自分の身を賭けるだなんて言い出した時は冗談抜きに驚いたぜェ? 元々そうなるように進めてきたのがこの魔女自身なんだからなァ! 自ら人間が負けるように仕組んで、自分を魔王につかせる準備は万端ってわけだ。万万が一、人間が勝っちまうような事があったら、今度は獄魔王との決闘に勝った男の魔女、だからなァ。カハハ!! 抜け目ねェ、抜け目ねェ! とんだ道化師だよコイツはァ!!」

 奴の哄笑だけが乾いた真実の上に響き渡る。しかしそれに割って入る声があった。

「ふざけないで……ふざけないでください!!」

 その声の主、それは俺達の許に辿り着いたつくもだった。リストに抑え込まれながらも猛然と俺達の方に向かってくる。彼女はすでに気が狂わんばかりに激高していた。

「何が誇り高き魔女ですか……!? 誇りに泥を? あなたがやってることの方が薄汚いじゃないですか!! 小汚い裏切り者です!!」

「黙りなさい!! あなたも魔界の者ならわかるはずでしょう? 威厳を持つことが、力を持つことがこの世界でどれだけ大切かが!!」

 しかし魔女の気迫にもつくもは一切怯まなかった。むしろその彼女に喰らいつかんばかりに怒りを露わにしていた。

「えぇわかります、わかりますとも! 嫌というほどね! 名前を聞いただけで頭を下げて、拳を見ただけで家族をも売り渡す腐りきった魔界の現実をね!!」

「だから人間なんかにつくんですか、正体を知っていてなお人間に!!」

 それを聞くとつくもは歯を食いしばった。そして唾をまき散らしながらも叫んだ。まるで自分の存在が貶されているかのように。もうすでに疎まれ蔑まれることに慣れてしまった俺の代わりに。

「人間人間うるさい!! 央真さんは央真さんです!! 私の気持ちがわかりますかじゃねぇよ!! だったら央真さんの気持ちがわかるのか!? この人はね、あの日帰ってきて私に言ったんですよ……あなたと町を歩いて楽しかったって! 魔界に来てから一番嬉しそうにへらへら笑って、あなたと食べたパンのことを話してくれたんですよ!! あなたはその気持ちに泥を塗ったんだ!!」

「ッ……!!」

 マリナは不意に返す言葉を失ったように唇を噛みしめた。つくももぜいぜいと乱れた呼吸をそのままにし、その間にリストが割って入った。

「……俺はつくもほど人間界やら人間には傾倒していないからさ、お前の魔女としての気持ちも名前の重さもよくわかるんだよ。……ただこいつは、央真は、人間だってことを差し引いたって根性のある奴だ。馬鹿みたいに真っ向から挑んで、どんだけ苦しんでも王石の解放を諦めなかった。それが友達作りのため、って聞いた時はちょっと笑っちゃったけどな。……でも、誇りってのはそういうのを言うんじゃないのか?」

 つくもやリストの言葉に、彼女はしばらく苦しむようにうずくまり、もがくように腕を振り払った。

「それでも……それでも! たとえ道を間違えても私が魔女であることは変えられない!! 私はどんな手を使ってでもこの名を守り抜かなければならないの……!! 例え自分のやり方に、気持ちに嘘をついてでも……私は私である前に魔女だから!!」

 彼女はその拳で何度も何度も地面を叩いた。未だ幼さを残す顔を必死に歪めながら。俺にはそれが理解できなかった。何故名前に、出自に、そこまで縛られなければ

ならないのか。

 いや、違う。彼女は俺と一緒なのだ。生まれ持った物が名であれ特徴であれ、それに翻弄されているのだ。変えようのない呪いに。その考え方生き方をも左右されなければならないほどに。

 そしてもし、どちらか片方しか望みを叶えられないのだとしたら。

 俺は、未だ赤く明滅する指輪に目をやった。

「……なぁ、マリナ。お前は俺が死んだらさ……決闘に負けたら、幸せになれるのか?」

「……何を」

 右手の中指、そこに嵌っている指輪に手をかける。

「お前がそれで幸せになれるんだったら、俺はコイツを外すよ」

「央真さん! 駄目です!!」

 だが、俺はマリナだけに視線を向ける。

 そうだ。彼女が俺と同じなら、その辛さが一番わかっているのもまた俺なのだ。ただ周りがごく当然のように持っているものを絶対に手に入れられない定め。自分の生そのものに疑念を抱かなければならない錯綜。彼女はそれでもうまくやっていた。それをこちらに引き込んでしまったのが俺なのだとしたら。

「まぁ、元々の発端は俺が早く打ち明けなかったことなんだしな。……それにさ、俺はあの日マリナに言われたこと、忘れてないよ。俺の居場所になってくれるって。今までそんなこと言われたことなかったから、それがあの時だけの気持ちだったとしても救われたんだ。そのお返しができるなら、な……」

「央真、様……」

 彼女はまるで俺の顔を初めて見たかのように見つめた。それから拳を握りしめて縋るように、助けを求めるように頭を下げた。

 そうか、それでマリナに日常が戻るなら。

 覚悟は決まった。俺は指輪に手をかける。そして、

 

 奴の、狂気の表情に気が付いた。

 

 ずっと沈黙を守り続けていた奴は手のひらで顔を覆い、その顔面を不気味に歪めていた。俺達のことを侮蔑の目で射ながらも、まるで歓喜の瞬間が訪れたように破顔していたのだ。

「……カ、ハッ! カハ、カハハハハハハハハッッ!! あー、駄目だ。もう耐えきれねェ、あともうちょっとだったんだがなァ」

「……何が可笑しい、ヴォルナード」

「あァ? 決まってんだろ? 醜く滑稽な茶番劇がだァ! よくもまぁお寒いクズどもの喜劇を見せてくれたもんだ。その楽しかった町が様変わりするとも知らずに呑気になァ!!」

 俺らがその言葉の意味を推し量るまで彼は一人で高笑いをあげていた。誰一人と真意に辿り着く前に奴はマリナに視線を向けた。

「魔女ォ。テメェは全部丸ごと綺麗に自分の計画の上に乗せたつもりかもしれねェが、一つ大事なことを勘違いしてんなァ。俺が本当に欲しいものがなんなのか、だ」

「……どういうこと、ですか」

 彼はゲタゲタと下品に笑うと、その切り裂かれた瞳孔でマリナをも侮蔑の視線で射た。

「テメェは本気で思ってたのかァ? 一度でも人間に下った醜い魔女をオレが配下に置くと」

「何を……ヴォルナード」

「いい時間稼ぎもできたし、もう構わねぇかァ。オレの本当の目的は人間の討伐でも汚らしい魔女なんかでもねェ。……エルフェリータだ」

 その場にいた全員が衝撃に飲まれた。奴はそれを満足そうに一瞥する。

「よく働いてくれたよ、テメェは。大事な情報をせっせと運んできてくれるんだからなァ。小娘の泣き言を聞いてやるのは面倒だったが、おかげで今あの町には手がかかる魔王がいなくて手薄なこともわかった。人間討伐の混乱に乗じて町中に手駒を忍ばせるのも簡単だったぜェ!? あとはオレが合図一つ出せばあの町は一晩待たずにオレのモンってわけだァ!! カハハハハハハハッッッ!!」

 目をぎょろつかせ歓喜の雄たけびをあげる奴に彼女は詰め寄る。

「じゃ、じゃあ、私は……私を迎え入れるという約束は……!?」

「ァン? んなモン知るか。落ちぶれた魔女として泥でも啜ってろォ」

「そん、な……」

 マリナは崩れ落ちた。その目から光を失い、ただ茫然と打ちひしがれていた。もはや彼女からは魔女の気迫も力も感じられなかった。そこにいるのは己の未来が閉ざされたことを受け止めきれないただ無力な少女だった。裏切られたとはいえ、彼女に施されたあまりの仕打ちに止めようのない怒りが沸く。

「ヴォルナード……てめぇ……!!」

「どうしたァ? そいつは薄汚ェ裏切りモンだろ? 代わりに天罰を下してやったんだ。オレに感謝してくれてもいいんじゃねェかァ? カハッ!!」

「天罰だと? マリナはお前を信じて打ち明けたんじゃねぇのか……? それを用済みになったら捨てるのか……!?」

「あァ、捨てるね。このオレの手元にゴミはいらねェ」

「この……ッ!!」

「おいおい、そんなにやる気を出さなくったってすぐに拷問の時間だぜェ?」

 奴は唇を捲り上げ、額の王石に指を触れた。

「……つくも、俺達は町に!!」

「はい! ……きゃあッ!?」

「おっとォ……!!」

 つくも達が引き返そうとすると彼女達の行く手を黒炎が塞いだ。

「計画を知った奴をみすみす逃すと思ってんのかァ? テメェらもここで消し炭になるに決まってんだろォ……!!」

「つくも! リスト!」

 すぐに剛炎の壁がつくも達を囲う。俺は奴に飛び掛かかろうとするも、一発の蹴りで吹き飛ばされる。奴との力の差ははあまりにも圧倒的過ぎた。一瞬の隙を作るどころか奴は一歩としてそこを動かなかった。

「テメェはそこでお仲間が灰になるのを見てろォ。……いや、折角だもっと愉快にしてやろう」

 ヴォルナードは未だ生気を失ったマリナに目を止めた。

「おい魔女。テメェ、人間の首をねろ」

 その言葉に彼女の肩がピクリと動いた。

あるじに忠誠を誓うことを生業とする魔女が、主の首を刎ねるなんて最高に滑稽じゃねェかァ!! 一族の面汚しもいいトコだ!! どうせ、指輪さえつけてりゃ生えてくんだ。そこまでの覚悟を見せりゃあ雑用くらには使ってやんよォ魔女ォ!!」

 ゲタゲタと自分の提案に腹を抱えて笑うヴォルナード。それを前にしてマリナはただただ震えていた。

 これが……これが魔界なのか。強い者が弱者をあざ笑い、それがまかり通る世界。もうすでに一人の少女の居場所すらもなくした世界が。

 その時、地面に這いつくばった俺の体の下に何かが現れていた。黄緑の光で形作られた輪。その中から、何か小さいものが転がり落ちた。

 俺はつくもを見る。どうすればいいのかわからなかったから。だが、厚く黒い炎の壁を通してでも、その視線を見れば全てがわかった。申し訳なさそうな、それでも、ほんの一筋の希望を讃えた視線。

『行って』

 彼女の唇は確かにそう言っていた。

 俺は痛みを残した体を起こす。奴とは距離がある。でも、距離があるからこそ。

「……おい、ヴォルナード。それが魔界のやり方なのか? 強い者が全てを嘲り、全てを手中に収めるのが。他の者は諦め続けるのが」

「ァン? そうに決まってんだろ。俺の輝かしい覇道はエルフェリータを手に入れてさらに進む……テメェらの犠牲のおかげでなァ」

「……それが魔界のやり方だってなら、俺は人間としてのやり方をみせてやる」

 他でもない、人間が大好きな彼女に教えてもらったやり方で。

 俺は、指輪を外した。

「どうした、もう拷問は嫌になったかァ?」

「いいや、お前のその輝かしい覇道に一つの汚点を残してやろうと思ってな。……たかが人間との決闘に勝てなかったという」

 そこで初めて奴は怪訝そうに眉を潜めた。

「テメェ……何を」

「お前が言ったんだ。『この試練には制限を設けない』『誰でも参加しろ』」

 奴の、ヴォルナードの動きが止まった。

「『どんな手段でも構わない』、と」

「……ッ!! 魔女ォヤツを止めろォ!!」

 だが今さら気付いてももう遅い。俺は指輪を投げ捨てた。

「俺が突破する最後の試練はお前との決闘じゃあない…………

 あぁ、つくも。お前の考える作戦はやっぱり最低だ。

 俺は、彼女特製の小型爆弾を自分の胸に叩きつけた。

 宙を舞う指輪の最後の殻が弾ける。それが最期に見た光景だった。

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