6.5

 決闘当日の朝、俺は慣れないマントに袖を通していた。体全体を覆い隠せるような暗褐色のそれに包まれると、落ち込んでいた気持ちが不思議と幾ばくか高揚させられた。

「マントを着るなんて初めてだ。……なんだかフォースが使えるような気分になってくるな」

 童心に返ってポーズなんかを決めていると後ろからつくもに頭をはたかれた。

「ふざけてる場合ですか。今から魔女と戦うんですよ」

「わかってるって。でも男の子の憧れなんだよ。マントってのは」

 裾を翻して振り返ると普段通りマントを着ているリストがにやりと笑った。

「似合ってるぜ。それに怯えてるよりかはよっぽどいい。作戦が作戦だからな」

「リストまで! 私の実験動物がかかってるんですよ!」

 いやお前のじゃねぇよ。そうお約束をすませながら、俺達は魔女の待つ丘へと向かった。

 彼女は既にそこで待っていた。広々とした丘の上で一人風に吹かれるその光景は、まるで淡い風景画を見ているようだった。しかし俺を見て取った瞬間に浮かべた限りなく冷たい笑顔で、その幻想は脆くも崩される。

「逃げずに来てくれたんですねぇ」

「あぁ。逃げる必要がないからな」

 俺の啖呵に、彼女は「ふふ」とささやかな笑いで返した。

 近づこうとすると足が動かなくなっていた。すでに魔法をかけられたのかと錯覚したが、同時に体が震えているのに気付く。恐いのだ。そう認識してしまうと余計に体が動かなくなってしまう。すると背中に僅かな力を感じた。つくもの手だ。それに俺は大きく足を踏み出すことで返事をした。

 魔女と真正面から対峙する。

「あら、お仲間も来てくれたんですねぇ。それでは改めて自己紹介を。メデュラン・エキナドゥーレ・マリナと申します。お見知りおきを。さて、始めましょうか。あまりお時間をかけるのも悪いですしねぇ」

「待て、その前に勝敗について確認だ。どうなったら勝ちなんだ?」

「勝敗、ですかぁ。そうですねぇ、命をかけてもいいですけれど、お互い自身を賭けてますし、戦闘が継続できなくなったら負けでいいんじゃないですかぁ?」

「よし、それでいいだろう」

「ふふふ、恐くなっちゃったんですかぁ?」

「いいや、あんまりお前を苦しめるのも酷だと思ってな」

 そこで初めてマリナの笑みに怪訝な表情が差した。俺は密かに安堵する。第一段階はクリアだ。

「それじゃあさっさと始めようぜ。力比べだ」

「……あなた、知らないんですかぁ? エキナドゥーレの名を」

「知ってるさ。魔女なんだろ? なんだ恐がって欲しかったのか?」

 彼女は不思議そうな表情を浮かべた。そして両手を、まるでマリオネットを操るかのように宙にかざした。

「それなら恐がらせてあげますよぉ。じっくりとね。……『籠の中の檻ハミングケージ』」

 マリナの服の下、右肩の辺りから深い緑の閃光が漏れ出す。彼女が見えない何かを引き抜くように手を持ち上げると、異形は地面から現れた。土の間から無理やり這い出すようにそれらが生えてくる。……大量の人の腕だ。亡者が墓場から這い出す光景が脳裏に浮かぶ。けれどそれは腕ではなかった。それが腕の長さを超えて彼女の身長さえも超えたところで何かわかった。

 いばらだ。人の腕ほどの太さもある黒々とした荊が何本も絡み合うように生えている。棘を持ったそれがお互いを喰らうように侵蝕していくその光景は壮絶だった。おぞましいその集合体はやがて呼吸を持ち、一つの魔獣の姿に落ち着いた。マリナはその生き物の腹に頬を据えた。

「ケルベロス。可愛いでしょう? でも、なかなかわかってくれる人がいないの」

 当たり前だ。そいつを目の前にして足が竦む。頭を三つ持った犬、なんて呼び方は生温い。まるで熊だ。俺の頭ぐらいなら丸呑み出来そうな巨大な顎を三つも揃えたその巨大な犬は、唸りながら歯茎を剥き出しにしてその牙を露わにしている。

 魔獣か。乾いた口の中で唾を飲み込む。確かにコイツはただの獣の括りじゃ納まりつきそうもない。

「どうですかぁ、私の戯式フォーマーは。もちろんケルベロス以外にも作れますよぉ」

「魔女なのに杖は使わないんだな」

「……どういう意味ですかぁ?」

「御託は良いからさっさとかかってこい、ってことだよ」

 マリナはそれ以上何も言わなかった。その代わりに三対の顎が一息に飛びかかって来た。

(第二段階開始だ!)

 俺は静かに一歩踏み出した。マントの中で手のひらに納まる球体を両手で一つずつ取る。そしてそれを持ったまま、一番最初に辿り着いた牙の中に、自ら左腕を突っ込んだ。それと同時にマントの下でもう片方の手に持った球体を握りしめる。

 空気が振動する。俺の前で爆発が起こったのだ。濃い煙が俺とマリナの間の視界を埋める。俺は激痛に顔を歪めた。爆発が起こったから、ではない。左腕に突き刺さった魔獣の牙が食い込んだからだ。しかしそれが肉を分け千切るのも構わずに、その手に持った球体も握りしめる。そうすると今度はケルベロスの口の中で、俺の拳諸共吹き飛ばす爆炎が巻き起こった。ケルベロスが叫声をあげながら離れる。俺は絶叫を口の中で押し殺して、血まみれになった左手をマントの中に隠した。

 俺を覆っていた煙が晴れる。ケルベロスが口の中の物を吐き出す様子と俺を見比べてマリナは意外そうに目を丸くした。

「あら、正直一瞬で勝負がついてしまうと思ってたんですけれど、驚きです」

「俺も驚きだよ。ケルベロスってのは思ったより大したことな……」

 言い終える前にマリナが手を横に振った。それに突き動かされるようにケルベロスがもう一度飛びかかって来る。今度も避けることなく俺はそれを左手で受けた。肩と拳、同時に二つの頭が噛み付く。マリナが満足そうに微笑むのが見えた。俺は空いている手でマントの中から二つ球体を取り。それをケルベロスの目に押し込んだ。

 再び爆発。黒煙が一面に広がる。ケルベロスが怯んだ隙に、血が噴き出す両手をマントの中にくぐらせる。

 今度は自分から歩いて煙の外へと出る。悠然と歩いて来る俺を見てマリナはまた目を丸くした。

「あなた、何をしたの?」

「何を、って君の子犬とじゃれてるだけだよ」

 軽い調子を装って笑顔を見せる。彼女は俺を一瞬睨むと、両手を大きく振った。

「ケルベロス……噛み千切って」

 何かをする間もなかった。ケルベロスは俺の左肩に喰らい付き、そのまま三つの頭の牙を全て突き刺して左腕を強引に引きちぎった。俺は体は大きくバランスを失う。しかしそれでも歯を食いしばり、握った球体とともに残った右手の拳を三つの頭の一つに叩き付ける。三度爆煙が立ちこめた。煙の中で俺は踞る。引きちぎられた肩から濁流のごとく血が噴き出し頭からは血の気が引いていく。しかし指輪の力で新しい腕は生えて来ていた。呼吸を整え、明滅する視界を懸命に整え、嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪える。再び立ち上がり、静かに煙が晴れるのを待つ。

 ケルベロスが俺の腕を喰らっているのを見てマリナは満足そうに頷いていたが、俺が変わらずその場に立っているのを見て動きを止めた。

「あなた……なんで」

「そんな子犬に噛まれたぐらいじゃ怯むわけねぇだろ? それより、躾がなってないんじゃないか? 飼い主の顔が見てみたいね」

 俺は腕が生え終わったのを確信してから、それをマントの外に出して何ともないように振った。マリナは今度こそ露骨に不信感を顔に出した。

(つくも……本当に、これでいいんだよな)

 俺は脳裏に思い返す。つくもにされた作戦を。あいつが提案したとんでもない作戦、それは非常に単純明快な物だった。

 ブラフ。つまりはただのはったりだ。

 全ての不利な状況をひっくり返す、とんでもない奇策。それは人間だと知られていないからこそ可能な逆転劇。魔女に俺には勝てないと思わせる、圧倒的な格上をはったりだけで屈服させる、まさにとんでもないチープトリックだった。

 マントの下に隠した二種類の球体はつくも特製の爆弾と煙幕弾だ。腕を噛まれようと引き千切られようと、爆弾で魔獣の気を逸らし、煙幕に隠れて肉体が回復するのを待つ。そして悠然と現れ、全く攻撃が聞いていないと思わせる。それがこの作戦だ。

「おいおい、魔女ってのは本当なのか? 遊び相手にもなんねーぞ?」

「あなた何者……?」

「それは決闘を挑む前に気にしておくべきだったな」

「……ケルベロス!」

 三首の猛犬が迫って来る。俺はその場から動きもしなかった。俺はケルベロスが腹を喰い破るのをマリナに見せつけてから、煙幕弾を握りしめた。黒煙が広がる。さすがに立ってはいられなかった。跪いて口と腹から血をまき散らし、脂汗を拭った。この作戦の悪夢みたいなところは、どんな苦痛を味わったとしても顔色一つ変えてはいけないということだ。さすがつくもの考えた作戦だけはある。

 血が滴る腹をマントで隠し、俺はゆっくりと煙の外に歩いていった。

「ケルベロス、もっと……もっとよ!」

 血に濡れた牙が何度も襲い来る。その度に俺は激痛を押して笑顔を浮かべた。

「教えておいてやる。お前の攻撃は一切俺には通用しない」

 彼女は明らかに動揺していた。それもそのはずだ。彼女からしてみれば腕を噛み千切っても腹を喰い破っても全く動揺すらしてないように見えているのだ。

「だったら……一撃で仕留めます。サイクロッド!!」

 ケルベロスが解けていき元の荊に戻り、それがまたおぞましく絡まり合い巨大な人型を形作る。いや、辛うじて人と似通った姿をしているものの、それはあまりにも醜い巨人だった。歪な形の頭には口もなく、飛び出しそうな一つの目玉だけが蠢いている。

 そいつは大木のような棍棒を振り上げた。だが避けることを許されない。俺はせめてもの抵抗にマリナに向けて不敵な笑みを向けていた。

 大地を揺るがすような衝撃が走る。一瞬意識が奪われ、気が付けば俺は空を見上げていた。恐ろしい予感がしながらも顔を傾けると、巨大な棍棒が血と肉に塗れているのが見えた。俺の右半身は叩き潰されていた。

 もはや痛みすら感じない。残った半身は大きく痙攣していた。それでもなんとか残った方の腕で煙幕弾を二つ掴んで爆発させる。確かに、閻魔大王の言った通りその指輪の効力は俺が自ら外さない限り肉体を叩き潰されても有効らしい。だが体を叩き潰されてはさすがに動くことも落ち着いていることもままならない。俺は煙が晴れるギリギリまで肉体を回復させ、気持ちを落ち着かせる。これ以上は気力も煙幕弾も底が近い。

(第三段階……だ)

 俺は朦朧とする意識の中で息を吸い込んだ。ここからが正念場だ。

「ク、くく……はははははははははッ!!」

 俺の哄笑とともに煙が晴れていく。もはやマリナは動揺を隠そうともしていなかった。虚ろな顔で首を振っている。

「どうして……確かに叩き潰した! ……ありえない……ありえない!」

「なかなか楽しめたよ。魔女っていうのは伊達じゃない。……だが終わりにしよう」

 俺は焦らないよう自分を落ち着かせながら、けれど表面には飄々と過ごしているように見える演技を貼り付け、言葉を慎重に並べていく。

「マリナ、降参しろ」

 彼女の肩がびくりと震えた。

「何をふざけたことを言っているの……? まだ勝負は終わっていない……」

「俺に敵わないのは十分わかったはずだ」

「そんなはずがない……私は魔女だ! あなたなんかに……ッ!!」

「そうだ。お前は魔女だ。だがおかしいと思わなかったのか? 相手が魔女だと知っていて、しかもお互い自身を賭けた重要な勝負に、あんなにも簡単に乗って来るなんて」

「そ、それは……」

「お前はまだ実戦経験がないから知らないかもしれないが、相手が新人だと思ってかかると痛い目をみるぜ」

 いったいどの口が言えるのかというセリフだったが、自分の失態すらもはったりの一部として揺さぶりに使う。もし相手がベテランだったのなら一笑に付されていたかもしれない。だが、たとえ魔女でもまだ経験の浅い彼女は確実に揺さぶりにかかっていた。彼女はプライドが高いからこそ、その揺さぶりから抜け出せないのだ。そこで俺は駄目押しの一言を付け加える。

「それに、俺はまだ戯式フォーマーを使っていない」

 彼女が絶望の兆しを見せた。抗うように声をあげる。

「そんなの……はったりに決まっています」

「そうだったら良かったんだがな。町での会話を聞いてただろ? なんで俺に知名度がないかって。それはな、俺の戯式フォーマーを見た奴は一人もいないからだ。……いや、一人も残っちゃいないんだよ」

 俺はマリナを睨みつける。この魔王と揶揄された顔の皺一本一本を深く刻ませて。鬼を殺すとまで言われた眼光を放ちながら。彼女の微笑みの牙城はとうに崩されていた。

「誰も俺の戯式フォーマーを知らない……聞いたこともない。その理由はな、正直俺もこの戯式フォーマーをまだ使いこなせないんだよ。もし開放すれば相手を殺すまで暴走をやめない。一滴残さず血を啜り切るまで容赦はしない。そういうのがコイツなんだ」

 もし彼女がまだ一片でも俺を見下していれば、勝機を探していれば、俺に勝ち目はない。しかし彼女が、年端もいかぬ少女が今目にしているのは勝機への道筋ではない。俺の、全てを恐怖させるこの顔面だ。

「……だが、お前はなんといっても魔女だ。さすがに殺すのは惜しい。殺しちまったら賭けの意味がない、さっきお前もそう言ったからな。……だから降参すれば手打ちにしてやる」

「あ……ぐ、ぅ」

 マリナの顔に初めて恐怖の表情が浮かんだ。相手の立場を利用して、ブラフに真実味を付加させていく。俺は彼女を睨みつけながら、一歩、また一歩と距離を縮めていく。魔女と言ってもマリナはまだ少女だった。俺の顔面から目を離せず、恐怖に張り付けにされたマリナは小さく震え始めた。

「あ、う……く、来るな……」

 俺は容赦なくその少女へと踏み込む。逃げ道などないと相手の恐怖に刻み込む。冷たく、残忍で、凶器に満ちた視線を逸らさず。それはまるで人を殺すことなど厭わない魔王のように。

「さぁ、選べ。ここで死ぬか、降参するかだ」

「い、イヤ……ッ。やだ……っ……」

「苦しいのは、痛いのは嫌だろう?」

「もう、許して……来ないで……ッ」

「生きるか……死ぬかだ。さぁ選べ……さぁ……選んでみろッ!!」

 彼女の目から涙が溢れた。

「ま、参りました……」

 マリナは遂に崩れ落ちる。

 こうして俺は勝利した。少女を脅して泣かせるという最悪の方法で、魔女に勝利したのだ。

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