5.4

 喫茶店からダイナミック退店を決めたその後しばらくして、俺達は魔王城に向かうために森の中にできた獣道を辿っていた。もう三日分の気力を使い果たしていたので今日は休みにしたかったというのが本音だが、ようやく何かの丸焼きを完食して元気いっぱいになったつくもに引っ張られてきたのだった。

 どうもまだ痛む気がする肩を回していると、ふと思い出したようにリストが口を開いた。

「そういえばさ、お前自分が人間だってことを俺ら以外に話したか?」

 俺が首を横に振るとリストは真面目な表情を崩さずに頷いた。

「それならいい。念のために言っておくが自分が人間だって事は極力隠しておけ」

「なんでだ?」

「魔界の人は人間にあまり良い印象を持ってないからだ」

 そういえばさっきもティアさんに話そうとしたらごまかされたのを思い出す。不服そうな感情が自分の顔に出てしまっているのを感じた。リストはそれを見て弁解するように苦笑いを浮かべる。

「俺は別にそうは思ってないよ。ただなんというのかな、生粋の魔族になればなるほど、人間って存在には理解を示さないんだ」

「……そういえば前につくももそんなような事を言ってたな。人間だとバレたら酷い扱いを受けるって」

 つくもはというと俺らのかなり先を歩いている。長い髪を左右に振って歩きにくい獣道もなんのそのだ。俺は地面からせり出した木の根に重い足をかけながら聞いた。

「なんでそんなに人間が嫌いなんだ? 角とか鱗とか除けば見た目はそんなに変わらないじゃねーか」

 俺は彼の姿を目に収める。リストは削れてしまった角を物寂し気に撫でた。

「実を言うと魔界に人間が来る事は全くないってわけじゃないんだ。まれにだが、魔界にたまたま迷い込んだり、お前みたいに閻魔大王に送られてくるらしい。そう言う奴らがやったことが問題でな」

「やったこと?」

 それだけ言うと彼は黙ってしまった。話したくない事なのかと思って詮索はしなかったが、少したつと零すように話し始めた。

「昔々のことだがな、ある時そこそこの数の人間が一斉にこっちに来た。そいつらは自分達のことを勇者だとか名乗った。そしてそいつらは俺らの世界の罪のない魔王や魔獣を殺そうとしたんだ。一方的な正義を振りかざしてな」

 俺はあまりの衝撃に思わず立ち止まった。俺の他にも人間が魔界に来ていたことも驚きだったが、この世界に来た人間がそんな非人道的なことをしていることが信じられなかった。けれど、自分だって魔界だ魔王だと聞けば悪い物を想像してしまうのも事実だ。人間界に伝わっているような魔物やそれを討伐する伝承が実話だとしたら……。続きを聞くのを躊躇いつつも恐る恐る問いかける。

「それじゃあ、この世界にやってきた人間が虐殺を……」

「いや? 全員返り討ちにあった」

「……へ?」

「当たり前だろ。体が弱けりゃ際立った戦闘能力もない。おまけに魔法も使えないときた。そんなんに負ける方がおかしいんだよ」

「じゃあ人間が嫌いだってのは」

「力もないのに口だけは大きいから見下されている、ってことだ」

「なんだそういうことかよ……」

 肩の力が抜ける。犠牲者がいなくて良かったような間抜けのような、なんとも不甲斐ない話だった。そんな前例ばかりあれば嫌われるのも仕方ないのかもしれない。

「まぁ魔王を目指すような奴ほどプライドや血統を重んじるからな。そういう上流民族は人間を毛嫌いしているんだ。むしろつくもみたいに人間好きな奴の方が珍しいんだよ」

「けどあいつが人間好きなせいでろくな目にあってない気がするんだが……」

「あんなの可愛いもんさ。だから、な。余計なゴタゴタを起こさないためにも人間だってことは隠しとけ」

「あぁ……わかったよ」

 元気づけるように肩に手が置かれた。俺はそれに答えるように頷いてから足下の草を踏みしめる。先を歩いていたつくもは待ちきれない様子でひょこひょこ跳ねていた。

「遅いですよ二人ともー。まだ半分も来てませんよ?」

「魔王城が遠過ぎるんだよ。バスでも出てないのか」

「バス?」

「乗り物だよ」

「乗り物……!? バスってどんな乗り物なんですか?」

 俺がバスについて説明するとつくもは目をきらきらさせて恍惚の表情を浮かべた。

「バス……人間をまとめて乗せて運ぶ箱! 楽しそう! 『界層紋ポーター』を使えば一瞬なのに、やっぱり人間ってとっても非効率的!!」

 嬉しそうに失礼なことを言うつくもはほっといて俺はリストに話しかけた。

「魔王城に繋がる『界層紋ポーター』があるのか?」

「町によってはな。ただエルフェリータの町は歩いていける距離だから元々用意されてないんだ」

「そうなのか……もっと遠い町の方が良かったなぁ」

「だけど魔王城に近いってのは大きな利点だよ。優秀な人材や資源が入ってくるし。その分狙われることも多いけどな」

「そこで! 町を守ってくれているのがエルフェリータの魔王様なんですよ! とーっても強いし、こぉーんなに大きいんですよ!!」

 つくもは大きさを表現するために手を広げて嬉々として駆け出すと、大体十数メートル先で大きく手を振った。だいぶ誇張が入っている気がする。

「随分でかいんだな」

「はい! 央真さんなんか丸呑みにできちゃうぐらい大きいですよ! 今度会いに行きましょうね!」 

 俺は愛想笑いを浮かべながら、その魔王が人間嫌いでないことを祈った。

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