第5章 未知と遭遇の空間に

5.1

「央真さん、起きてくださぁい。朝でっすよー!」

 開け放たれた窓から朝日が差し込んだ。

 いつもならば忌々しい目覚ましの鳴き声で目を覚ますところだが、今朝俺を微睡みから掬い上げたのは鈴の音のような少女からの呼び声だった。可愛らしい少女が枕元にまで訪れて甲斐甲斐しくも優しく呼び起こしてくれる……青少年なら一度は夢見たことがあるだろうシチュエーションを実際に体験して、俺は爽やかな朝を迎えられる。はずだった。

 ただそれは、その少女が鈍器を振りかぶっていない場合の話である。

「起きないとぉー…………そいやぁぁぁぁ!!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッ!!」

 瞬時に覚醒した頭をこれまた瞬時に横へずらす。一秒前まで俺の頭があった場所には巨大な鉄槌が埋め込まれていた。

「な、ななななななんな!?」

「おはようございます央真さん。よく眠れましたか?」

「よく眠れたどころか永遠の眠りにつくところだよ!」

「人間は頭をぶつけると目から星とひよこが飛び出すっていうのは本当かと思って」

「そんなファンシーなもんじゃなくて脳みそが飛び出すわ!」

 寝起きとは思えないほどの早鐘を打つ胸を必死に抑える。襲ってきた本人はいたって涼しげな顔でめり込んだ鉄槌を引き抜くと、つまらなさそうに唇を尖らせた。

「なーんだ、作り話なんですね。まぁそれならそれでいっか。朝食できてますから降りてきてくださいねー」

 そう言ってさっさと部屋から出て行ってしまう。俺は呼吸を整える為に三回ゆっくりと深呼吸をしてから、一回大きく溜息をついた。

 魔界に来てから数日というもの、つくもは隙あらばどこから仕入れてきたかわからない人間の真相を解明しようと日々俺を実験台にしていた。これが子供らしい興味ならまだしもマッドサイエンティストもびっくりなサディスティックな人体実験ばかりなのだから戦慄だ。

「あら、おはよう央真君」

 家の一階に降りるとつくもの母であるゆくもさんが声をかけてくれた。挨拶を返すとテーブルに俺の分の朝食を用意してくれる。ゆくもさんはつくもとは反対に、居候の俺にも比較的優しく接してくれるようになっていた。始めは顔を見るだけで卒倒する有様だったが、俺がつくもにいいように扱われているのを見るうちに恐怖の対象から憐れみの対象にシフトしてきたらしい。実験動物として非人道的に扱われる事で人道的な優しさを得られるというのは、これまた悲劇のトレードオフである。

 馴染みのない味の朝食をそれでも胃に収めてから、俺は店の棚を眺めつつ待ち人が来るのを待った。『しぐれや』は雑貨屋の名に恥じぬ品揃えで、大半の商品は何に使うのかがわからなかったが、それでも見知らぬ地の商品を眺めているのは楽しい。

 頭にプロペラのついた蛙の死骸のような物を矯めつ眇めつ眺めていると、入り口の引き戸が音を立てて開いた。

「おじゃましやーっす。つくもと央真はいるかー、と……」

「おはようリスト。待ってたぞ」

 俺が爽やかな表情で挨拶を飛ばすと、リストは飛び上がって後ろの棚に頭をぶつけた。

「うぉわァ!? 暗がりから突然出てくるなよ! その顔が急に出てくると心臓に悪い」

「す、すまん……」

「いやまぁ、いい眠気覚ましになったよ。つくもは?」

「奥で飯食ってる。おーい、リスト来たぞー!」

「……はへ? ひふほほうひはんへすは?」

 つくもが口に何かの丸焼き(俺には足ヒレの生えたハリネズミにしか見えなかった)をくわえて鼻歌を歌いながら店の方に顔を出した。

「つくも、飲み込んでから話せ」

「……。あれ? リストもう来たんですか?」

「あぁ、お前がこの時間を指定したからな」

「そうでしたっけ。ちょっと待っててくださいね。女の子は準備に時間がかかるんです」

 そう言ってつくもはもう一度何かの丸焼き(聞き間違いでなければ鳴き声をあげていた)にかぶりついてから奥へと消えた。

「……あの様子だとまだまだかかりそうだな。まぁつくもの適当さは昔からだが」

「置いてくか?」

「それはそれで後がうるさいだろうし……。そうだ、つくもの準備が終わるまでに良い所に連れてってやるよ」

「良い所ぉ……?」

 まだ魔界に来て数日だけれども、正直ここに良い所なんてものが存在するとは到底思えなかった。

「そう疑わし気な顔をするなって。……それ疑わし気な顔だよな? 殺意じゃないよな? まぁとりあえず試練を一つ突破したお祝いってやつだ。奢ってやるよ」

 俺は何やら楽し気なリストの背中を渋々と追うことにする。良い所の基準が魔界基準……いやせめてつくも基準じゃなければいいのだが。

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