トイノゲカヒ

 それは、民間人を一人抹殺せよという、私達から見ればごく簡単な指令のはずだった。


「ずっと、待っていました」


 標的(ターゲット)の居場所は、当初の予想通り簡単に割り出すことができた。

 何しろ向こうは、私の存在を知らない。殺されるという事実すら、把握する時間を与えられてはいなかったのだから。


 だが、「彼」は確かにこう言った。

 初対面であるはずの私に向かって、「ずっと待っていました」と──。


「君を、殺しに来た」


 だからか、私は普段絶対しない、標的への殺害を予告していた。

 それにより少しでも「彼」に動揺が見られるのであれば、私の危惧は杞憂に過ぎなかったと安心できる。そう考えて。


「はい。分かっています。僕は、貴女に殺される」

「……何故」


 私は驚いていた。「彼」が、私の頭を過ぎった馬鹿げた予感を、見事に証明する返答をしてきたから──というのも勿論あるが。


 何故そんなことをわざわざ暗殺者に告げるのか、ということに、何よりも私は驚かされていた。


「君は今、自ら生存できる可能性を縮めた。自分がいかに軽率な発言をしたか、君は分かっているのか?

 その能力、上手く使えば私から逃れることもできただろうに。いや、私を警察に捕縛させることだって、決して不可能ではなかったはずだ。

 そのチャンスを、君は自ら手放した。何故だ? 生きたいとは、思わないのか?」


 標的の青年は、私の言葉にしばし考え込むような仕草を見せた後。

 結局最初と何一つ変わらぬ態度のままで、


「生きられるのならば生きたいと思いますが。でもこれは運命ですから。僕は今日、貴女に殺される。きっとそれは、変えようの無い事実(ミライ)なんです……僕のこの眼が、確かに見てしまった未来(カコ)なんです」


 諦めたような、しかしそれにしては微塵も悲壮感を感じさせない淡白な口調で、「彼」は自ら断言した。

 自らの死を確信し、自らの死を受け入れている、と。


 予感は的中した。「彼」には、未来が見えている。私が「彼」を殺すその瞬間を、「彼」は既に目撃してしまっている。予め見えていたから、私という非日常を抵抗も無く受け入れることができたのだ。


 成る程、理解はできた。

 しかし、それでも納得できないことはある。


「何故だ? 君には未来が見える。だったら尚更、生きようと足掻くのが人間という生き物だ。なのに、君はどうしてそう、死に急ぐのか」

「…………」


 死に急ぐ、というのは的確な表現ではなかったかも知れない。「彼」は確かに死を望んでいる。だがそれはあくまで、私の手によるものに限定されているようだった。


「まさか、君は自分の命をもって証明しようとしているのか? 自分は確かに、確定された未来を見ていたのだ、と。

 だとしたら愚かの極みだな。君はその時には既に死んでいる。確認することができないのだから、君の願いは永遠に叶うことが無い」

「…………」


 口にしてみて、少し違うな、と思い直した。

 これは想像だが、「彼」は多分、「彼」自身の能力について、既に十分な確信を持っているのだ。だからこそ今この場に臨み、それ故に私に殺されると信じている。どうしようも無い運命なのだと、自身を信じるが故に諦めてしまっている。


 だから、か?

 「彼」が発するこの無言の間が、私の問いに対して十分過ぎる答を返してきているように思えてならないのは。


「君は本当は、生きたいと言う程には生に対して執着を持ってはいないのか。かといって生に絶望している風でもない。私には、君の思想を理解できそうにない。

 ──だが、そうだな。たとえ君の考えがどうであれ、今から私が君を殺すことに何の変わりも無い」


 とうとう、私は折れた。

 未だ納得はしていない。

 だが、もう時間が無い。今この場で殺さなければ、「彼」はきっと。


 ……逃げ出す訳が無い、と思った。

 今でなくとも、「彼」を殺すこと自体は容易いだろう。そんな風にふと、心に隙間ができた。


「今から。そうだな、時間をかけてゆっくりと、君を殺すことにしよう」


 依頼には特別期限は設けられていなかった。要はいつ殺しても良いということ。だったら「彼」を殺すのは、私が納得できてからでも良い、ということになる。


「そういう訳で、宜しく──ヒムカイカズラ」



 その日から、私は「彼」の部屋に住み着いた。


 「彼」は何も言わなかった。

 私はそれを、肯定と見なした。


 だからこれは寄生ではなく共生。

 私は「彼」に干渉しないし、「彼」も私に何も望まない。

 ただ、同じ部屋で生きていくだけ。私が「彼」を殺す、その日が来るまで。



 共に生きていくことで、「彼」に教えてやろうと思った。生きる喜び、生きる希望。そんなものを、久しく味わったことの無いそんな代物を、暗殺者であるこの私が。


 それは酷く荒唐無稽で。

 乾いたこの心を、少しだけ潤してくれるような気がした。


 何しろ、可笑しくて堪らないのだ。偽名を名乗るのも、実は初めての経験。いつもは通り名で済ましていたから──まさか、聞かれるとは思わなかったから。


「貴女、誰でしたっけ」

「私の本名を君に教える訳にはいかない。偽名で良いのなら、私は佐藤だ」



 その日から、私は「サトー」と呼ばれるようになった。




 了

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