8.2

「で、最後はどんな試練で締めくくるんだ?」

 もはや半ば歩き慣れた道となっている魔王城への道すがらリストがそう口にした。俺が初めと変わらず、なるべく簡単で失敗する可能性が低そうなものだと答えると、案の定いつも通り反論を立ててきたのはつくもだった。

「えぇー。最後なんですからパァーッと行きましょうよ! ヤマタノオロチかなんかを倒して華麗に締めくくりましょう!」

「生贄に立候補してくれるなら考えるぞ。お前はこれだけ一緒にいてまだ人間の実力がわからないのか」

 人間代表として卑屈すぎる自己評価だったが、悲しくもそれが正当な評価だということはすでに十分過ぎるほど学んでいた。

「まぁ央真、最後くらい身の丈を考えずに試練を選ぶって言うのもアリだとは思うぞ。王石の解放ってのはいわば一人前になった証だ。せっかくの機会が洞窟から抜け出しました、ってのよりかは、難しい試練を突破して華々しく魔界デビューの方がいいだろ?」

「リストまで勘弁してくれ……時間が限られてるんだ」

「閻魔大王からのご褒美ってのが貰えなくなるだけだろ? 失敗した時のことより成功した時のことを考えようぜ。それに難易度の高い試練を突破したときの方が良い戯式フォーマーが手に入るってジンクスもある」

戯式フォーマー……?」

「王石の解放が終わったら戯式フォーマーが使えるようになるじゃないか。お前だけの魔法だぞ」

 そうか、元の世界に帰るということにばかり気が行って本来の王石の意味を忘れていた。元々これは魔法を使えるようにするための代物なのだ。ほんの一時、魔物を召喚したり手を触れずに物を飛ばす自分の姿を想像してしまう。

 だがそれをかき消すように強く頭を振った。王石の解放が終われば元の人間界に帰るのだ。戯式フォーマーなんかに惹かれてもしょうがない。魔法はゲームやマンガで十分だ。

「俺は人間だから元々王石は持ってない。この指輪だって閻魔大王から借りてるだけだ。解放したって戯式フォーマーが使えるようになる確証なんてない」

「じゃあ閻魔大王にお願いすれば良いのさ。王石をくださいって」

 半分は自分に向けた言葉だったが、リストの答えはあっけらかんとしていた。

「そういえば央真さん。閻魔大王からのご褒美って結局何なんですか?」

 心臓が一拍抜かしたように飛び跳ねた。二人から好奇の目を向けられる。きっと純粋に物か、それとも力か、何かそんなものを期待しているのだろう。俺は自分に問いかけた。話すべきだとしたら今なんじゃないか? このタイミングを逃したらもう機はないかもしれない。最後だからこそ、本当のことを知っていてもらおう。

 俺は歩みを止めて決心を固めた。

「そうだな、話すよ。王石の解放がうまくいったら、俺は……」

 

 しかし、後の言葉は地を引き裂く轟音にかき消された。


 熱風、いや爆風、荒れ狂った爆風に体が吹き飛ばされ、俺は近くの木に叩き付けられた。突然身を襲った衝撃に意識が追いつかない。叩きつけられた肺からは空気が押し出され、気は激しく動転する。だがその直後、地面に突っ伏したまま見た光景に比べればそんなものは些細なことだった。俺達は森の小道を歩いていた、はずだった。

 だが、今やそこに広がっているのは空き地のように何もない空間だった。

 周囲の木々は爆心地から逃れようとするように薙ぎ倒され、残った残骸は煙を立てる黒い炭と化していた。

 抉られた地面のその中央にいた男が、舌打ちをした。

「……チンタラ歩いてんじゃねーよ。オレはテメェらみたいに暇じゃねェんだ」

 朦々とする中で立ち上がったその男。二本の角を後ろに流したその男は、一歩ずつ地面を踏みにじるように近づいて来た。

 いつの間にか隣に戻って来ていたつくもが切迫したように囁いた。

「……央真さん、この人からだけは絶対に喧嘩を買わないでください。いいですか、何があっても敵対だけはしないでください。は、危険過ぎる」

 しかしそれは言われるまでもなかった。そいつは身を焦がすような重圧を周囲に放っていた。今まで挑んできたどんな試練とも魔女なんかとも違う、圧倒的な重圧だ。絶望的なまでに危険な「何か」だと瞬時に判断する。例え無知でも愚かでも本能で駄目だとわかる。そういう類いの物をそいつは発していた。

 俺は地面に這いつくばったまま、指一本さえ動かさずにそいつが目の前に来るのを堪えていた。

「カハハハハッ!! そうだよ人を待たせてたんだから反省しなきゃだよなァ。待ってたぜ、テメェをよォ」

 哄笑を上げるそいつの顔を見上げる。初めて目が合って気が付いた。切り裂いたような瞳孔をした目は全く笑ってなんかいない。コイツはただ笑っているように声を上げているだけで、何も面白いとは感じていない。男は凍るような視線で俺だけを見据えていた。

「初めまして、だなァ。オレの事は知ってるか? 知るはずがないよなァ。じゃあお互い自己紹介といこうぜ。オレはフレイマード・イフリア・ヴォルナード。名前の通り焔竜イフリートの血族だ。ホラ、オレは話したぜ。次はテメェの番だ」

「…………俺は……ガ、ッ!?」

 開きかけた顎はそいつの爪先で強制的に閉じられた。

「カハハハハッ! ……知ってるぜェ。央真だろ? テメェの話は聞いてる。中々のツラした新米風情だってなァ!」

 今度は鳩尾を蹴り上げられる。肺から空気が閉め出され喉から苦痛の声が漏れた。駆け寄って来ようとするリストをつくもが必死に止めているのが目の端に映った。

「思ってたよりも良いツラしてんじゃねェか。魔王向きのルーキーだってのはあながち間違いでもないのかァ?」

 金糸雀カナリア色の視線に刺される。今まで恐怖の視線で見られたことは数知れないが、こんな視線を向けられたことは一度だって無かった。それは一欠片も相手の尊厳を認めていない、侮蔑の視線だった。そいつの踵が脳天に据えられ、そのまま徐々に力を加えられる。

「いや、やっぱりボンクラどもの目が節穴だっただけだなァ。テメェもそう思うだろ? なァ……!」

 額が地面に接したが、それで止むことは無く踏みつけられる。地面に血が滲み始めた。けれどそいつは力を緩めようとはしない。まるで地面の虫でもすり潰すように、念入りに、殺意を持って踵を押し込む。

「ぁンだよ抵抗一つしねぇのかよ。つまんねぇなァ……もっと骨のある奴を期待してたんだぜェ!!」

「ガッ、あああああぁぁぁぁ!!」

 頭が軋むような音を立て始めた。救いを求める懇願が行く宛も無く胸の中に渦巻く。常軌を逸する苦痛に至ることの無い死を直感した。だが、押付けられていた足は不意にどけられた。額から血と汗が混じり合って地面に滴る。

「ッたく、抵抗してくれれば殺してやってもいいのによォ。まぁまだ使い道はありそうだからな。お楽しみは取っといてやるよ。それまで精々余生を楽しみなァ」

 別れの挨拶とばかりに顔面を蹴り上げられ、俺の体は宙で半回転し、仰向けの状態で地面に叩き付けられた。 

 俺は顔を空に向けたまま意識を朦朧とさせ、悠然と去って行く背中すら見ることができなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る