第18話<リトル・キョートⅣ>

 標識等を確認せずともセントラル・ブロックに着いたことは身体で分かる。

 ここだけはジオフロント最底部にある人工重力発生機関により、地球と同じ重力が確保されているからだ。

 逆に言えば、リトル・キョートには数キロ四方のセントラル・ブロック以外にはまともな重力は存在しない。

 周辺部に行けば行くほどに重力は低くなる。

 やがて二人は予定通り、喫茶店に着いた。

 あらかじめ選んでおいたメニューに舌鼓みを打ち、他愛もない世間話に花を咲かす。

 話す内容といっても訓練での笑い話や失敗談など、くだらない話だが、それでも共通の体験として会話が弾む。

 クリスティーナは会話を楽しみ、甘いケーキを頬張りながらミルクティーを飲むと、ここ数年感じたことが無いような解放感に満ちていくのを感じた。

 訓練課程修了という人生の一区切りを無事に終えたからだろう。

「そういえば、フランチェスカの家ってイタリア系だよね?」

 お代わりのロイヤルミルクティーを注文したあと、クリスティーナが聞いた。

 フランチェスカという名前はイタリアやその周辺、またはそこに縁故を持つ親が名付けたのだろうと以前から見当を付けていた。

 質問通り、本物の日系イタリア人であるフランチェスカは「ええ」と頷きながら、紅茶の中に、ティースプーン山盛りのイチゴジャムを入れて掻き混ぜた。

 この喫茶店で銀髪の少女が迷った末に注文したのは緑茶ではなく、ロシアンティーだった。彼女はかなりの甘いものも好きだ。

「今は二重国籍ですけども、成人する前には日本国籍にします」

 二重国籍を認める国家など基本的には無い。

 当たり前である。

 特に国軍の者で、しかも士官で二重国籍はほぼ有り得ないことだ。

 彼女の二重国籍は特例として成人となるまでの期間しか認められていない。

「意外。フランチェスカは新EUを選ぶかと思ってた」

 少しだけ残念そうな声。

 クリスティーナは純血の英国人である。

「上の兄二人がイタリア国籍なので家系を絶やさぬ為のリスク分散です。わたし自身、祖母の影響で日本好きなのも影響していますけど」

「もしかして、お祖母さんが日本人? だから〈東郷〉を選んだの?」

「ええ。それで祖母が<東郷>を選びました。けど、感謝しています。いろいろな遺伝子ベースを考えたそうですけど、なかなかしっくりこなかったのでシンプルにしたそうです」

 そう答えてから、フランチェスカは上品な仕草で紅茶を一口飲んで満足げな笑みを浮かべた。

 その仕草だけで彼女の育ちの良さを察するには余りある。

「まぁ、私も人のこと言えないか……。選んだのは母さんだけど、イギリス人なら〈ネルソン〉や〈リデルハート〉とか多いけど、こだわりがなければ銘柄のネームバリューで選ばれるもんね」

「それは仕方ありませんわ。親心はそういうものだと思います」

「なんか、妙に説得力あるわね……そういえば今まで聞いたこと無かったけど、フランチェスカって、将来はお嫁さんになりたい系?」

 落ち着いた雰囲気で受け答えるフランチェスカに、頬杖を付いたクリスティーナが訊ねた。

 注文したお代わりがまだ来ないので、残り少なくなったイチゴのショートケーキをゆっくりと頬張る。

「ご縁のある方がいらしたら是非とも。と、思っています」

 フランチェスカの答えは堂々としていた。

「お見合いとかはしないの?」

 将来の目標とかはっきりしていて、いいなぁ。と、クリスティーナは内心そう思いながら、さらに質問をぶつけてみた。

「お二人ほどお会いしたことがありますけど、残念ながらお付き合いにまで至ったことはありません」

 清楚な雰囲気そのものの受け答えで、クリスティーナは目を白黒させた。

 猫を被った、いわゆる清楚系の同期はたくさん見てきたが、彼女が猫を被っているとは思えない。

 何よりも同性の前で『清楚っぽい女の子』を演じる理由が無い。

「驚いた……本当に、人は見掛けによらないものね」

「どうしてです?」

「正直言うと、フランチェスカを物凄く極端なガリ勉タイプの優等生かと思ってた」

「こういうご時世ですもの。命短し、恋せよ乙女。未だにいませんけど、恋人との幸せな時間は少しでも長い方が良いと思っていますので、積極的にお会いするようにしているのです」

 育ちの良い親友の受け答えにクリスティーナは「はぁ~」と溜息に似たものを吐き出した。

「それで、お見合い?」

 クリスティーナの何気ない一言で初めて、フランチェスカは拗ねたように唇を尖らせた。

「……本当は私だって小説のような出会いをしたいですけど、遺伝子調整者わたしたちには無理じゃないですか」

「そうだね」

 幼少の頃から厳しい訓練漬けなのだ。

 フランチェスカは恋愛ごとに相当努力している方に分類できた。

「けど、凄い度胸だよね。お見合いなんて、なに喋るの?」

 何気ない質問で火が付いたようにフランチェスカの顔が朱に染まり、彼女は少し慌てた様子でティーカップを戻した。

 数秒間の沈黙。

 興味深く見詰めるクリスティーナに、目をそらし続けるフランチェスカ。

 途中でウエイトレスがお代わりのミルクティーを運んできたが、二人とも微動だにしない。

 動揺を見せた後では嘘を押し通せないと思ったのか、フランチェスカは渋々口を開いた。

「……結論から言えば恥ずかしながら、何も十分にはしゃべれませんでした。挨拶するだけで精一杯で、二回とも失敗に終わりました」

「完敗?」

 収まることを知らぬ興味を、隠そうともせずに問う。

「端的に言えば、です」

「お見合い相手はどんな人だったの?」

「年上の方でした。もう、どうでもいいことですけど」

 会話を打ち切ろうという意思を込めるように強く言う。

「相手はどんな人? 職業は? 会社員? 軍人? それとも学者さん?」

「……興味津々ね」

 フランチェスカは頬に赤みを残したまま、クリスティーナをジト目で睨んだ。

「だって、お見合いなんてしたこと無いもの」

「あら、クリスティーナはしないのですか?」質問を質問で返して、逆襲に出る。

「あ、私には無理。合コンが精一杯だよ」

「あら、行ったことあるんですか?」

 銀髪の少女がニヤリと唇の端を意地悪そうに上げた。

「――!? なっ……ない! た、例え話よ!」

 呆気無く攻守を逆転されたクリスティーナが、誤魔化すように残っていたケーキを口に運んだ。

 クリスティーナは今まで一度もデートをしたことも、誘ったことも無い。

 ただし、断ったことだけはあった。

 だいぶ昔の話だが、あの時は相手が自分より格下だと思ったので断った。

 正直に言うと、今は後悔していた。

 自分の技能と相手の技能は恋愛には無関係だと気付いたのは、誘いを無碍に断ってから数日後だった。

 彼女にとっては自分がまだまだ幼いと気付くことが出来た出来事だったが、その話が変な風に広まったのか、それから彼女がデートに誘われたことはなかった。

 しかし、当時のクリスティーナはそれを喜びこそすれ、悲しむことは無かった。

 その頃の彼女にとって最も重要なことは恋人を捕まえることでは無く、航宙士課程に士官候補生として入学する際の序列を決める成績こそが最重要だったのだ。

 クリスティーナとフランチェスカは暫しお互いを視線で牽制し、ロシアンティーとロイヤルミルクティーを無言で口に運んだ。

 数分ほど時間の浪費をした後、和議の言葉はクリスティーナの口から出た。

「お互い、虚しいからさ。この話題、一回手打ちにしない?」

「そうですね。プライバシーはお互いに尊重しましょう」

「それでいいよ。敗北者の話は戦訓にしかならないから」

「挑戦しない者が勝利を手にすることは決してありません。戦場でも、恋愛でも、決して」

 首席争いするだけあって見た目によらず、変なところで負けん気が強いフランチェスカが余裕を感じさせる演技で優位に立とうとすると、クリスティーナも言い返す。

 猫がじゃれあうような、そんな会話を二人は興じながら各々注文した甘味を楽しんでいたが、不意にクリスティーナは良いことを思い付いた。

「ねぇ、フランチェスカ」

「なに? なんか改まったように口調を変えて」

「海兵隊員が不安の種なんだよね?」

「その話しをここで蒸し返すのですか? その言動はかなり嫌味ですよ」

「ううん、嫌味で言ったんじゃないよ。ちょっとした提案。自由時間がちょっと潰れてしまうけど、私の提案を聞いてみない?」

「これからの時間で出来ることですか?」

 自分の思いつきによほど自信があるようで、クリスティーナは満面の笑みを浮かべ、フランチェスカはその自信に怪訝そうに首を傾げた。

「海兵隊を直に確かめてみない?」

「え?」

「だからさ、今から行こうよ。海兵隊に。海兵隊なら基本1G区画にいるでしょ」

 彼女たちがいま居るのはリトル・キョートの中央区画セントラルブロック

 全てが1G区画で、今日の出陣式も同区域内にある高級ホテルで行なわれる。

 軍や政府関連機関などを除けば、1G区画は富裕層の為にあるような区画だ。

 地球と同じように生活できるというのは、火星では相当なステータスである。

「え!?」

 親友の突拍子も無い思いつきに、意図せずに漏れた大声。

 フランチェスカは慌てて口を両手で押えた。

 余計な人目を引いてはいないかと周囲を見回し――誰も気にしていないことに安堵の息を吐いた。

 失態を誤魔化すように小さく咳払いし、落ちついてから質問を口にするが、その仕草自体がクリスティーナには可愛く見えた。

「海兵隊に知り合いがいるのですか?」

「いないわよ」

 即答する親友に軽い目眩を感じたフランチェスカは、こめかみを指でゆっくりと揉みほぐした。

「では、念のため確認しますけど、私たちは海兵隊に行って何をすると?」

「現地偵察、現物確認、意見交換の三つに決まっているでしょ。敵を知り、我を知れば、百戦危うからず。どうせ、海兵隊員の名前ぐらい、一回見れば諳んじられるでしょ?」

「その程度こと――って、あなたも同じでしょう」

「まぁ~ね」

「威張ることの程でも無いわよ」

 フランチェスカが突っ込むと、そこでさらにクリスティーナが厚かましいほどの表情を浮かべた。

「だから、誰でも良いのよ。分隊長の猿渡二等軍曹か、遺伝子調整者デザインのアニー・〈ケリー〉・トンプソンか、エイミー・〈ゴードン〉・霧島の誰かに会えれば……海兵隊の雰囲気とかは行けば分かるでしょ?」

「先方に連絡もせずに会いに行くという発想そのものがおかしいけど、まずそこから言った方が良いのかしら?」

 フランチェスカの目が怪しいくらい据わり始めたので、クリスティーナは真面目に答えた。

「そんなことは私だって百も承知よ。でも、共に戦う海兵隊に関しては早めに知っておいた方が絶対良い。正直言ってフランチェスカは引っ込み思案なところがあるし、私は歯に衣を着せないところがある。それらを回避したり、修復するためには、時間があればあるほど有利に働く。最悪、雰囲気を掴むだけで十分よ。二時間潰すだけの価値はあるわ」

「もう、なにを言っても行く気でしょ?」

 フランチェスカが小さく溜息を零してから、口調を変えて、いたずらっ子ぽく微笑んだ。

 彼女たちは確かに普通の友達付き合いとして話した時間は少ないかもしれない。

 だが、それを補って余りあるほど共通の課題や悩みが多数あり、それを共に経験し、そして克服していかなければならない立場に置かれている。

「じゃあ――」

 クリスティーナは左手首の腕時計型情報端末を指先で触れた。

 腕輪からホロ・ウィンドウが映し出されると素早くタクシーの予約をする。

 この喫茶店に来るのに使った個人タクシーに予約を申し込む。

 一~二分もしない内に返信が来るだろう。

 続いてリトル・キョートに駐屯する海兵隊の部隊――第三海兵団の代表メールアドレスにも、仲間となる者たちに可能であれば面会したいとメールを打つ。

 運が良ければ当直勤務の者が処置してくれるだろう。

 海兵団の基地に入ること自体は今ある身分証一つで可能だが、それだけでは余りにも不躾過ぎる。

「――お代わりを飲んだら行きましょう」

 クリスティーナの提案に頷きながら、フランチェスカはちょっとした疑問を零した。

「けど、おかしなものですよね」

「なにが?」

「僅か総員24名。装甲駆逐艦3隻、支援軽巡1隻、海兵隊1個派遣分隊の小さな1個駆逐戦隊。戦隊司令だけはまだ未確定だけど、階級的には大尉でしょうね。そこに遺伝子調整者デザイン四名、遺伝子交雑者ハイブリッド純血種ピュアまで集めるなんて、上層部がどういった意図を持っているのか。当事者としては嫌が応にも気になります」

 フランチェスカはそう言い終わると、少しぬるくなったロシアンティーをゆっくりと飲んだ。

 それは上品な仕草で、クリスティーナは親友のそういったところが良いなと思うと同時に少し羨ましかった。

 彼女は意識してないと少々粗暴な地が出てしまう。

「訓練課程を修了しても競争状態を維持したいのかもね。そう考えれば、今期の首席と次席が一つの部隊に集められる理由が分からないでも無いわ」

 言うまでもなく今期の首席はフランチェスカで、次席がクリスティーナだ。

「通常、遺伝子調整者デザインは事故死や戦死の可能性を考慮して分散させるはず。指導官役として大尉か少佐が指揮する部隊に付配置づきはいちされて、少人数で事細かな指導を受けるのが通例なのに……。私たちをそんなに過保護にしたいのかしら?」

 フランチェスカの淡い桃色の口紅を塗った小さな唇から零れた溜息の理由は、エリート街道の本道から外れたという失望か、それとも、この先の困難を想像しての悲観か。

 遺伝子調整者は幼少の頃から英才教育を施すため、一人前の軍人になるまでかなりの費用が掛かる。

 一回の戦闘で纏めて死なれたら多大な損失となるため、分散配置が基本であった。

「溜息は幸運が逃げるわよ、フランチェスカ。参謀コースはちょっと遠くなったけど、それほど悲観する必要ないわよ。何よりも腕の立つ親友が近くにいれば、実戦では生き残りやすいから安心できるわ」

「その点は私もクリスティーナがいるから有り難いけど、釈然としないのよ。根拠がない勘だけど、これは普通じゃないって」

 そう言って、フランチェスカは残っていたロシアンティーで唇を濡らした。

 ティーカップの底に残っていたイチゴジャムまで飲み干す。

 水飴のようなそれは茶葉の渋味を帯びていたが、彼女の記憶にはそれがやけに鮮明に残った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る