#Δ「絆の糸──the Noble Lineart──」
(1)過去との遭遇
桜の樹の下には死体が埋まっている。
誰かがそう言って、根元を掘り起こそうとした。
当たり前だが、すぐに止められた。
だから結局、桜の樹の下の死体が発見されることは無かった。
知っているのは「わたし」だけ。
だけど「わたし」は掘り返そうとは思わない。
誰かに掘り返して欲しいとも思わない。
何故なら。
当の死体本人が、それを望んではいないからだ。
美しい桜の栄養分となることを、「彼女」は自ら選んだ。
だから「わたし」は、「彼女」の遺志を尊重することにしたのだ。
少なくとも「彼女」には、意味のある死が訪れたのだと。
そう、無理矢理にでも自分を納得させて。
さようならと、別れの挨拶を告げた。
◆
退屈極まりない午後の講義が終わった。
相変わらず、大学の授業は訳が分からない。
予習復習は必須だと言うが、教科書に授業内容が書いていないのではどうしようも無い。
おまけに、板書は文字が汚くて読めやしない。
だから「わたし」はとりあえず、分かる範囲内だけノートに写し、後で自分なりの解釈を間に入れることにしている。無理矢理にでも納得させなければ、とてもついていけないからだ。
先に進む為には、それなりに納得する必要がある。
それは何も大学の講義に限ったことではないと思うが。
中にはそういうのが下手な人も居て、困ったことにそれが「わたし」の知り合いだったりするのだ。
「かずら、ノート写させて!」
勢い良く声を掛けて来た彼女に、「わたし」は書き終えたばかりのノートを渡す。
半分以上「わたし」の個人的な意見なのだが、それでも教官の話をまともに聞くよりは分かり易いのだと彼女は言う。別に断る理由も無いので、「わたし」も彼女の要求に応えた訳だったが。
当然ながら、彼女がノートを写している間、「わたし」はその場で待っていなければならない。
仕方なく、彼女が写す様子を眺めていることにする。
こういう時、見えないモノが見えると退屈しのぎになるのだが。
周囲に目を遣っても、それらしいものは見受けられなかった。
──逆に、見えるはずのものが見えていなかったりするのだが。
例えば講義室に残った生徒の大半は、首から上が消えてなくなっている。
中には上半身が丸々透明化している生徒も居るが、身体的には特に異常無さそうだった。
かくいう「わたし」も、右の手首が消失していた。
感触はあるのだが、目視ができない。
右手に持っているペンが、空中をふわふわ漂っているように見える。
何とも奇妙な光景だ。
もっとも、日頃から見えているモノ達に比べれば、大したことは無いのだが。
何故か。微妙に違和感を感じた。
「うーん……ねーかずら、ちょっと訊いて良い?」
「あ、はい。どこですか?」
「ここなんだけどねー」
彼女の声に視線を逸らすと、教室は元の様子を取り戻していた。どうやら異状は収まったらしい。
始まりと終わりの唐突さはいつものことだ。
だから「わたし」は然して気に留めることも無く、彼女の質問に答えていった。
──その日の帰り道、「わたし」は軽い事故に遭った。
右手が潰れたが、命は取り留めたのでまあ軽い事故だったのだろうと思う。
血が沢山出たが、不思議と痛みは感じなかった。
どうやら、神経ごと持っていかれてしまったらしい。
「わたし」こと日向蔓(ひむかい かずら)には、本来見えないはずのモノを映し出すことのできる眼がある。「観察者の眼(オブザーバーズ・アイ)」と呼ばれるそれは、「わたし」の意思とは無関係に、無秩序に、理不尽に何かを見せ付けて来る。
何か。それは過去であり、現在であり、未来であり。「わたし」には到達し得ない場所でもある。
あるいは、ありえない現象。今回のオカルト的な身体欠損視はそれに該当する。
大抵の場合、見たモノと現実の間に因果関係は無いのだが。
どうやら今回の現象は、未来予知の意味合いも兼ね備えていたようだ。
◆
医者を呼んだ。
あまり呼びたくはない相手だったが、担ぎ込まれた病院で「再起不能」と診断された右手を治す為だから、四の五の言っては居られない。
医者はすぐに来た。
電話を掛けて五分程度しか経って居らず、同居人を隠す時間も無かった。
勿論、お茶菓子等を買いに行く余裕も無い。
「あー。駄目だこりゃ」
開口一番、医者である彼女はそんな言葉を口にした。だがそれはいつもながらの冗句で、彼女は「わたし」がどう反応するのか期待しているのだ。
そう分かっているからこそ、いつも「わたし」は聞き流すことにしている。
「……それで? 治る見込みはありそうですか?」
「ううう。かずらちゃんが相手してくれない」
「有川先生。貴女の冗句に付き合っている余裕は、残念ながらありません」
包帯を巻かれた右手首を突き出してそう言うと、有川女医は難しげに顔をしかめた後。
「複雑骨折の上に神経が断線しちゃってる。言っちゃあ悪いけどこれ、治療するより義手に取り替えた方が早いわよ。てか早急に取り替えましょう。さあれっつ改造手術!」
などと、朗らかな笑顔さえ浮かべて応えてくれた。
……傷口を見ずに診断してしまう辺り、やはりただ者ではないと言うべきか。
それとも単純に医者失格と見なすべきなのか。微妙な所ではある。
「有川先生。仏の顔も三度まで、ですよ?」
「や、やだなぁかずらちゃん。ちょっとした軽い冗句じゃないの。あは、あはははは」
冗談の多い人ではあるが、有川先生は有能な外科医である。やたら改造手術をしたがるという欠点を持ちながらも、それを補って余り有る才能が彼女には在るのだ。
何しろ未だかつて失敗した手術が一つも無いと言うのだから。彼女の手に掛かればどんな重傷者も息を吹き返す。
有川有栖(ありかわ ありす)とは、色んな意味で凄い人だった。
もっとも、その能力故に妬まれることも多かったのか。
現在では医学会を追放され、こうして日向蔓の専属医などを担当していたりする。
運命とは皮肉なものだ。才能が有り過ぎたが故に、医者としての地位を剥奪されてしまっただなんて。簡単に納得できることではなかったと思う。
とはいえ。
現在の有川先生を見ている限りでは、そんな暗い過去は微塵も感じない。
「さて、それじゃあ始めましょうか。かずらちゃん、服を脱いで」
「嫌です。裸を見られたくありません」
「え? で、でもとりあえずは診察しないと」
「どうして右手の治療をするだけで身体を診ないといけないんですか」
「ええと……ほら、成長の度合いを確かめる為と言いますか。いや、決していやらしいことをする訳じゃないのよ? ただほら、胸囲とか測っておいた方がパーツに馴染み易いんじゃないかと思って。うん、そう。全ては来るべき全身改造の日の為の下準備なのだよ明智クン!」
「…………」
力説されてしまった。
最後の台詞、口調が変だったのは何故だろう。
正直、ここまで開き直られると対処に困るのだが。
視線を、部屋の隅に待機している同居人の方に向ける。
上から下まで真っ黒な彼の名はサトー、ただし偽名だ。
「わたし」の視線に気付いたのか、彼は顔を上げ、それから有川先生の方を見た。
「改造はさせない。ヒムカイカズラは、俺が殺す」
「うわ喋った!? 置物じゃなかったの!?」
三者の視線が絡み合う。
冷たい眼光を放つサトーと、そんな彼をまじまじと不安げに見つめる有川先生。
そして二人を傍観する「わたし」。
利害の一致しない三者は、まるで三竦みのような関係だった。
このままでは埒が明かない。
誰かが何らかの行動を起こさない限り、いつまでもこの状態が続くのだろう。
「とりあえず、治療の前にお互い自己紹介をしましょうか。お茶でも入れて来ますから、お二人はそのまま待っていて下さい」
仕方なくそう言って、「わたし」は席を立つ。
──立った瞬間、そこは別の場所へと変化していた。
◆
古い洋館の前に、「わたし」は立っていた。
知っているようで、見覚えの無い場所。
だけどどこか懐かしさのようなものを感じて、「わたし」は中に入る。
鍵は掛かっていなかった。
入った瞬間、誰かと目が合った。
──この光景が観察者の眼による幻像なら、目が合う訳が無い。
つまりこれは現実の光景ということになり──そうだとすると、ますます訳が分からなくなる。
何故なら今の今まで「わたし」は自分の部屋でサトーや有川先生と話していたのだから。
それとも、あちらの光景こそが幻像だったと言うのだろうか。
否、それだけはありえない。
根拠は無いが、「わたし」は否定していた。
否定しなければ、日向蔓という人間の在り方そのものに歪みが生じてしまうような気がして。
「お姉ちゃん、どなた?」
でも、やっぱり目は合っていた。
十歳前後の女の子が、屋敷の二階から不思議そうにこちらを見下ろしている。
やはり、彼女には「わたし」の姿が見えるのだ。だけど、何故。
疑問は、ある仮説を立てることで簡単に解決された。
「日向蔓」
少女の問いに正直に答えてやると、彼女は驚きに目を見開いてみせた。
その反応は取りも直さず、「わたし」の仮説が正しかった証となる。
つまりは。
「貴女も、ヒムカイカズラなのね?」
「う、うん。そう、だけど……」
「わたし」の質問に、困惑しながらも幼い「ヒムカイカズラ」は応えて来る。
どうやら彼女はまだ認識できていないらしい。
「わたし」が未来の日向蔓で、彼女が過去の日向蔓だという事実を。
互いに同じ「眼」を持っているからこそ、過去と未来は繋がることができたのだ。
──だからどうと、言うことも無いのだが。
過去の自分と遭遇したからと言って、掛ける言葉は何も見つからない。
向こうにしてもそれは同じことの筈だ。
お互い、ただ見つめ合うだけ。本当に、意味は無い。
「……ごめんね。特に用事は無かったんだけど、お邪魔しちゃった」
ただ見ているだけの時間に耐えられなくなり、「わたし」は帰ろうとして。
「あ、待って!」
その前に、「ヒムカイカズラ」に呼び止められた。
「何?」
「あ、ううん。特に用事は無いんだけど」
「貴女がヒムカイカズラなら、これ以上話すことは無意味だと思うんだけど」
「そうかも知れない。でも、待って欲しいの。ねぇ、もう少しだけお話しましょ?」
幼い「ヒムカイカズラ」は、予想外に積極的だった。
熱心なその態度に、思わず「わたし」が首を縦に振ってしまう程に。
──信じられないことだったが。
本来あってはならないはずの邂逅を、「わたし」は果たそうとしていた。
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