(3)飛鳥
雪が、降り始めていた。
そんなに寒くはないけど、その内積もり始めるかも知れない。
──急がないと。
焦る気持ちを抑えて、あたしは薄暗い路地裏を歩いていく。歩調は一定、後ろに続く子供達がついて来られるよう、細心の注意を払いながら。
時計を見る。約束の時間まで残り僅か。あたしの足なら間に合うかも知れないけど、それは子供達を置き去りにした場合の話だ。こんな雪の降る中に、年端のいかない子供達だけが取り残される。それはさぞかし、心細いものだろうと思う。
いや。もしかしたらその方が、この子達にとっては幸せなのかも知れない。この先に何が在るのか、あたしは良く知らないけれど。
──知らない方が良い、と感じる位の絶望は、そこに存在しているのだろうと思う。
「………」
ふと。別れ際に見た、かずらの顔を思い出した。あんな穏やかな表情をしたかずらを見たのは初めてだった。あたしや瑞希がどれだけ笑わせようとしても、にこりともしなかったあのかずらが。たった数時間程度の子供達との交流で、笑顔を取り戻し始めたと言うのだろうか。だとしたらあたしは、子供達の未来だけでなく、かずらの笑顔まで奪ってしまうことになるのか──。
全てが嘘だと知った時、あの子はどうするのだろう。それでもあの子は、あたしの友達で居てくれるのだろうか。
「飛鳥姉ちゃん」
「……ん?」
考え事をしていたせいか、いつの間にか隣に鷹斗が来ていたことに気付かなかった。名前を呼ばれて初めて気付き、差し伸べられた小さな手を取る。
「へへ。姉ちゃんの手、温かいや」
「あんたの手もね。懐炉の代わりにはなるかな」
本当に、温かかった。いつまでも感じていたいと、そう思ってしまう程に。
「なー姉ちゃん……あんまり気にしなくていいんだぜ?」
「え……?」
「俺達がどこに送られようが、運び屋の姉ちゃんには関係ねーよ。だからさ、あんま気にすんなって。そんなしょげた面見せられたら、こっちまで気が滅入っちまう」
「鷹斗君。あんた」
気付いて、いたのか。これが、皆で過ごす最後の日だってことに。
「第一、そんな辛気臭い面は姉ちゃんには似合わねーよ。かずら姉ちゃんじゃあるまいしさー。ほら、笑って笑って」
「あ、あのね。言っときますけど、こんな時まで笑って居られる程あたしは無神経じゃないのよ。大体、無理に笑ったってロクなことにはならないんだから──って、ちょっとそこ!? どこくすぐってんのよ!?」
「ふふん。姉ちゃんには意地でも笑って貰うぜ。なんせ、これが見納めになるかも知れないんだからな!」
「ちょっ、そこは……あははははっ! ちょ、やめてってば……あははははっ……!」
「そうそう、その調子その調子!」
「あ……あんたねー……!」
知らないと思っていた。気付かれないよう、充分な注意を払っていた筈だった。
だけど、鷹斗は知っていた。ううん、多分きっと、他の皆だって。子供だと思って、甘く見過ぎていたのかも知れない。
だけど──だったらどうして、彼らは逃げなかったのだろう。逃げようと思えば、いつでも逃げ出せたはずなのに。
子供達に初めて出逢ったのは、今から丁度一週間前のことだった。
父に新しい仕事が入ったと言われて、「商品」を受け取りに行った。そこに居たのがこの子達だった、と言う訳だ。
仕事の内容は、一週間彼らの身柄を保護し、その後彼らをとある教育施設へと移送するという、一風変わったものだった。
「何でも急激な環境の変化に対する適応性を見るとか何とか……ま、大方どこぞの金持ちが考えた道楽だろうぜ。それに付き合わされる俺達は堪ったもんじゃねぇけどな。
にしても、こいつらも惨めなもんだよな。聞いた話じゃ、どいつも親に捨てられて孤児院送りになりそうだった所を依頼人に引き取られたらしいぜ。
まぁ、久々に大金の入る仕事だし、俺としちゃ万々歳なんだがな。つー訳でガキ共の世話、宜しく頼むぜ飛鳥」
とは、無責任極まりない我が父の弁だ。それきり父は忽然と姿を消してしまって、結局この一週間あたし一人で子供達十人の世話をする羽目になった。
子供達の世話は、大変なんてものじゃなかった。何しろわんぱく盛りの子供が十人も居るのだ……子育ての経験の無いあたしにとって、それはあまりにも高いハードルだった。
だけどまぁ、何事もやってみるもので。大学生活との両立は確かに厳しいものがあったけれど、最初思っていた程悪いものでもなかった。家族が一気に増えて賑やかになったし、それに──家に帰った時出迎えてくれる誰かが居るという事実に、あたしは新鮮な喜びを感じてもいたんだ。
約束の一週間は、あっという間に過ぎ去った。
予め指定されていた納品期限は十二月二十五日午前零時。それまでにあたしは父との待ち合わせ場所に辿り着き、子供達を教育施設へと送り届けなければならない。
「何で、逃げなかったのよ。あたし一人くらいなら、どうとでもなったでしょうに」
鷹斗の方は向かずに、気になっていたことを尋ねてみる。これから得体の知れない施設に送られる所だと言うのに、妙に落ち着いた様子の彼らが不思議でならなかった。もしあたしが子供達の立場だったら、とっくに逃げ出していたはずだ。また、逃げ切れる自信もあった。たかが女一人で、十人もの子供達を捕獲することはできない。
「何言ってんだよ。俺達が今逃げちゃったら、困るのは姉ちゃんだろ? 施設の奴らじゃなくて、さ」
「なっ」
なのに鷹斗は、平然とそんな風に応えてみせた。
「俺、姉ちゃんのこと好きだもん。同じ布団で寝てくれて、一緒にお風呂に入ってくれて……初めてだったんだ、そういうの。だから、姉ちゃんにだけは迷惑掛けちゃいけないって、そう思ってたんだ」
「鷹斗君、あんた」
「俺だけじゃないぜ。皆だって……な!」
振り向いた、鷹斗に釣られて振り返ると。
そこには一面の、子供達の笑顔が在った。
──何だ、あたしは。
こんなにも温かいものを、捨て去ろうとしていたのか。
仕事だから、と割り切ろうとして。
自分の本当の気持ちに、気付かない振りをしていた。
ああ何だ、本当はあたしだって、
この子達と別れたくなんか無かったのに──。
「上出来です。良くぞここまで飼い慣らして下さいました」
……声が、聞こえた。
降り積もる雪よりもなお冷たく、
一片の温かみすら感じさせない、静謐なる声が。
「これで、貴女の役目は終わりです。約束の報酬、受け取って下さい」
逃げて、と。
声を、上げる暇すら無かった。
何か鋭く尖ったモノが、あたしの胸に突き刺さっていて、
それが割れた硝子の破片だと気付いた時には、意識が黒く塗り潰されていた。
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