(2)瑞希

 何故わたしはここに居るのだろう。

 綺麗な夜景が見えるということで有名なホテルのレストランで、わたしは「家族」と食事をしている。予約していた窓際の席からは、確かに街の様子が一望できた。

 ──それが、何だと言うんだろう。

「……しかし、こうして家族揃って食事をするのも久し振りだね」

 テーブルを挟んだ向かいの席に座っている、「家族」の一人がそう言い出すと。わたしの隣に座っている、もう一人の「家族」が「そうですね、あなた」なんて応えてわざとらしく笑ってみせた。ぎこちない笑顔、ぎこちない会話。それが、数ヶ月振りに出逢った「家族」という名の他人達の団欒だった。

 ──そんなものをわたしが望んでいると、彼らは本気で思っているのだろうか。

「瑞希。大学はどうだい? もう、慣れたか?」

「はい、義父様」

 「父」の問いに対し、何の感情も抱かず即答する。それだけでわたしの苛立ちを感じ取ったのだろうか、「父」の身体がぶるぶると震え始めた。握ったフォークが皿に当たって、かたかたと音を立てる。

 ふと隣を見ると、「母」がスープを飲みかけている所だった。口に運びかけたスプーンの端から、黄色いスープがぽたぽたと垂れ落ち白いシーツに染みを作る。

 ──何だ、これは。こんなものが、家族なのか?

「み、瑞希。このスープ、美味しいわよ。貴女も飲んでみたらどうかしら?」

「はい、義母様」

 「母」の勧めに対し、何の感情も抱かず即答する。それだけで、「母」の手からスプーンが落ちた。慌てて拾おうとする「母」を制し、わたしは替えのスプーンを頼んだ。

 ふと目を向けると、「父」は皿に残ったトマトをフォークで懸命に追いかけている最中だったが。わたしの視線に気付いた途端、凍りついたように彼は動きを止めてしまった。

「み、瑞希……!」

「そ、そうそう。貴女にプレゼントを用意しているのだけれど──」

 恐怖に顔を引き攣らせる「父」と、咄嗟にフォローを入れようとする「母」に対し、

「結構です」

 何の感情を抱くことも無く即答し、わたしは席を立つ。

「茶番はもう結構。帰って良いですよ。わたしも、もう帰りますから」

 そう言って、軽く睨んでみせるだけで良かった。

 ──それだけで、「家族」という名の仮面劇は、あっさりと幕を下ろしてくれた。


 化粧室で顔を洗って、ようやく一息つく。

 これで何度目になるだろう。

 何度同じことを繰り返せば、この胸のもやもやは晴れてくれるのだろうか。

 鏡の向こう側には、化粧を落とした素の「御堂瑞希(みどう みずき)」が映っていて。

 大勢の子供達に囲まれて、幸せそうに微笑んでいる。

「なのに、わたしは……在りもしない家族(キボウ)を求めて、偽りの家庭(ゼツボウ)の中で生きている。何て、無意味な人生なの」

 笑ってしまう。自ら絶ち切ったはずのモノを、今更のように求めてしまう浅はかなわたし。何て愚かなのだろうと、笑わずには居られない。

「ヒトをモノにするのは簡単だけど、モノをヒトに還すのは難しいって……分かっていたはずなのに、ね」

 何より必要性が無い。かつての家族の中には、わたしを愛してくれる人など誰一人として存在しなかった。そんな彼らを生き返らせることに、何の意味があると言うの?

 頭では分かっていた。諦めることも知っていた。自分の存在がそもそも間違っていることも、この人生が偽りのものに過ぎないことも知っていた。だからそんな自分に、幸せを探す資格なんて無いってことも、当然のように理解していた──そしてそのことは、鳥篭のような牢獄の中で過ごした半年間で既に証明されていた。

 そう、頭では分かっていたんだ。誰もわたしを愛してくれないし、助けてもくれないんだってことは。

 なのに。それなのに、わたしは。

「それでも、あの人達を愛していると言うの?」

 思わず口走ってしまって、あまりにも陳腐なその言葉に苦笑する。愛? 馬鹿なことを。夢見る乙女じゃあるまいし、今更そのような妄言に惑わされるわたしではない。そうだ、わたしは誰も愛さないし、誰も求めたりはしない。それがわたしの生き方で、これからもそれを貫くつもりだった──他に生き方を知らないのだから、何をも迷うことは無い。

 ……はず、だったのに。

「半端に見えてしまうから。わたしは、別の誰かの人生を知ってしまった」

 だから、なのか。わたしが未だに家族(キボウ)を求め続け、毎年のようにぎこちない茶番劇の主役を演じ続けているのは。気に入らなければ壊し、新しい「家族」を見つけて、飽きたらまた破壊する……そんな使い捨ての「家族」のことなど、愛せる訳が無い。

 だけど、それでも。

「独りは、嫌だから」

 独りは、苦しいから。

「独りは、辛いから」

 独りは、悲し過ぎるから。


「独りは、怖い」


 わたしは孤独を怖れている。

 偽りでも良い。嘘でも構わない。仮面のように互いの素顔が見えない、そんな関係でも構わないから──ただ一言、誰かに言って欲しかった。


「愛している」


 その言葉を、わたしは心のどこかで待っていて。

 別のどこかで、その事実を必死になって否定しようとしているわたしが居た。

 ──強要すれば、大抵の人は言ってくれた。自分の命が懸かっているのだから、言わざるを得なかったのだろう。また、今までに交際した何人かの男の人達は、求めずとも積極的にそう言ってくれた。そう口にすることで、わたしが身体を許すとでも思ったのだろう。

 でも、そんな上辺だけの言葉は、わたしの心には届かなかった。だから証拠を求めた。本当にわたしを愛しているのなら、それを証明してみせて、と。

「………」

 結論を言えば、誰一人としてわたしの要求を満たすことはできなかった。

「下らない」

 お父様も、お母様も。

「下らない」

 一番わたしを愛してくれた人は、もうこの世には居ないというのに。

「下らない」

 ──わたしが、殺したからだ!

 夢や希望、それからわたしを含む全てに対する愛と共に、わたしが、この手で、

「バラバラに──なっちゃえ」

 粉々に、砕いてしまった。


 ヒビの入った鏡の向こう側で。

 もう一人のわたしが、血のように赤い炎に焼かれていた。まるでわたし自身の血が、炎となって燃え上がっているように見えた。

 消え逝く理想。消え逝くわたし。

 ──ああ、貴女だけは幸福で居て欲しかったのに。


「あは、あははは、あはははははっ……!」


 自然と、笑みが零れた。

 そうだ、貴女も。

 貴女もたまには、わたしと同じ苦しみを味わってみれば良いんだ。

 そして、消えてしまえば良い。

 わたしの苦しみ全てを抱いて、炎の中に消えて無くなれば良い。

 そうだ、貴女さえ居なくなってくれれば、わたしは。

 もう二度と、愚かな夢を見ずに済むのだから──!


「メリー・クリスマス、かずらさん。

 それから──さようなら」

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