2.3

 目の前には銀髪の似合うビューティー、閻魔大王。

「………………おかえり、なさい」

「ただいま」

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「……また、会えたね……」

「うるせぇ!」

 鮮やかな銀髪に鮮やかなチョップが突き刺さった。

「……痛、い。……殴った……私閻魔大王なのに……ゴールド免許なのに……」

「ゴールドも何もあるか! 開始十秒で華麗にお陀仏じゃねぇか!」

「まさに……出落ち…………ふふ……」

 間髪入れず、チョップがもう一度振り下ろされた。

「ひぃぃ……暴力反対……」

「人を地面に叩きつける奴が何言ってやがる」

 周りはまたもや真っ白な空間。閻魔大王が特に何も考えず俺を魔界に放り込んだので、すぐさま地面に叩き付けられ死亡。死後の世界に送り返されていた。異世界突入のお約束は全無視だった。

「……だって、空から落ちたぐらい……で……死ぬとは……思わない……」

「お前は人間をなんだと思ってるんだ……」

「そんなんじゃ……魔界で生きて……いけない…………」

 そもそも魔界で生きていく気がないです。閻魔大王の言い草を聞いていると俺が悪いような気がしてくるが、言ってることは「雲の上から落ちても死ぬな」だ。そんな屈強な人間ならそもそもナイフで刺されたぐらいじゃ死んでいない。

「よし……それじゃあもう一度リトライ……」

「いや待て! 今送られてもまた即死するだろ」

「大丈夫……こう……両手を広げて……空気抵抗を、なんか……こう……」

「死にます」

「でも……猫は……できるって……」

「あの高さなら猫も死ぬわ!」

 閻魔大王は不満げに口をすぼませる。非常に可愛らしい仕草ではあったが、一歩間違えば即死確定スカイダイビングになることを考えると狂気の表情にも見えてくる。

「というか俺、魔界に行くとも言ってないんですけれど」 

「そうだっけ……?」

 目の前の意外そうな表情を見ていたら思わず溜息が出た。

 一旦腰を下ろす。とんでもない急降下の後では床があることにすら感動だ。ビバ地面。座り込んだ俺の顔を閻魔大王が恐る恐る覗き込んでくる。

「……でも、魔界は……良い所、だったでしょう?」 

「空と木と地面しか見てませんよ」

「あ、ぅ……じ、地面はいい……大地の、エネルギーを……感じる……」

「確かに叩き付けられるようなエネルギーを感じましたね」

「うぅ……」

「……なんでそんなに魔界送りにしたがるんですか」

「…………上の人に……怒られるから」

 変な所で正直な人だった。

「でも魔王なんて目指したくないですよ、俺」

「……じゃあ……取引を、しませんか……」

「取引?」

「はい……もし、あなたが条件を……クリアできたら……人間界に生き返らせてあげます……」

「生きか…………えっ!?」

 さらっととんでもない事を言ってないかこの人。

「生き返るって……そんなことができるんですか」

「はい……条件付きですけど」

「条件?」

「はい。これを見てもらえますか……」

 そう言うと閻魔大王は空中に手をかざし、目の前の空気を包み込むように両手のひらをまるめた。すると一瞬のうちに、その手の隙間から赤い閃光が吹き出した。

「これを……嵌めてください……」

 閃光が収まった後の手の中には、一つの指輪が入っていた。しかし指輪といっても、本来宝石でも嵌められている場所には大きめの無骨な石が埋め込まれているだけだった。

 差し出された指輪を右手の中指に嵌める。一瞬劇的な何かが起こるのかと期待したが、特に何かが起きるわけでもなく、石は変わらずただの石だった。

「これ、なんか意味があるんですか?」

「……大あり、です。生き返らせる……条件は……この石を、光り輝かせることです……」

 もう一度指輪を見る。嵌められた石は公園にでも落ちてそうな石ころだ。

「……磨けと?」

「いえ……この石は、魔界で試練を乗り越えることによって……形を変えます」

「じゃあ、魔界で試練とやらを受けてこの石を光らせろと」

「はい……それが生き返るのに必要な条件です……」

「その試練と言うのは?」

「それは行ってみてからの……お楽しみ」

「試練という名前からして楽しくはないよね」

「……まぁね」

 ふむ、なんとも曖昧な条件だ。どんなところかもわからない魔界でどんなものかもわからない試練を乗り越えろ、だなんて……。そもそも石が形を変えて光るというのも非科学的で……いやそれは今更か。

「なんか特別な能力をくれたりとかはしないんですか? ほら、なんか凄い武器が貰えたり、強くてニューゲームみたいな」

「ない」

「素っ気ないですね」

「まず私にそんな力がないから……。私は行き先を決めるだけ」

「でもさっきみたいにすぐここに戻って来ることになりそうなんですけど」

「……それは大丈夫。その指輪を付けていれば……ここには戻って来られなく、なってる。それに、その指輪は……あなたが外そうと思わなければ……外れない」

 もう一度指輪を見る。安いアクセサリーショップで売ってそうなそれに不思議な力があるようには見えなかった。

「これになんか力が?」

「ヒントは終わり……」

「これ以上は自分で解き明かせと」

「いや……なんかもう喋るの疲れた……」

 不適材不適所じゃないかな、この閻魔大王。

「さぁ、どうする……? 地獄に行くもよし……魔界で試練に挑むもよし……よ」

 俺はしばし考える。魔界に行って生き返るチャンスを手にするか、このまま地獄へ落ちるか。どんな所かわからないとは言ってもやはり地獄なんてものは嫌だ。ただ、生前ひたすら俺を苦しめ続けた魔王の呼び名を自ら目指すなんてことも絶対に嫌だった。

 それに。辛い思いをして生き返ったってどうなるというのだ。また人を怯えさせる日々が続くだけじゃないのか。

 俺は考えた末に、ゆっくりと頭を振った。

「俺、魔界には行かないよ……」

「了解……魔界行きね」

「……あれ!? 俺の話聞いてた!?」

「いや……なんとなく選択肢示してみたけど、もう魔界行きの申請出しちゃったから……」

「なんで悩ませたんだよ!!」

 なんだか死後だというのにひたすら疲労が溜まっている気がする。もう考えるのも面倒だった。煮るなり焼くなり魔界なり、どうにでもしてくれという心境だ。

「でもね……あなたまだ人間界でやりたいことが、あったんじゃないの……?」

 不意に閻魔大王にそうポツリと言われて、心がざわつくのを感じた。

「……どうしてそう思うんですか」

「ううん、深い意味があるわけじゃないの……。ただ、なんだか死んで凄く後悔しているような表情だったから……」

「……元々そういう顔なんですよ」

 けれど、俺の意思が生き返りという言葉で少なからず揺れているのも事実であった。そんな希望的なものはもう捨てたと思っていたのに。

 俺は深くため息をついてから小さく頷いた。

「……わかりましたよ。閻魔大王のノルマのため、魔界に行きます。どんなとこかはわかりませんがとりあえずやってみますよ」

「本当……? それは良かったわ。申請の取り消しは面倒だから……。期限は三つの月が重なるまでだから……忘れないでね」

「三つの月……?」

「正確には、全然月じゃないんだけれど……見た目はそんなに変わらないわ……」

「じゃあ、もし期限を過ぎたら……?」

「その時は……魔王を目指して……」

 やっぱりそれなのか。 

 俺が不承不承受け止めると、閻魔大王は嬉しそうに頷いた。

「ふふ……あなたが魔王になるため、試練うまくいかないよう祈ってる……わ」

「最高の笑顔で最悪なこと言わないでください」

 閻魔大王は笑顔を浮かべたまま、何か小くて薄いケースの中から一枚の紙を取り出した。差し出されたそれを受け取る。

「これも……持ってて。もしもの時……困ったら……役に立つ、はず……」

「ありがとうございます」

「大丈夫……あなたなら……魔界でもきっとうまく、やれる……」

「だと、いいんですけどね」

「それじゃあ……準備は…………いい?」

「……はい!」

 もちろん不安がないわけじゃなかった。というか不安しかない。けれど、どのみち酷い道を生きてきたんだ。死んでから多少追加されたってオマケ程度なものだ。駄目だったとしてもできる限りのことをしよう。

 さっきと同じようなお経ラップのような呪文が聞こえてくる。ここからまた魔界へと飛び立つんだ。…………飛び立つ?

 大事なことを思い出した。

「ちょっと待って閻魔大王! まさかまた落ち――――」

 

 空。

 

 果てがない澄み渡った青空と、眼下に広がる広大な森。 

 重力、そして自由落下。

「やっぱりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 本日二度目のスカイダイビングだ。しかし一度目も二度目も変わりない。どんどんと速度を増しながら落ちて行く。試しに両手足を伸ばしてみたが、速度が落ちる気配は全くなかった。

 眼前に勢いを増しながら地面が近づいて来る。また閻魔大王の所に逆戻りかと思ったとき、閻魔大王に渡されて掴んだままの小さな紙を思い出す。

(もしもの時……何でもいいから頼む!!)

 風を切りながら貰った紙を見る。表は白紙、裏返すと文字が書いてあった。


《日本死後の界 進路相談室 室長 閻魔大王  TEL XX-XXX-XXX》


「名刺じゃねぇかぁぁぁぁぁぁ!!」

 こうして俺は魔界デビューを果たすこととなった。

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