9.2

 俺に残された魔界での最後の時間。それは吹き抜けるように過ぎていった。朝からつくもの家に集まり、荒らされた店の掃除をし、ゆくもさんの作った温かい料理を食べた。三人からは絶えず励ましの声をかけてもらっていたが、それに何と返したのかはよく覚えていない。魔界での最後の一日、他に何かするべきだったのだろうか。何か記念になること、思い出になること。けれど最後に待っている決闘のことを考えれば、普段と変わらない日を過ごす事の方が貴重に思えた。

 今日で全てが終わる。辛い事苦しい事ばかりだったが、おそらく今夜がその総決算になるだろう。もし決闘に勝てば俺は人間界に帰れる。だが、負ければただ純粋な苦痛と死が待っている。

「大丈夫ですよ、央真さん。気楽に逝きましょ!」

「つくも……お前他人事だと思ってないか」

「まぁ私が戦うわけじゃないですし。それにどうせ痛い目をみるのはわかってるんですから始まる前ぐらいは気を抜いてた方が得ですよ」

 身も蓋も情けも無い言葉だが、これがつくもなりの励ましなのだと受け取っておこう。それにいつも通りのつくもの様子に多少は緊張を和らげられているのも確かだった。

 俺は重い足取りで町の中を進んでいく。エルフェリータの町は様変わりしていた。あれほど活気に満ちていた通りにはほとんど人がいない。残された街路に巣食う人々は、獲物を食い殺そうとする猛禽獣の如き視線で俺の動きを追っていた。だがヴォルナードとの決闘の事を知っているのか手出しはして来ない。

 まるで荒廃してしまったような町の姿に心が痛む。だが俺以上に痛ましげな様子を見せていたのはマリナだった。虚ろな目で閉じられた店を眺めている。少し遅れてその店が何だったのかを思い出す。そこはマリナと町を散策した時に立ち寄ったみやげ屋だった。

「マリナ……ごめん」

 俺の謝罪に、彼女は予想外の事が起きたかのように肩を跳ね上げた。

「どうしました……? 央真様」

「いや、俺なんかのために自分を賭けるだなんて」

「そのことで気を病むのはもうやめてください。昨日から何度も繰り返してますよぉ」

「それでも……」

「大丈夫だよ。勝てば万事解決だ」

 俺らの間に割って入って来たのはどこか達観した様子のリストだった。

「勝ちさえすればマリナは自由だし、お前は獄魔王に勝利して王石を解放した人間になれるんだ。そんな大層な肩書きめったに無い。誇りを持って人間界に帰れる」

「そんな楽観視できればな……あのヴォルナードと戦うってのに」

「悪い方に考えるなって。考え無くったって現状が最悪なんだからな。魔王に挑む人間なんて、これ以上悪くなりようがないぞ、うん。だったら今のうちに楽しい事考えとけ」

 結局リストもつくもと同じような結論に至っていた。そんな楽観思考を見習うわけではないが、悩んでも仕方が無いと自分に言い聞かせながら俺はエルフェリータを後にした。

 森にはうっすらと夜の帳が下り始めていた。空き地から見える空の麓からは、すでに三つの月がそれぞれの方向から昇り始めている。おそらく深夜になる前には重なるだろう。なんとしてでもそれまでに試練を突破しなければ。

俺は地面に杭を打ち付けた。聞いたところによれば、この杭になった松明は一時間ほど燃え続けるらしい。それがそのまま試練の、俺の苦しむ時間だ。森にアイツの姿はまだ無い。意志に反していっそ現れないで欲しいと強く願っている自分に気付く。そうであればと。

 しかし、本当に決闘の相手は姿を見せる事無く闇は確実に深くなっていた。俺の隣にマリナがいるのと、少し離れた場所でつくも達が見守っている以外に人気は無い。風の音だけが強く響いている。

 そして遂に、日が完全に落ちた。夕日の最後の一射しが消える。夕闇に体が飲まれたのと同時に松明が灯る。それを確かめた瞬間、俺は

「ぐ、うッ……!?」

「央真様っ!?」

 膝をつくと同時に目の前に何かが落ちる。不自然に曲がった左腕から地面に落ちたのは、血に染まった拳大の石だった。

「おいおい、日暮れからスタートだって言ったのはテメェだぜ。まさかヨーイドンの掛け声で始まるだなんて思ってたんじゃねぇだろうなァッ!?」

「ヴォル……ナードォ!!」

 森の中から傲慢不遜に姿を現したのは見間違えようも無い、焔極魔王ヴォルナードだ。

「今のはほんのご挨拶だ。ここからはもっと楽しい拷問が待ってるぜェ!」

 奴の哄笑に俺は無言の悪態を返す。松明は煌々と炎を揺らめかせている。すでに最後の試練は火蓋を切っていた。

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