8.3

 俺は意識を失うことさえできず、二人に見守られながらも頭を襲う激痛に長い間苦痛の声を上げ続けていた。ようやくまともに思考ができるまで回復してから最初に俺がしたのは、二人に向けての問いかけだった。

「……一体全体、

 つくももリストもしばらくの間口を開かなかった。ようやく話し始めたつくもの口調はこれまでになく深刻だった。

「先に一つだけ答えてください。央真さんは奴と会ったことが……いえ、どこかで見かけたことだけでもありましたか」

「あるわけがない。あんな奴を見かけたら忘れもしない」

「そうですよね……じゃあなんで……」

 彼女は自らも傷つけられたかのように、酷く痛ましげに唇を噛みしめた。

「奴の名前はヴォルナード。言っていたように焔竜の血族で、魔界にいる獄魔王の一人です」

「獄、魔王……」

「はい。魔王の中でも恐怖と災厄を持って人の上に立つアーキタイプ。死闘を幾千と繰り返してのし上がって来た男です。央真さんが最初にイメージしていた魔王に一番近いタイプの魔王、とでも言えばいいでしょうか。頭角を現してから僅かな期間で魔界に名を轟かせて、焔獄魔王ヴォルナードと言えば今や魔界で知らない人はほとんどいません」

「そんな……そんな奴がどうしてわざわざ俺を襲いに来るんだよ!?」

「わかりません……私だってわからないんです。おそらく、どこかで央真さんの噂を聞きつけたのかと……」

「たかが噂……? 噂が流れてるだけで俺は殺されかけなきゃいけないのか!!」

「央真、少し落ち着け」

「落ち着け? 落ち着けだって!? 俺は殺されかけたんだぞ? それもただ道を歩いていただけで! たったそれだけで道は吹き飛んで俺はこの有様だ! そりゃあ落ち着いていられるわけだ!」

「騒ぎ立てたって何も解決やしない。とりあえず今日はもう帰るぞ」

「帰る? 試練は!?」

「アイツの向かって行った方向は魔王城だ。またアイツに会って仲良くできる自信があるなら向かえ」

「…………くそッ!!」

 地面に拳を叩き付ける。魔界に来ていくつも危険や理不尽を体験して来たが、ここまで悔しいのは初めてだ。悔しくて、不甲斐なくて、恐ろしくて、何より無力だった。

「もしお前が狙われているんだとしたら状況は最悪だ。アイツの口ぶりからして、また何かを仕掛けて来る。それまでにどうするか考えなきゃならない。最悪、遠くの町に逃げることもやむなしだ」

「そんなことをしたら……試練が……王石の解放が……」

 俺の縋るような視線からリストは目を背けた。

 固く握りしめられた俺の拳の上に、そっと手のひらが置かれる。つくもの手だ。彼女も同じように苦々しげな表情だったが、無理に絞り出したような笑顔を浮かべた。

「大丈夫、なんとかなります。また私がとっておきの作戦を考えてあげますから……」

「……また痛い思いをする作戦は勘弁だからな」

 俺は力なく笑みを返した。それは酷くぎこちない表情だっただろう。慰めてくれているのはわかっているが、彼女のそんな様子が何より事態の深刻さを表している気がした。

 俺達は森の更地になってしまった場所を一瞥してから、無言で元来た道を歩き始めた。足は重く、エルフェリータの町がひどく遠く感じられた。それぞれ考えていることは同じはずなのに誰一人口に出す者はいなかった。

 遠くに町の片隅が見えて来た頃、ようやく俺は口を開いた。

「アイツは……ヴォルナードはいったい何が目的なんだ」

 半歩先を行っていた二人は歩みを緩めた。リストが額に皺を寄せる。

「大方初心者狩りだろう。あのタイプの魔王は強い相手を倒して名声を上げたがる。それで噂の流れていたお前に白羽の矢が立っちまったんだ。その見た目で、しかもルーキーが魔女まで従えてるとなれば噂になるのも当然だ」

 ここに来てこれまでの成功が裏目に出てしまったというのか。噂が元で話しかけられたこともあったが、それが原因で狙われることになるとは思ってもみなかった。

「……ヴォルナードは強い相手を探していたんだろ? だったらいっそのこと人間ってことをバラしちまえば……」

「絶対にやめとけ。前にも言ったがここでは人間は好まれていないんだ。特にあのタイプにはな。名声の為の殺しが見せしめの為に変わるぐらいだ」

「どうにかしてヴォルナードの目をかい潜って試練に挑戦することはできないのか……? あとたった一つでいいんだ」

「……残念だが、しばらく王石の解放は諦めるんだ。魔王城は魔界中の人が集まる場所だ。それだけ狙われる危険も高くなる。わかってくれ」

 あまりのやるせなさに無言で歯を食いしばった。リストはそんな俺を気遣うように説明を続けた。

「獄魔王に目をつけられるってのは魔界でもトップクラスの危険なんだ。実力がなければ大概は当然のように殺される。今お前はそういう状況に立たされているんだ。そうなったらできることは少ない。魔王から隠れるか、それか他の魔王の元で庇護につくって手もあるが……いや、そうか、魔王には魔王だ」

 リストは一人合点したように頷く。

「エルフェリータの魔王がいる。相当な実力者だ。ヴォルナードでも易々とは手を出せないだろう。それにつくもはエルフェリータの魔王と交流があるぞ。協力を申し出れば匿ってくれるかもしれない。どうだいけそうか、つくも」

 だが依然としてつくもは渋い顔を崩さなかった。

「残念ながらそれはできません。彼は少し前から町を離れているんです。こっそり教えてくれたんですけど、遠方の獄魔王が軍勢を連れてエルフェリータを狙ってるらしくて、その魔王を押し止めるためにしばらくは帰って来れないと……」

 つくもが項垂れた。リストは頭を掻きむしりながら別の案をひねり出そうとしていた。

「頼れる魔王は無しか……。だとしたらやっぱりどこかに身を隠すしかなさそうだな」

「私の家ならしばらくは持つんじゃないでしょうか?」

「だけど央真がエルフェリータにいたってことはもうバレているんだ。時間稼ぎにしかならない……。だったら町を離れる方が安全だ。マリナの助けがあれば逃げるくらいはできるだろう」

「それなら森を抜けた先の柱に村があります。小さいですけど周りとはほとんど交流が遮断されてますし……」

 俺は二人の討論をまるで他人事のように聞いていた。危機感がないわけじゃなかった。でもどうしても納得ができなかったのだ。俺にはもう隠れるか逃げるかしかできないということに。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。今町を離れれば王石の解放は確実に間に合わない。あと一つ、たった一つの試練で俺は生き返ることができるのに。必死に抗って、何度も苦痛を味わって、時には死よりも辛い状況を超えて、ようやく手が届くところまで来たというのに。突然現れた男のせいで、たった一人の妨害のせいで、全てを水の泡にして震えていなければならないのか。最後は怯え隠れて終わるしかないというのか。

 それが魔界なのだと受け入れるべきなのか。

「……いや、そんなことはできない」

 指輪の嵌められた拳を握る。俺は振り返って魔王城の方を見据えた。

「やっぱり俺、試練に挑むよ」

 リストとつくもは正気を疑うとばかりに驚いた。

「馬鹿な……馬鹿なことを言い出さないでくれ。今のお前はいつ殺されても、いたぶられてもおかしくないんだぞ!?」

「そうですよ! 今までの試練とはわけが違います!」

「だけど隠れてたって見つからない保証なんか無いんだ。それなら俺は駄目元でも試練に挑みたい」

「お前は状況を全くわかっちゃいない! 獄魔王に狙われてるのがどれだけ危険だと思ってるんだ。試練ならもっと落ち着いた時でも……」

「アイツが央真さんから興味を無くすのを待ちましょう! そうすればゆっくり試練を選べるじゃないですか」

「……それじゃあ遅過ぎるんだ。俺は閻魔大王に示された期限までに王石を解放する。そうじゃなきゃ、意味がない」

「どうして……そこまで……」

 動揺の末に言葉を失う二人を見て、どういうわけか場違いにも俺は嬉しくなった。この二人は本当に俺の事を心配してくれているんだ。何かと天秤にかけるわけじゃない、対価を求めてるわけでもない。そんな人に対して俺はもう隠し事はしたくない。

「つくも。リスト。聞いて欲しい。俺が本当はどうして魔界に来たか。そして王石を解放した時、閻魔大王に何をしてもらうのかを」

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