9.3
初撃こそ不意を突かれたものの即座に思考を切り替える。もう決闘は始まっているのだ。俺は何としてでも、あの松明が燃え尽きるまでこの男から逃げ切らなければならない。折れた左腕を庇いながら立ち上がる。大丈夫、痛みはあるが指輪の力で傷口はすでに塞がりかけている。
「マリナ! 頼めるか!?」
「はいっ!!」
すでに彼女は行動を起こしていた。隣から深緑の光が差したかと思うと、地面から茨が生え始める。だが、それが形になる前に俺たちを分断するように鋭く尖った石の飛礫が宙を走った。まずい、ひとまず奴と距離をとらなければ。俺は奴に背を向けて森の方へ足を向けた。だが、数歩も進まない内に突如巻き上がった爆風で元の場所まで押し戻される。
目の前の木立は突如として轟々と炎を吹き上げていた。それも普通の火なんかではない。熱芯に向かうに連れて漆黒に染まる、鉛灰色の炎だった。原因なんかわかっている。こんな事ができるのは一つしかない。
振り返るとヴォルナードが左腕を森へかざしていた。反対の手の指をこめかみに埋め込まれた王石に突き立てて。まるで半身をモノクロに染めるような鈍色の閃光がその石から放たれている。
「正直テメェが決闘から逃げなかった事には感心してるんだぜ? だから出し惜しみは無しで教えてやる。『
ヴォルナードが腕を振り上げた。
「――燃やす」
瞬間、足下の地面が膨張した。身構える間もなく灰の剛炎が吹き出す。俺は背後の燃え盛る木々の中へ吹き飛ばされた。地面に打ち付けられた衝撃の直後に、背中に熱した鉄板を押付けられたような激痛が走る。オレは転がるようにして火の無い森の奥へと逃げた。
炎を通して自分が直前まで立っていた場所を見る。そこは地面がクレーターのごとく深く抉られていた。
何が「燃やす」だ。そんな生易しいもんじゃない。あれは爆発だ。
今更ながらとんでもない化物を相手にしてしまったのだと慄然とする。だが泣き言を言っている暇はない。一秒でも早く逃げなければ。
俺とあの男を遮るように何か巨大な物が立ちふさがった。岩を積み上げた、見上げるような巨躯が地面を踏みしめている。
「央真様、遅くなりました。アレで時間を稼ぎます。ひとまず森の奥に……!」
俺達はより闇の濃い方へと駆け出す。後ろからは地響きと爆音が相次いで聞こえてきていた。
この決闘、敗北は無いとは言えど直接手を合わせることは避けなければならない。もしそうならざるを得なくなったとしても、それは最後の手段だ。始めから即死級の攻撃を受け続けても人間の俺が死なないとあっては、さすがに奴に疑われてしまう。それに何より俺の精神がそんな拷問に堪えきれる自信が無かった。肉体は回復するといっても精神は疲弊するのだ。だからこの決闘、序盤如何にうまく逃げ切れるかが勝負だ。
ある程度森の奥に進んだ頃、今走ってきた方向から一段と大きな爆発音が轟いた。ついで何か重量のあるものが次々と森に降り注ぐ音。それを聞いてマリナは僅かに顔をしかめる。
「ゴーレマスではここまでのようですねぇ。でもこれだけ離れれば……。次の作戦に移りましょう」
彼女が腕を振るうと地面の三ヵ所から草を押し退けて茨が伸びる。それは次第に無機質な色に染まり三体の石造りの姿に落ち着いた。豹のようなしなやかな体躯に巨大なコウモリの頭。そいつらは石臼を挽くような唸り声を立てた。
「グラゴイル。素早さは文句なしですけれど、私では三体が限界で……」
「十分過ぎるほどだ。これに乗って森の中を逃げ回ればいいんだよな」
「はい。私ともう一体で攪乱します。上手くいけばかなり時間稼ぎになるかと」
俺は感謝の言葉と共にその一体の背に飛び乗った。まるで公園の遊具のように固く冷たかったが、乗り心地に文句を言ってるような状況じゃあない。
「央真様!」
俺のグラゴイルが膝を曲げてすでに駆け出そうとしていた頃、マリナは引き止めるように声をあげた。
「どうしたんだ、マリナ」
「いえ……」
彼女が何かを言おうとした時、遠くから連続して木々が引き裂ける音が届いた。まだ距離はあるとはいえ、燃え盛る炎が見え始めていた。それを確認してマリナはその視線を俺に向けた。
「ヴォルナードは強大な獄魔王です。魔界でも歯が立つ者はそうそういません。それに何より残忍です。もし敵わなかったとしても悔やむことなんてありません。だから、央真様はその身を一番に案じてください……いいですか?」
「あぁ、ありがとう。無茶はしないよ。……マリナもいざとなったら逃げてくれよ? アイツの標的は俺なんだから」
「はい。央真様、なるべく遠くまで逃げてください」
彼女を乗せた魔獣ともう一体はその言葉を最後に二手に分かれて木立に消えた。俺も一拍遅れて魔獣の背中に掴まる。グラゴイルは待ちかねたように駆け出した。
無骨な見た目とは裏腹にこの魔獣は俊敏だった。木々の間を飛ぶように駆け、俺は振り落とされないよう必死に食らいつく。俺が指示するまでもなく、より木々が鬱蒼とした方へと走っていく。
今どれだけ経っただろうか。木々が次々に後ろへ飛び去っていくのを見送りながら考える。マリナと走っていた時間とこの魔獣に運ばれている時間、それらを合わせればもうかなり経った気がする。背後に見えていた火柱も小さくなる一方だ。これならもしかしたら……もしかしたら一度も奴と手を合わせることなく決闘に勝てるかもしれない。俺は指輪の嵌めてある手で一層強く魔獣にしがみついた。
すると突然、俺を乗せた魔獣が脚を緩めた。今まで一心に森の奥に向かっていたはずが、急に道を見失ったかのようにうろたえ始める。
「どうしたんだ? おい……」
俺はそいつの胴を発破をかけるつもりで叩いたが、何かに怯えるように次第に遅くなり、遂には足を止めてしまった。俺が困惑しきっていると、ほんの一瞬足元が明るくなった。断続的に起こる灯りが何なのかと見上げると、頭の遥か上に何か光る物が飛び交っていた。
隕石、ではない。それよりかもっと小さくて近い。それが何かわかる前に、そのうちの一つが樹木を何本か挟んだ所に落ちた。俺は嫌な予感がしてグラゴイルの向きを変えさせようとした。
だが次の瞬間、その落下物は轟音とともに巨大な鉛色の火柱を吹き上げた。
それは周囲にあった樹を押し退けるほどの威力を持っていた。爆風が距離をおいたここまでも届き、熱波に肌がひりつく。爆発音に驚いたグラゴイルが反対方向に走り出す。だがその前方でも、いや、至る所でその爆発が始まっていた。
「おいおい、こんなのありかよ……」
森の中に紛れてしまえば、ヴォルナードと言えども俺を見つける事は困難だ。そうなれば時間稼ぎになるはず。それが俺達の作戦だった。
だが、俺はまだ魔王という存在を甘く見ていた。魔王は人間の小手先の知恵など力でねじ伏せる存在なのだ。ヴォルナードは俺を追いかけようだとか探そうだとかそんな真似は端からしようともしなかった。あいつは当然の如く、森を片っ端から焼き払い始めたのだ。
気付けば背後にあるのは森ではなく業火だった。赤炎も黒炎も入交り、壁を作るかのように高く伸びあがっている。穏やかだった木々が今や轟音をたてながら火花を飛ばし、金属をも溶かしそうな熱波を放っている。
俺は魔獣を駆り立て懸命にまだ炎に侵されていない方へと駆けた。だが火の手は移動できる範囲を確実に狭めていき、煙が視界をも奪い始めた。
そして戦況の悪化に追い打ちがかけられる。俺の乗っていた魔獣が一声悲痛な悲鳴をあげると俺を振り落としたのだ。グラゴイルはしばらく悶え苦しんだ末に低く断末魔をあげてその姿を崩し、茨へと戻った。その茨もすぐに土くれと消えてしまう。
(
どういう理由があるにせよ、確実なのは一つ。マリナの身に何かがあったのだ。
悪態を吐きながらまだ空気の綺麗な所へ駆け出す。彼女を助けに行きたいが、どこにいるのかも、それに俺が一体何ができるのかもわからない。だが標的は俺なのだ。今できることはさらに奥に進むことだ。
しかし灰色の炎はすでに広がり、もはやどこを走っていてもその焔が肌を撫でるほどだった。体が熱い。走り続けているというのに周囲は汗をも蒸発させるほどの温度に上がり始めている。
熱い。熱い。熱い。
思考すらも焼き焦がすような状況で、俺は進んでいる方向が黒炎の袋小路になっていることに気付く。そしてその向こうからゆっくりと、ゆっくりと、灰となった木々を踏みしめる音が聞こえてくる。
炎の中を悠然と、草むらを進むかのような人の影が浮かぶ。その男が手を振るうと、その先にあった樹がまるで腐りきっていたかのように脆く崩れ落ちる。
「よォ……散歩にしては顔色が悪ィじゃねェか……なぁ人間」
逃げなくてはならない。それなのに俺はその魔王を前にして恐怖で足が竦んでいた。
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