第20話<戦いの儀式Ⅲ>
クリスティーナとフランチェスカが、喫茶店でお茶を終えた頃――。
伊佐波・東郷・サクヤが主催する日本航空宇宙軍第三艦隊第二機動戦闘団の出陣式が行われる予定の要塞都市“リトル・キョート”。
その要塞都市の中心部には特別な区画がある。
人工重力制御装置により、常時1Gに保たれているセントラル・ブロック区画地下約250メートル。
そのジオフロント内には巨大な軍事基地がある。
日本軍海兵隊第三海兵団の居城、リトル・キョート基地。
伊佐波・〈東郷〉・サクヤ少将率いる日本軍第三艦隊第二機動戦闘団と共に出撃予定の部隊であり、火星における日本軍最大の陸戦部隊でもある。
そこでは今、急遽行われた新海兵隊員の訓練課程終了に伴う臨時修了式が行われていたが、賓客達が拍子抜けするほどあっさりと短時間で終わった地味なものだった。式次第は第三海兵団長の訓示と招待者のお言葉が数名続き、それが終わると国歌斉唱。最後に敬礼を交わして式典は終わる。
新海兵隊員訓練課程臨時修了式後には会食会――真っ昼間にも関わらず行われる、海兵隊主催による宴の席も用意されていたが、それは高級幕僚や士官たちと一部の招待客だけが参加するもので、ここにいる招待客らはあまり期待していなかった。
それよりも今夜開かれる日本航空宇宙軍主催の第三聯合艦隊出陣式の方が圧倒的に華々しく、まさに豪華絢爛。その事実を知っている招待客らは――有力な経済人や高級官僚らは航宙軍の出陣式にも招待されている――夜の御馳走のために、ここで深酒をするような者は一人もいない。
もっとも、これらは将軍や高級士官の場合だ。
臨時修了式の主役である、新隊員には関係ない。
それ以外の――つまり下士官や兵士、それに訓練課程を修了したばかりの新兵にとって、本当の新隊員訓練課程臨時修了式兼ねて記念パーティーは、場所を移して行われる二次会のことである。
堅苦しくなく気楽な二次会であるが故か、ホテルや居酒屋の宴会場など使えない。
彼らが予約を入れようとしても、飲食店の方で何かと理由を付けて渋るだろう。
訓練課程修了直後の海兵隊員たちは、商売人にとって割にあわない厄介な客だ。
はっきり言ってしまえば、修了式直後の新兵たちは荒くれ者と化す。
そういった処置も仕方ない一面もある。
ただでさえ元気一杯の若者たちを容赦なく鍛え、集団生活で個人の自由を奪い、規則で僅かな余暇まで奪う日々を年単位で強いるのだ。
ストレスが溜まらない方が、人間としておかしい。
しかし人間である以上、どのような状況でも徐々に慣れていく。
だが、本当の意味で順応するわけではない。
その揺り戻しの反動が修了日に爆発するのだ。
世間をろくに知らず、お金の価値も分からぬ年端もいかない新兵たち。
例え財布のひもが緩い上客であろうとも、今日だけは遠慮したいのが飲食店の本音であった。
そういった経緯で彼らは繁華街から弾き出され、消去法で彼らの宴会場は常日頃使っている体育館になる。
無造作に長机を並べ、パイプ椅子を配置しただけの宴会場に豪華さや飾り付けなどさしてない。
飾りは場違いにしか思えない紅白の垂れ幕が、四方を囲んでいるだけだ。
その机の上には安物の発泡酒や焼酎もどきが無造作に配られ、簡単な料理やスナック類、飲食業者に発注したパーティー料理が山積みされた大皿が何十皿も置かれていた。
会場には誰も聞いていないポップミュージックが無意味に流れ続け、赤い顔をした男たちが不健康であることを誇るかのように煙草を吹かし続ける。
その結果、体育館は紫煙が霧のように漂う空間と化していた。
照明を落とした薄暗い宴会場の中で、ただ一箇所だけ煌々としたスポットライトが当たる場所があった。
そこには幅と奥行が三メートル以上もある正方形状の大きな檻が設置され、多くの者が檻を取り囲み、酔った勢いで狂ったような歓声を上げていた。
この光景だけを見れば、彼らの中に軍人らしい規律など見つけることはとても難しい作業だろう。
無理もない。
軍隊における二次会というものは参加者の階級が低ければ低いほど――古今東西、無礼講になると相場が決まっている。
しかし軍隊というヒエラルキー社会の中で、無礼講すら許されぬ最下層に位置する新兵にとって、酒の席以上に嫌なものはこの世に存在しない。
当然その中でも運の良い奴や要領良く切り抜ける者と、それが出来ない者がいる。
宴会に参加している200名以上いる新兵の内の一名、式守直也二等兵は不幸にも後者に属するタイプの少年だった。
そして、彼は檻から少し離れたところに設置された待機所のベンチに座り、選ばれし新兵がくぐり抜ける『儀式』とも呼ばれる戦いに身を投じる為の準備をしていた。
式守の身体を包むのは、訓練期間中は嫌になるほど身に付け続け、今やその体の一部と化した緑を基調とした迷彩柄の戦闘服。
上衣の袖はまくり、動き易さを優先させた。
腰に巻いた弾帯には刃渡り20センチを超える分厚い戦闘ナイフ。
その鞘を水平に取り付け、何度もナイフを抜き差しして装着具合を確かめる。
手慣れた手付きで肘当てと膝当てを装着し、固定バンドの締め具合を確かめた。
きつすぎても、緩すぎてもいけない。
軽い柔軟を行い、各関節を動かして入念にチェックする。
大事な目を守る極薄のゴリラガラス製のアイ・プロテクターをしっかりと掛け、最後に防弾防刃性能を持つ戦闘用手袋をはめた。
手の甲を守るナックルガードの位置を拳骨にぴったりと合わせ、何度も掌を開いては握り、遊びを消して指と手袋を完全に密着させる作業に集中する。
そういった確認作業に没頭するのは、ある意味、現実逃避の面もあった。
緊張した面持ちの少年――式守直也は、特に目立ったところがない平凡な少年だ。
中背中肉だが、やけに引き締まった細身の筋肉質な身体。
街中であれば、少年の体格はそれなりのものに見えるはずなのだが、この場にいる筋骨隆々の海兵隊員たちと比べれば見劣りする感があるのは否めない。
そんな程度の体格の持ち主。黒髪は短めに切り揃えられているが、それは少年が軍人で、しかも新兵であるからだ。
他に選択の余地は無い。彼が髪型で僅かばかりの個性を主張できるような立場になるまで、まだまだ時間が掛かるだろう。
顔立ちは比較的整っているが、少年を二枚目と評す者はまず居ない。
目は少し細めで、覇気も無い。
当然、軍人らしい威圧感も鋭さも無い。
身に纏う雰囲気は地味そのもの。
加えて、目立つことを嫌い、小さな動作しかしない立ち振る舞いが染みついている。
そんな少年の視線が、右に動いた。
目の前に差し迫っている戦いから意識を逸らしたのではない。
無視できない嫌なやり取りが、始まってしまったからだ。
式守の視線の先には彼より大きい、それなりの体格をした新兵が一人直立不動の姿勢のまま一人の助教から罵倒を受け続けていた。
選ばれし者だけが行う『儀式』で醜態を晒した新兵が、怪我の手当を受ける前に罵倒され続けているのだ。
頭部の傷は浅いと衛生兵に判断された結果だが、見た目には頭部から血を流し続ける少年兵への虐めにしか見えない。
浴びせられる罵声が、直也の集中力を掻き乱す。
「――てっめぇ! 早田ッ! 俺が今までなに教えてたのか分かっちゃいねぇじゃねぇか!! ああっ!!」
「はい!」
答えた瞬間に
小気味良く肉を打つ、乾いた音が一つ鳴った。
「何が、ハイだ! 無様な戦い見せやがって! ハイハイ答えれば終わると思ってんのか!?」
「いいえ! 涌井班長、違います!」
言い終わった直後に二連発のビンタが飛んだ。
目尻に涙を浮かべながら、負けた少年兵――早田二等兵は泣きそうに顔を顰めながらも、頑張って背筋を伸ばし続ける。
曲げたら、即座に鉄拳が飛んでくる。
そのことを学ぶための二年半と言っても過言ではない。
新兵の誰もが、その身を以って理解している。
「違いますじゃねぇんだよ! お前、俺が教えた、戦いで必要な三つのものを言ってみろ!」
「勇気、努力、友情です!」
「勇気、努力、勝利だろッ! クソ野郎が!!」
教え子の叫びながらの返答を即座に否定し、抜く手も見せずに往復ビンタを食らわす。
助教は感情に任せ、たたらを踏む新兵の尻をさらに蹴り飛ばした。
(最後のは嘘だろ。いつもは友情って言ってたくせに……)
殴られる同期を視界の片隅に置きながら、式守は心の中で異議を唱えた。
勿論、口にはしない。
そんな命知らずのことはしたくない。
それを指摘すれば、正しいことをした気持ちにはなるとは思う。
だけども、軍隊の中では少し――少しだけ、間違いだ。と、彼は思う。
指摘したらどうなるかを具体的に考えよう。
まず、余計な口出しをするなと罵倒される。
次に、新兵のくせに勘違いしてんじゃねぇとビンタを食らう。
さらに、自分を教えた助教に「てめぇの教え子だろ。しっかり指導しろよ」と告げ口のように言われて、追加のビンタを食らう。
もしかしたら、自分の助教である猿渡班長だったら反省という名の腕立て伏せかもしれない。
そして最後に指摘した班長、つまり下士官の一人に目を付けられて部隊での生活をスタートすることになる。
つまり、自分が得することは何もない。
殴られている同期が余程の大親友でもない限りは言う気にならないし、第一、大親友でも言わない。
親友にする以上、その程度の分別が付いている人物を友人にしているはずだ。と、式守は自らの性格を再確認した。
結果として、何もしないことは正しい。
自分自身のために正しい。
それで十分。
僕が助けるのは、同期だけでもう手一杯だ。
酔った勢いで殴られている新兵と助教を、周りの者がさらに無責任に囃し立てる。
「そんなんで宇宙怪獣と戦えると思ってんのかよ!」
「猿から逃げる臆病者に人権なんてねえんだよ!」
「おいおい、涌井! お前、舐められてんじゃねぇの?」
「涌井の二年半、無駄じゃねぇか!」
「今も昔も身体に教えるのが一番確実だろ!」
「早田! 男を見せろ! 男気だ! 男気!」
「涌井! さっさと根性入れちまえよ! 馬鹿は殴って教えるに限るだろ! 犬と同じなんだよ、新兵は!」
どうやら、彼らの認識では平手打ちは殴ったうちに入らないらしい。
知っていたことだが、直也は余計に陰鬱な気分になった。
『儀式』で無様に負ければ、次に殴られるのは自分だろう。
せめて善戦して、文字通りの満身創痍になるか、傍から見て精一杯戦ったと認められなければ、周囲からの鉄拳制裁から逃がれられない。
「早田ッ! 力を入れろッ!」
「はいっ!」
禍々しく口角を上げた涌井助教が右の拳を固く握りしめ、それを誇示するかのように肩をグルグルと回し始めた。
パフォーマンス以外の何もでもない。
それを見て覚悟を決めた早田二等兵は顎を引き、足を肩幅に開き、手を後ろで組んで、全身を硬直させた。
お待ちかねのショーが始めるとあって、野次はより激しくなっていく。
何を言っているのかよく聞き取れないほどになった頃、涌井が拍子を取るように怒鳴った。
「早田、まだまだだッ! もっと腹に力を入れるんだよ!!」
「はい!」
「まだまだ、足りてねぇッ!」
「はいっ!」
早田が顔を真っ赤にして怒鳴るように答える。
彼とてこの先の展開は分かっているのだ。
「気合い入れ終わったかッ!!」
「はいっ!!」
早田が答えた瞬間――。
彼の足は鈍い音と共に床から浮いた。
腹部にめり込んだ涌井の右拳が、少年の身体をくの字に曲げて持ち上げ、激痛と衝撃が少年の呼吸を奪う。
涌井が無造作に拳を引き抜くと彼の教え子は頭から崩れ落ちた。
悶絶しながら地面に這いつくばる教え子を尻目に、勝利者のように涌井は高々と右拳を掲げた。
約束通りの見せ物に、割れんばかりの歓声が湧き上がる。
その中で、つまらなさそうにノンアルコールビールだけを飲んでいた衛生兵が、素早く腹を抱えてうずくまる新兵に駆け寄った。
衛生兵は『儀式』での流血よりも、今のボディブローの方を危険と判断した。
呼吸を整えさせ、様子を観察する。
生命には問題はないと判断した衛生兵が新兵に立つようにと促すと、先ほどまでの野次は、口汚いが――それでも、確かに声援へと変わった。
「男だったら、自力で立てッ! 立つんだ!」
「女々しいんだよ! 立てるだろ! クソガキッ!」
「立て立て! もうちょっとだ! 気合見せろ! 気合だ!」
「キンタマ付いてんなら立てよ! 童貞ッ!」
涌井は手を貸さない。
生まれたての子鹿のように足を震わす早田が立ち上がるのをただ見つめ続けた。
少年が怒号と野次に囲まれたまま、1分ほど時間が過ぎた。
ようやく歯を食いしばった早田二等兵が何とか立ち上がり、再び酔っ払い達の歓声が上がった。
誰もが立ち上がった新兵の気合いを褒め称えた。
弱い新兵が負けない意志を示し、自分達の仲間になったと叫ぶ。
早田二等兵を殴った張本人である涌井助教も、肩を貸し、労りながら早田を少し離れたところにある長椅子へと連れて行く。
まさに『儀式』。
今までの訓練だけでは一人前ではないと示す場――新兵にとっての戦場『儀式』という戦いは続く。
式守は意識と視線を戦場に戻した。
数メートル先で別の新兵が『儀式』を行っている。
その次は、式守直也の番だ。
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