第22話<戦いの儀式Ⅴ>
式守は歩きながら、檻の中の敵――
やがて檻の周りに陣取る観衆達が、次なる挑戦者――式守を見つけた。
再び湧き上がる歓声と野次。
終わらない祭りを楽しむ雄叫びの数々。
「――式守ッ!」
背後から響いた、聞くだけで背筋が伸びてしまうような威圧感のある濁声が、彼の足を止めさせた。
声の主は分かっている。
その煩わしさに無意識に小さな舌打ちが漏れた。
だが、無視をするなどと言う無礼は、例え、この先階級が上がろうと許されない。
少年は声の主に顔を向けるために振り向き――。
無意識に両腕が動いた。
痛覚よりも先に感じる衝撃。
揺れて焦点がずれた視界。
無意識が動かした両腕。
前腕を交叉した十字ブロックで腹部への一撃を防いだが、それでも身体が数歩後方へ吹き飛ばされた。
助教である猿渡の右前蹴り。
後方からの不意打ちだが、そこには手加減はなかった。
無防備に食らえば、それなり以上の痛みと損傷を与えうる容赦ない一撃。
それを見ていた観客たちは余興の一つとして受け入れ、さらに大きな歓声を上げた。
「よう。気合い入ったか、出来損ない《ノーナンバー》」
「……班長」
式守は不意の攻撃で、湧き上がる殺意も敵意も隠せなかった。
本能のままに睨む。
しかし、そんなものは何もなかったように猿渡は瓶ビールを呷った。
黄金色のアルコールを胃袋に流し込み、げっぷをひとつ吐いた後、厚かましそうに口を開いた。
「偶には本気出せよ、
猿渡大悟は、式守が嫌う渾名でわざと呼んだ。
「自分は、いつでも本気です」
従順な式守としては珍しく抗弁した。
はらわたが煮えくり返りそうだが、まだ我慢できる。
古参の海兵隊下士官は鼻で嗤った。
「それが駄目なんだよ、テメェは。中途半端は止めろ、
猿渡は歪んだ笑みを見せつけながら、教え子に鋭く言い放った。
「命令だ、式守直也。サルを、確実に、殺せ」
「了解」
言いたいことを言うだけ言った猿渡は、手に持っていた瓶ビールをラッパ飲みで呷った。
教え子の憤りなど眼中に無く、それが空になるまで呷ると口元から零れたビールを手の甲で拭う。
空になったビール瓶は適当に投げ捨てた。
助教の名は猿渡大悟。
ふてぶてしい表情を浮かべた顔に、容姿には無頓着なのか散切り頭で無精ひげは生やしたまま。
四角い顔に潰れたような鼻と耳が特徴的といえば特徴的だった。
骨太で筋肉質な身体付きはスマートとは決して言えないが、格闘家として見ればかなり恵まれた体格である。
酒と女と賭け事を愛する日本航宙軍第三海兵団所属の三十代手前の二等軍曹。
入校以来、式守たちを二年半に渡り教えた助教の一人にして、営内班長――軍隊生活を指導する者として、文字通りに手取り足取り鍛えた。
彼は、式守のことを本人よりもよく知っていると言えるかもしれない。
「……任務を完遂できるように努力します」
自分を『儀式』に叩き込んだ張本人に対する態度は、今はこれが精一杯だ。
軍隊の中で、今の力関係を忘れるわけにはいかない。
「期待してるぜ、式守」
まるで気にも止めてない言葉の軽さ。
式守は湧き上がる罵声を封じ込めて、踵を返し、再び歩き始めた。
少年を急かす罵声が木霊する中、足早に檻へと向う。
そんな教え子の後ろ姿を視界の片隅に捉えながら、猿渡は観客席として並べられているパイプ椅子の一つに腰を下ろした。
新兵たちの教育者として共に仕事をした仲間の輪に入り、奇声と共に乾杯と叫び、思い思いの杯やビール瓶を打ち鳴らして勢いよく呷った。
誰憚ること無く、げっぷを吐き出し、アルコール混じりの臭い息を撒散らす。
昼間から飲む酒は最高だ。
何もかも忘れられる。
彼にとって、脳裏に刻み込まれた悪夢を
嫌なことを忘れるには、酒と女と賭博に限る。
「よう、ギャンブラー! お前、本当にノーナンバーに賭けたのかよ?」
猿渡と同じように酒臭い息を吐き出しながら聞いてきたのは、同じ小隊で他班の教育を受け持っていた柏倉二等軍曹。
一見優男のような風貌だが、酒が入ると手が付けられない酒乱で、年も近く、猿渡とはよく気が合った。
賭けは言うまでもなく、目の前で行われている
毎年新兵訓練課程修了の締めとして、教官や助教達に『選ばれた者』たちが檻の中で、廃棄予定の戦闘猿との一騎打ちを行う。
その勝敗は賭け事として恒例化していた。
彼らも新兵の時代にこれを経験している。
この戦いが正規の人事書類に残ることは無い。
だが、この戦いで立派に戦う気概を見せた者は、古株たちの間でそれなりに目を掛けられるようになる。
それはその新兵を鍛え上げた助教たちにとっても同様だ。
教え子の出来がそのまま彼らの評価に直結する。
だから、彼らは教え子の中で、最も戦いに適した者を『儀式』へと送り出すのが通例だ。
ギャンブラーとお気に入りの渾名で呼び掛けられた猿渡は、満更でも無さそうな笑みを浮かべた。
「おう、俺は教え子に一点張りだぜ」
胸を張って答えたが真っ赤な嘘だ。
彼は他にも賭けている。
「へぇ!? 嘘臭えぜッ!」
それぐらいの嘘は、柏倉でも即座に見破れる。
その程度は理解出来るぐらい共に過ごしてきた。
「なに言ってやがる! 俺のギャンブルは勝つ奴にしか賭けね~えんだよ」
「
ノーナンバーという不名誉な渾名を付けたのは猿渡本人だ。
柏倉は訳が分からないと大げさな表情を作った。
教官たちの間では式守の評価は低くは無いが、特段高いわけでも無い。
「俺はアイツに期待してんだよ」
「言ってることとやってることがあべこべだぜ?」
興味が湧いたのか、赤い顔をしながら柏倉は問う。
隣の男の教え子が檻の中に入るのが見えた。
激しくなった周囲の野次と共に、彼も野次を飛ばす。
それでストレスが多少発散できたのか、満足げな表情を浮かべて、柏倉は猿渡に視線を戻した。
「なんで手の込んだ真似までして、班代表を式守に変えた?」
柏倉が口端を大きく歪めて問うと、猿渡も同じような表情をわざと作りながら応じた。
「はッ、何の話しだ?」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、柏倉が胡散臭そうに睨め付ける。
「猿渡、なに下手な芝居してやがんだよ。ちゃんと俺の耳にも入ってんだよ。今回の儀式、お前、熱望した荒木をわざと叩き落とした上に、天羽を指名して教え子全員を追い込んだだろ」
「へぇ~、そうか。お前の耳にもやっぱり入ってんのか。俺の教え子は口が軽すぎるな。やっぱ、お仕置きしなきゃ駄目かな」
軽口で返す辺り、猿渡は質問を想定していたように見えた。
同僚はその様子を確認しつつ畳み掛けた。
「天羽は若いし、女のわりには武術の腕前も大したもんだ。だがよ、新兵としちゃ上出来だが、本当は年端もいかない少女で腕力は大してない。しかも相手は武器無しとはいえ
「さぁ~ねぇ~」
猿渡はわざとらしく口笛を吹くだけでまともに答えない。
「白々しい。なんだ、苛めか?」
「半分はそうだな」
助教という新兵を教える立場の者ではあったが、猿渡は笑いながらあっさりとそれを認めた。
「救いようがねぇな」
「これもまた教え子を成長させる一手段さ」
「まともな言い訳をする気もねぇのか、酔っ払い」
不評と不利益を被りながらも、本心を打ち明けようともしない同僚に呆れながらも柏倉は食い下がった。
「お前が
猿渡は疑いの視線を無視して教え子を注視し、同僚には顔を向けなかった。
「式守は、よ……臆病なんだよ。そのくせして根っこは凶暴で生き汚くて、残忍で我儘だ。あいつの本性は本物だ。だから、賭けた。欠点は、まだまだ中途半端なことだが……。まぁ、だからこそ、ギャンブルなんだけどよ」
喧噪の中でもはっきり聞こえる口調。それは猿渡の確信と自信を表しており、柏倉は目を丸くした。
「お前、それ褒め言葉じゃねぇだろ」
生き汚いというのは、どんなことをしてでも生き残ろうとする執念のことだろう。と、柏倉は見当を付けたが、今この場では無関係にしか思えない。
この儀式で評価されるのは戦う意志の強さだ。
別に猿に勝つことや殺すことが、目的でも主題でも無い。
自らより強い敵に、最後まで戦う意志を見せることが最も重視され、評価されるのだ。
「確かに褒め言葉じゃねぇが、アイツは文字通りの失敗作さ。きっと俺たちを楽しませてくれる」
「じゃあ、俺も賭けとけば良かったか?」
「いいや。俺一人しか張らないから、ギャンブラーって名乗れるんだよ」
猿渡が心から楽しそうに笑い、また酒を呷る。
その様子を横目で見つつ、柏倉は「そうだな」と答えて話題を終わらせた。
何事もなかったように野次を飛ばし、乾いてしまった喉に生温いビールを流し込んだ。
彼らの視線の先で、やっと『儀式』という名の
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