(1)「蔓」

 今まで、クリスマスという日を強く意識したことは無い。

 クリスチャンじゃない「わたし」にとってのそれは、単なる年中行事の一つに過ぎなかった。

 ──そう。今の今まで、この瞬間までは。

「メリー・クリスマス!」

 甲高い声が上がる。何が嬉しいのか、笑顔の子供達が「わたし」の周りではしゃいでいる。彼らが身に付けているのはお揃いの赤い衣装。サンタクロースを真似ているのは明らかだった。子供達は口々に「メリー・クリスマス!」などと叫び、立て続けにクラッカーを鳴らしていく。やかましいことこの上無い。

 色取り取りの電飾に飾り付けられ、すっかり変わり果ててしまった部屋の中。「わたし」だけが唯一人、呆然と座り込んでいた。何と言う光景なのだろう。これ以上の悪夢は、そうそう見れるものではないと思う。大体にして、六畳一間に十人以上もの人間が入り込んでいる時点で常軌を逸している。

 知らなかった。クリスマスって、こんなに辛い行事だったんだ。

「……飛鳥さん」

 とりあえず、と。子供達に混じって騒いでいる、「わたし」以外の大人を呼ぶと、

「うっ!? は、はい何でしょうかずらさん」

 この状況を作り出した元凶である彼女、設楽木飛鳥(しだらき あすか)は恐る恐るといった様子でこちらを振り返って来た。どうやら「わたし」の声の調子から、何を言われるのか大体想像できたらしい。だったら、今すぐ何とかして欲しいものだが。

「皆でクリスマスパーティーがしたい、と貴女は仰いましたよね」

「う、うん。そうだねっ! 実際こうしてパーティーしてるよねっ」

 ──前言撤回。彼女は全く分かっていなかった。

「そうですね。わたしも断る理由が無かったので従いました。その結果、このような事態に陥っている訳ですが。これは一体、何故なんでしょう」

「え、えーとぉ……人数は多い方が良いかなーって思って。近所の子達誘ってみたんだけど……ダメだった?」

「それもありますが、それより問題なのは場所です。よりによって、何でウチなんですか。こんな狭い部屋でパーティーするなんて、無理があり過ぎますよ」

「あー、それは。ほら、かずらって基本的に根暗だし部屋も年中カビ生えてそうなくらい陰気だから、クリスマスくらいはパーっと盛り上げちゃおう! と思ってさぁ」

「………」

 ──本当にそれだけの理由でウチが選ばれたのなら、今後の彼女との付き合い方を考え直す必要がある。

「ま、欲を言えば瑞希ん家でやりたかったんだけどねー、あそこお屋敷だしさ。クリスマスは家族と過ごしたいなんて言われちゃ、流石に無理も言えないしさ」

「………」

 こんなことになるんなら、「わたし」もそう答えれば良かったのかも知れない。今現在ここに居ない瑞希のことを、「わたし」は心底羨ましく思っていた。

 しかし、家族、か。そう言えば、久しく実家に帰っていない。呼び出されることが無かったので、今まで気にしていなかったのだけど。ひょっとして「わたし」、世間一般で言う所の『親不孝者』という奴に該当していたりするのだろうか。

「かと言ってあたしの家もさー、今ちょっと取り込んでて人を上げられる状況じゃなかったりするんだよねー。その点かずらなら一人暮らしだし、騒いでも大丈夫かなー、って思って……って、今は独りじゃなかったっけ?」

「ご心配無く。サトーなら今仕事中ですから、当分戻っては来ませんよ」

「ああ良かった。あの人怖い顔してるから、子供達泣いちゃうんじゃないかって心配でさー──って、今仕事中? あはは、案外サンタクロースの格好して街中うろついてたりしてね。それでティッシュ配ってたりしたらもう最高」

「………」

 何故だろう。それは、想像してはいけないモノのような気がする。

「あーでも、やっぱゴメンね、かずら。迷惑、掛けちゃったみたいだね」

「いえ。謝って頂く程のことでもありませんけど。ただ、これから毎年こうだと思うと気分が滅入るというか──」

 そこまで言い掛けた所で、後ろから急に髪を引っ張られた。抵抗する暇も無く、仰向けに倒される。見上げた視線の先には、得意げにこちらを見下ろす少年と、その背後に隠れて怖々と見つめる少女の姿が在った。どちらも、年は十に満たないだろう。

「どうだ、参ったか! これに懲りたら、もう飛鳥姉ちゃんを苛めたりするんじゃないぞ悪者め!」

「………」

 なるほど。どうやら彼らにとっては、「わたし」の方が悪人であるらしい。そしてその判断は、恐らく間違っていないだろう。彼らにとっては楽しいものであるらしいクリスマスパーティーを、「わたし」は中断させようとしていたのだから。

 ふと考える。もし「わたし」が彼らの立場だったとして、果たして「わたし」に『悪者』を糾弾する勇気があるだろうか、と。多分無理だ。きっとそれは、まだ社会を知らない子供だから出来ることなのだろうと思う。何が正義で何が悪かなんて、「わたし」には分からないしこれからもきっと分かりはしない。善悪二元論で測れる程、世界は単純なものではないのだから。

 唯一言えるとすれば敵か味方かの違いくらいで、それさえも曖昧になる程この世界は複雑化して来ている。だから人は時に迷い、時には間違った方向に行ってしまうこともある。

「こら、鷹斗君! 何してんの、止めなさい!」

 ──だけど。間違っていることを正す勇気は、やっぱり必要だと思うのだ。取り返しの付かないことになる前に、止められるものならば止めるべきだと思う。

 もっとも「わたし」の場合、視た瞬間既に手遅れになっていることが多いのだが。

「痛っ! 何で殴るんだよ姉ちゃん!? 俺、姉ちゃんを護ろうと──」

「生憎あんたに護られる程ひ弱には出来ていないの。それに今回の場合、悪いのはあたしの方なんだから。かずらは正しいことを言っているのよ、分かる? 分かったら謝りなさい。暴力は、とっても悪いことなんだから。

 ……ごめんねかずら。あたしの監督不行届きでした」

「いえ、大したことありませんから……本当、気にしてませんから」

 飛鳥の手を借りて起き上がると。いつの間にか、「わたし」の周りに子供達が集まって来ていた。全員無言で、「わたし」のことをじっと見つめている。

「………」

 似たようなことが、前にもあったような気がする。その時の「わたし」はまだ彼らのような子供で、そんな「わたし」を取り囲んでいたのは、白衣を着た見知らぬ大人達だった。彼らは何をするでもなくただ「わたし」の様子を観察していて、それが堪らなく怖かったのを覚えている。

 それと同じことが、今目の前で起こっているのか。そう思うだけで身体が震える。相手は子供だと言うのに、「わたし」は恐怖を感じていると言うのか。だとしたら「わたし」は、相当の臆病者ということになる──。

「ごめんなさい」

 だけど。沈黙は長くは続かず、子供達の口から漏れたのは意外な一言だった。一瞬、その言葉の意味が分からず応えに詰まる。

「ごめんなさい、お姉ちゃん」

「あ……え?」

 てっきり、罵倒されるものとばかり思っていたのに。

 どうしてこの子達は、『敵』であるはずの「わたし」に向かって謝罪しているのだろう。

「……悪かったな」

 鷹斗(たかと)と呼ばれた少年の方を見ると、彼はぶっきらぼうにそれだけ言って来た。顔は横に向けたままで。どことなく、照れているようにも見えた。

「皆、反省してるんだよ。かずらに迷惑掛けてごめんなさい、って」

「………」

 不思議だった。考えてみれば至極当たり前のことなのに、飛鳥に言われるまでそのことに気付かなかった「わたし」自身が。

「あ、あの」

 その時おずおずと声を掛けて来たのは、先程鷹斗少年の後ろに隠れていた女の子だった。

「わ、わたし、さっき、たかくんに」

「お、おい愛美。それは──」

「いいの。わたし、言わなくちゃ」

「………」

 見るからに気弱そうな彼女はしかし、鷹斗の制止を振り切り言葉を紡ぐ。

「わたし、さっきたかくんにお願いしたんです。お姉ちゃんを、やっつけて、って」

「……そう」

「だから、悪いのはたかくんじゃなくてわたしなんです。ごめん、なさい」

 そう言って頭を下げる少女。今でも泣き出しそうな顔で、だけど涙は流さずに。

 ──何となく、分かっていた。最初見た時、彼女には「わたし」に近いものを感じていたから。臆病な人間には、次の一歩を踏み出す勇気が無い。だから、何をするにも他者に依存してしまう。誰かの陰に隠れてしまう。だけど、犯した罪から目を背ける勇気もまた、臆病者には無い。だから、あの時鷹斗の後ろに隠れていた彼女が黒幕であることは、何となく分かっていたのだ。

 でも、まさか。そんな彼女が自ら謝って来るとは、思ってもいなかった。

「ごめんなさい。わたし、わたし」

「ん。良く言えました、ね」

 そう言って頭を撫でてやると、緊張の糸が切れたのか、彼女はとうとう泣き出してしまった。


 それから、皆でクリスマスケーキを食べて。

 その後、プレゼントを交換した。



 子供達を見送った後。装飾の取り払われた部屋の中には、「わたし」一人が残された。

 飛鳥は彼らを家まで送って来ると言っていたから、まだしばらくは帰って来ないだろう。

 サトーは──「狩り」にどれだけの時間が掛かるのか分からないが、今夜一晩は戻って来ない可能性もある。


 要するに、「わたし」は独りぼっちだった。いつもの、当たり前に感じていた静寂。それを今日、当たり前に感じることのできない「わたし」が居る。


 自分でも信じられないことだったが。どうやら「わたし」は、子供達の起こす騒ぎに慣れてしまったようだ。だから耐えられないのだろう、この静けさが。

 いや。本当に、それだけなのだろうか?

「……何やってるんだろ、わたしは」

 部屋の隅に置かれた、黒い縫いぐるみに目を遣る。

 それは先程の女の子から貰った、不恰好な黒犬の縫いぐるみだった。所々ほつれていて綿のはみ出しているそれは、彼女が初めて両親にプレゼントされたものだと言う。

「そんな大切なものを、わたしに?」

「うん」

「どうして?」

「クロちゃんが、ここに居たい、って言ってるの」

 縫いぐるみの心が分かるのだと、彼女は言っていた。

 もしかしたらと、特別な仕掛けが無いかどうか少し調べてみたが、見た感じそのようなものは見当たらなかった──唯一つの例外を除いては。

「愛美へ」

 縫いぐるみの背に隠されていた、小さな紙切れ。そこには彼女の名前と、数行の文章が書き綴られていた。


 それは、未来の彼女に向けられた、彼女の両親からのメッセージだった。


「──っ──!」


 見えたのは、ほんの一瞬。

 だけど確かに、「わたし」には見えた。

 炎の海に包まれる、赤い服を着た一組の少年少女の姿が、はっきりと。


「そう、か」


 彼女から託された、黒犬の縫いぐるみを見下ろす。

 やっと分かった。どうしてこの縫いぐるみが、ここに残りたいと「思った」のか。


「貴方。これを見せるために残ったのね」


 そう。

 彼女への愛が込められたこの縫いぐるみは、彼女を災厄から護る為に残ったのだ。

 観察者、日向蔓(ひむかい かずら)に、彼女の危機を知らせる為に。

 だとすれば、「わたし」が為すべきことは決まっている。


「ごめんなさい、お姉ちゃん」


 未来が、確定してしまうその前に、


「それに、お姉ちゃんなら、クロちゃんを大切にしてくれると思うから」


 ──食い止めるんだ、「わたし」の力で。


「愛する愛美へ。これを読む頃君は、どこで何をしているのだろうか──」


 この手紙は、必ず彼女に届けてみせる。

 それが、他人の未来を覗き見た者の、果たすべき責任だと思うから。

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