2.2
いや、さっきまでの山盛りシンキングタイムは何だったんだよ。
閻魔大王は俺の大声に驚いたようにまた肩を竦めていた。
「その……ご不満、でしたか……?」
「ご不満に決まってるだろ!? なんだ選考基準『顔』って!! 超先天的な物じゃねぇか!! 善行悪行総じてスルーか!!」
「いや二、三人は殺ってそうな顔だったので……」
「殺ってそう、じゃねーよ! 理由がふわふわし過ぎだろ!」
「殺ってないんですか……?」
「殺ってねーよ!!」
なぜそこで疑いの目を向けられるのか。いや疑いの目を向けられる理由は納得できるが、結論には納得できねぇ。
まだ信用しきれないとばかりの不満顔をしながら、また服のポケットをごそごそと探り始める閻魔大王。今度はヘアピンが地面に散らばった。
「反省するなら……今のうちですよ……。じゃーん、閻魔帖ー……」
テンションが高いのか低いのかわからない調子で取り出したのは雑にまとめた紙の束だった。
「……何ですか、それ」
「この閻魔帖には生前の記録が……全て載っているのでーす……」
「最初からそれ使えよ!」
「ふふーん……閻魔に嘘は、通じないー……」
そう言うと、閻魔大王は白い地面に寝っ転がって閻魔帳とやらを読み始めた。端から見たらリラックスして雑誌でも読んでるようにしか見えない。袋の開いたポテチでも見えてきそうな勢いだ。フリーダムにも程があるぞ閻魔大王。
それから数分、閻魔大王は紙をペラペラと捲り続け、俺はもう彼女を置いて立ち去りたい気持ちを抑えなければならなかった。次この人が何をしてももう動じないようにしようと密かに決める。そして突然、閻魔大王がすすり泣きを始めて、密かな誓いは密かに敗れた。
「……う、うぅ……ぐすっ……おうっおうっ……うぅう……」
「ど、どうしました?」
「……うぅ、ただ顔が恐いだけなのに……何もしてないのにぃ……ぐすっ、ひぐっ……可哀想だよぅ……ひどいよぅ……」
「……まさかとは思いますが、俺、同情されてます?」
いやはやそのまさかだった。テンションの振れ幅が降り切れている彼女の柔らかい手が俺の手を包んだ。上げられた顔は涙でぐしゃぐしゃだった。鼻水が垂れてきそうだったので若干腕を引く。
「辛かったよね……悲しかったよね……うぅ……」
「えぇ、まぁ……はい……」
彼女は閻魔帳の開かれたページに目を落とす。
「『出生。産声を上げる前に助産師が悲鳴を上げる』……うぅ……」
「そ、そんな事があったのかー」
「『生後三時間。父からの初めての言葉が「悪魔の子を授かった」』……酷い……」
「まぁ物心つく前のことですから」
「『九才。水泳の時間、ふざけて同級生達を驚かせたところ、揃って失禁し、プールが金色に染まる』……うぅぅ……」
「あははー……」
「『十二才。卒業アルバム、自分の顔だけモザイク入り』……そんな……」
「うん……」
「『十三才。文化祭のお化け屋敷で受付をやったところ、客が緊急搬送』……ぐすっ……」
「……」
「『十四才。隣の女子が落とした消しゴムを拾ってあげたときに言われた言葉が「助けて犯される!」』…………ありえない……」
「…………」
「『十六才。コンビニに行ったら店員が泣きながらレジの金を差し出してきた』……もうイヤ……」
「……………………」
「『十七才。ファストフード店で見かけた同級生に話しかけたことで機動隊が」
「もういいよ!! 何の罰ゲームだこれ!?」
美人に手を握られながら生前の辛い記憶を延々と語られるとかどんな不思議体験だ。
閻魔大王はよっぽど俺の人生に絶望してしまったのか、未だにさめざめと涙を流している。泣きたいのはこっちである。
「こんなに……酷い目に遭いながら……最期は三下の不良に刺されて……うぅぅ、たかが顔が恐いくらいが、何よ…………みんな見た目で判断して……」
「顔が恐い」という理由で人を地獄に叩き落とそうとした人の言葉とは到底思えなかった。
「こんな……こんな壮絶な過去を持った人を裁く、なんて……どうしよう……一体どっちに……。あなたはどっち行きたい……?」
「それ俺に聞いちゃうのか」
ナチュラルに職務怠慢だぞ、閻魔大王。
「行けるなら、まぁそりゃ当然天国ですけど……」
「そう、よね……でもあそこは平和ボケしてるから……」
「俺が行くとマズいんですか」
「そう……ね……最悪『
「
「はい……表情筋が付いた兵器……みたいな、ものですから…………」
この人もしかして俺のこと嫌いなんじゃないかな。
上げて落とすどころか、上げて揺さぶって膝蹴りを喰らわせてから顎にアッパーを叩き込むような仕打ちを受けてメンタル崩壊寸前だ。目に見えて落ち込んでいる俺に閻魔大王が優しく声をかけた。
「え、えっと……元気出してください……ほら、『顔面魔王』さん……」
トドメの一撃だった。メンタルと涙腺が全壊し崩れ落ちる。
さめざめと泣く俺の前で閻魔大王が慌てた。
「すみま……せん。……カッコいいあだ名だと……思ったので……」
「人から魔王と恐れられて嬉しい人なんて、特殊性癖を持った人ぐらいだと思いますよ……」
「そうなんですか……? でも……私の故郷では……褒め言葉……でしたから……」
「ずいぶんと愉快な所に生まれたんですね」
「そう言ってもらえると……嬉しい」
駄目だ。皮肉も通じない。
「そう……だ。あなた、魔界に行きなさい……!」
「は?」
思わず耳を疑う。死後の世界に天国地獄だけでもいっぱいいっぱいなのに今度は魔界ときた。というか魔界なんて存在するのか。
「もちろん……する。私の出身が……魔界」
「地獄とかじゃないんですね……。でもなんで俺が魔界に行くことになるんですか」
「最近の……魔界は、少子化……で……魔王候補が少ない……」
「一気に身近になりましたよ、魔界」
「だから、良さそうな人がいたら……魔界に送ってくれ……と、頼まれてる……。あなたの見た目なら、ぴったり……」
「魔界にぴったりの顔って、それ褒め言葉になってませんからね?」
閻魔大王は興奮したように両手の拳を上下に振っている。
「我ながら……名案……。あなたは、地獄を回避……私は、ノルマ達成……良い事尽くし……」
「いや、魔界も地獄と同じぐらい危なそうに思えるんですけど!?」
「大丈夫……魔界なら、スリルと危険とデンジャラスが……味わえる」
「味わいたくもねぇよ。危険しかねーじゃねぇか魔界」
「あなたは……顔も魔物並みだし…………ばっちり……!」
「人の顔を魔物呼ばわりしてばっちりもクソもねぇからな!?」
「とりあえず……行ってみる?」
何故だかノリノリになってきた閻魔大王に押されてじりじりと後退する。閻魔大王は早速お経とラップと舌打ちのコラボレーションみたいな呪文をブツブツと唱え始めた。それに呼応するように俺の足下がぼんやりと光を放ち出す。
「閻魔大王! 一旦ストップ! たんま! ウェイトォ!!」
おかまいなしに閻魔大王は唱え続け、足下の光は刻一刻と強くなり、遂には目も開けていられない程になる。
瞼を貫くような光の中で、声だけが聞こえてくる。
「……短い間だったけれど……楽しかった、わ…………またいつか……会いましょうね……」
その言葉を最期に、足下が崩れた。
「うぉぉおぉぉォォォッッ!?」
周りを染めていた色が変わった。空間を包んでいた白は、一瞬で透き通るような青になる。その意味を少し遅れて理解する。空だ。
全身を一気に浮遊感が襲った。
「ありえないありえないありえなありえなァい!」
俺は自由落下真っ最中だった。それもたかが数メートルではない。山でさえ見下ろせるような高度からの落下だ。
体と胃がそれぞれ逆回転しているような気持ち悪さに襲われる。手と足を突っ張っても何にも触れない異質な感覚に支配され、頭が真っ白になる。
凄まじい風が目と口の水分を奪う。まともに呼吸できないせいで思考もままならない。
混乱している間にも速度はどんどん上がり、数秒も経つ頃には木々が見える程になっていた。しかし大地に衝突するまでもう数える程もない時になってようやく一つの考えが浮かんだ。
「あれか!? 都合良くフワッと浮いたりするお約束だ! こうフワッと……地面スレスレで……するよな!?」
しなかった。
希望的観測を抱いた数瞬後、母なる大地と有機物が衝突し大事な物がたっぷり砕ける音が響いた。
こうして時ヶ崎央真は、また死んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます