第2章 銀髪とマイペースの機会に

2.1

 俺は白銀の中にいた。

 強い光に包まれていて、それがまぶたを透かしているのだと思っていた。けれど少し遅れて、自分が既に目を開いていることに気付く。

 そこは染み一つ無い見渡す限り一面の白色だった。

 昔一度だけ行ったことのある雪山を思い出す。そこは視界を埋め尽くす全ての色が雪の純白だったけれど、ここはそれ以上に純粋な白一色だ。

 最後に雪景色を見たのはいったい何年前のことだったっけ。いや、大事なのはそこではなくて……。なんだか長編映画を夜通し見たかのように頭がぼんやりとしていた。その空間には果てがないのか、どれだけ目を凝らしても空と地面の境界線すら見つけられない。影一つすら見当たらない。ただただひたすらに広い空間を眺めている自分がいる。

(俺はいったい何をしているんだろう……)

 頭の中に広がる靄が水を吸うように段々と重くなってくる。それが脳内からまともな思考を追い出していく。それが何より気持ち悪い。一気に取り払うつもりで思い切り頭を振った途端、電気がショートするように記憶と感覚が戻ってきた。

 逃亡劇、二人の不良、ナイフ。そして血。

 弾けるように立ち上がる。その時初めて自分が椅子に座っていたことに気が付いた。

「どこだ……ここは」

 倒れた椅子は綿でできているかのように静かに床に伏せた。

 病院、じゃあないだろう。いくら科学の発展が目紛しいとは言っても、こんな果ての見えないオカルトを作れるようにはなっていないはずだ。密室……ではない、かといって屋外でもない。わかるのは今まで体験したことのない不思議空間ということだけだ。

 脇腹の刺された傷に手を触れる、いや触れようとした。けれどもそこにあるはずのものが見つからない。体のどこを調べたって刺された傷はおろか血の付いた跡すらない。

 そうか夢ね! なんて能天気な結論に至ることができればよかったのだが、残念ながらあの時刺された感覚は死ぬほどリアルだった。そう、死ぬほど。

「じゃあここは、死後の世界……」

 ぼそりと呟いてみると、現実感のないひとり言は少しだけ反響して消えた。

「マジかぁ……マジで死んじまったのか俺」

 しんでしまうとはなさけない! まさか魔王なんて呼ばれておきながらたかが不良のナイフで殺されるとは! あんな……あんな中二病が深夜のテンションでド○キ行って買ってきたようなナイフで! いやたとえそれが勇者の剣だったとしても刺殺されたくはないけど。いやはや、走馬灯を見る暇すらなかった。

 今更とはいうものの生前を思い返してみたが……うん。思い残したことがあるどころじゃない。思い残したことしかないぞ!

 全身を虚脱感が包む。結局のところ、俺は『顔面魔王』なんて呼び名を冠したままに一生を終えてしまった。本当に俺の人生、何一つ意味を成していないじゃないか。

 これから俺はどうやって生きていけば、じゃなくて死んでいけばいいんだ……。

ん? 死んでいるなら何もしなくていいのか? というかどこなんだここは。ずいぶんと殺風景だが天国なのか地獄なのか。全くお茶の一杯でも出ないのか死後の世界は。おもてなし精神大事だよ?

 生憎俺はどの神様も信仰していなかったので、死後の世界に対する事前知識なんてものはない。せめて解説の村人Aさんみたいな人がいて欲しいのだが……。死んでしまったとはいえ何もない真っ白空間に放置は困る。それとも死ぬというのはこんな虚無な世界に取り残されることをいうのだろうか。

 駄目元で漂う魂の一つでも探そうかと思ったが、こうもだだっ広いとどこを探していいかすらわからない。……とりあえず誰かに気付いてもらうのが得策か。そう思って俺は肺いっぱいに空気を吸った。そして、

「おーーーーーーーーい!」

「ヒィィーッ!?」 

「うおぉおぉッ!?」

 全くの予想外にも返事はすぐ真後ろから飛んできた。それもかなり奇声に近いのが。あまりにも声の元が近かったもので、思わず飛び上がって前にすっ転んだ。慌てて振り返ると人がすぐ後ろに、というか真後ろの地面と一体化していた。匍匐前進でもしているような体勢でうずくまっていたその人は、背景に溶け込むような真っ白のフードを被っていた。

「だ……誰ですか?」

 俺の声が聞こえたかはわからなかったが、その人物はしばらくもぞもぞとうごめいた後、ゆっくりと上半身を起き上がらせてフードを下ろした。その下から流れた出た長い髪も背景と同じような白銀色であったが、それは白い空間の中でも自ら光を放つように輝いていた。

「…………おぉ」

 言葉が喉に詰まって行き場を失う。そこにいたのは一人の女性だった。銀髪の奥の表情は明らかに怯えきっていたが、それでもわかるほど透明感のある驚くような美女であった。

「あな……た」

 その人は透き通るように白い指をそろそろと上げ、俺の方を指すと布が擦れるような声で囁き始めた。

「あなたは……とても顔が、恐いのね」

「…………はあ」

 怯えきった態度とは裏腹に初対面でとんでもない切り込み方をしてきた。会話の抜刀術か。なんと返せば正解なのか皆目わからん。返しに困っているとその人は沈黙をどう受け取ったのか、今度は体の前で両手を小さく振り始めた。

「あぁ……違うの。ごめんなさいごめんなさい怒らないで……怒らせるつもりはなかったの……」

「いや、怒ってるわけではないですけど、困惑してます」

「そう? ぶたない……?」

「いや、何もしませんけど」

「あら……。見かけによらずやさしいのね……」

 おい一言余計だぞ。そう言ってやりたかったが、今はとにかく会話のキャッチボールだ。コミュニケーション大事。まともに取ったことないけど。とりあえず置かれた状況を知らなければ。

「えーと、あの、ここって死後の世界? で合ってますかね……?」

「そう、ですけど……」

「じゃあ、あなたは幽霊の方ですか」

「……?」

 いや小首を傾げないでくれ。何言ってんだコイツみたいな反応されると俺も傷付く。

 まぁこの反応は当然か。なんだ幽霊の方って。我ながらよくわからない質問だ。だが遅れて返って来た答えは幽霊に負けず劣らず理解し難いものだった。

「いえ……私はそ、の……ここで閻魔大王をしてい……ます……」

「閻魔大王ですか」

「はい、閻魔大王です……」

 そっかー、閻魔大王だったかー。

 閻魔大王ね。うん、閻魔大王。いいんじゃない?

「……いや、はっ? 閻魔大王!?」

「はい……その、よろしくね?」

 自称閻魔大王は頬を染めながら上目遣いでダブルピースを決めた。そのピースはしばらく宙を漂って、無言の中膝の上に不時着した。

「閻魔大王って、あの死者を裁く閻魔大王?」

「はい、頑張って裁いてますっ……」

「でもイメージだと、恐いオッサンだったり、嘘つきの舌を引き抜いたり……」

「ひぇぇ……そんなことしませんよ……。舌なんて引っ張ったら痛いじゃないですか……」

「いや、そうですけど……」

 そうだけどさ。

 閻魔大王は隙を見せたら舌を抜かれる、とばかりに両手で口を塞いでいる。だからあなたは引き抜く方でしょうに。

「その閻魔大王様は床で何してたんですか」

「昼寝……」

「威厳とかは……」

「人のお昼寝タイムに……死ぬ方が悪い……」

 いや、すみません。こちらの不手際で。次からは事前にアポ取りますね。できるか。

「その顔……は疑っている、わね……」

「その……えぇ、まぁ」

 疑うなという方がおかしい。どんな美人であろうと突然閻魔大王だとカミングアウトしてきたら普通に頭を疑う。他に頼る人がいない状況でなければ確実にスルー対象だ。

 その女性は悠然とした動きでゴソゴソと服のポケットを探り始めた。ポケットからはガムの包み紙とかレシートとかが零れ落ちてきているがお構いなしだ。この人は怯えてるかどうかに関係なくマイペースらしい。

 やがて一枚の小さいプレートを見つけ出すと、震える手で差し出してきた。右中央には女性の顔写真、他には見た事のない言語で色々と書かれている。どこかで見た雰囲気だ。

「……見て……ちゃんと証拠は、ある……」

「この形まさか、免許証……?」

「そう、閻魔大王の免許……取るの大変だった……」

 閻魔大王、まさかの免許制。

「閻魔大王って免許必要なんですか」 

「そう……よ。閻魔免許センター……スパルティで有名……」

 なんだスパルティって。

 じゃなくて。今にも貧血でぶっ倒れそうなこの人が取れてる時点で厳しいかどうかは怪しいのだけれど……大丈夫なのか閻魔免許センター。

「こう、見えて……私ゴールド免許……」

 免許の持ち主は得意げに胸を張っている。胸の下の、真っ白な服に相当な影が生まれている……おぉ、かなりのボリューミィ。

「でもなくて、これ本当にあなたなんですか」

「そうよ……ちゃんと写真が貼って……あるじゃない……」

 免許の写真は長い前髪のせいで顔の大部分が覆われていた。身分証明書で顔が判別できないというのは致命的だと思うが、本当に大丈夫なのだろうか閻魔免許センター。

 返してと身振りする閻魔大王に免許を返却する。

「というわけで……私が閻魔大王だと言うことは……納得してくれた?」

「できれば納得したくはないんですけど……」

「してもらえないと、未来永劫……自我を失うまでここに居てもらうことになるけど……」

「納得しました!」

「ならよかった……」

 ……そのよかったは脅迫に屈してくれてという意味じゃないだろうな。

「それじゃあ、お仕事ね…………」

「お仕事っていうのは」

「勿論……あなたが天国に行くか、地獄に行くかを決める……」

「さいですか」

 この人思い出したかのように閻魔大王っぽいことを言い始めたぞ。まぁこの人がただの頭のおかしい幽霊だったとしてもどうにか話を進めないといけないので、信じて成り行きを見守ることにする。

 彼女は深く深呼吸をすると、今までの三倍ぐらい沈黙を深めて俺の顔を見つめ始めた。急に彼女を覆う雰囲気が禍々しく変わる。長い前髪の奥に見える目が光を放っているようで思わず背筋が伸びてしまう。

 どうやらこれで俺は天国か地獄か行き先が決められてしまうらしい。想像なんてものは沸かないが……まぁどうせ行けるならそりゃ天国がいい。

 生前悪い行いをした覚えはないので天国にいけるとはずだ。……まぁ判断は閻魔大王の手腕にかかっている。精々厳しいと評判の閻魔免許センターを信じるとしよう。

 閻魔大王はその長い睫毛が触れるんじゃないかという距離まで近づいて、俺の顔をくまなく丸々三分は観察して悩んだ後、一人でうんうんと頷き、ようやく満足しきった顔で、誇らしげにその審判を放った。


「……あなたは顔が恐いから、地獄行きね」

「マジで大丈夫なのか閻魔免許センター!?」


 死後の世界、いるだけで疲れてくる場所だった。やっぱり人間そうそう死ぬもんじゃないね。うん。

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