第11話<戦いの儀式Ⅰ>
復興歴301年8月23日12時18分
火星 要塞都市“リトル・キョート”
日本軍航宙軍海兵隊第三海兵団 リトル・キョート基地
日本軍防衛高等学校火星分校 第二大食堂
人類が住むようになった火星には、日本が主体となって開発したリトル・キョートと呼ばれる都市がある。
日本の復興都市・京都の名を冠してはいるが似たところは全くない。
しかも、火星の過酷な環境に対応するために巨大な地下都市として作られた。
名前の元となった古都とあまりにも違いすぎるため、何度かリトル・トーキョーという名に変更する試みがあったが、結局は変わることなく100年以上経っている。
この都市の中心部はセントラル・ブロックと呼ばれ、ここだけは希少な人工重力制御装置により地球と同じ重力が確保されていた。
火星にはいくつか似たような都市があるが、人工重力制御装置があるのは数個ある要塞都市だけだ。
言葉を換えると、火星で人が世代を超えて生きていける場所は数カ所しかない。
重力がなければ、子供が作れないからだ。
そのような貴重な場所であるから、そこには警備のために常駐する軍隊がいる。
故に、日本軍の一組織である日本軍防衛高等学校火星分校の海兵隊課程に所属する式守たちの住む場所も、学び舎も、練兵場も、全て同じ場所だった。
「式守に儀式の代表を代われって、今さら? 荒木よぉ、儀式は明日だぞ! 寝ぼけてんのか!?」
ボブ・ストライカーは呆れきった声を隠しもせずに、白を基調とした広々とした大食堂で、勢い良く隣りに座ってきた同期を罵倒した。
彼の浅黒い肌は日焼けでなく地の色。
黒人の血を引く彼は、黒人特有のバネのある、しなやかな体付きで一目で運動能力に優れているのが分かる。
だが、ボブの隣に座った少年に動ずる気配はない。
彼は罵倒した少年よりも、さらに恵まれた体格をしていた。
火星では大して役に立たない緑色基調の迷彩戦闘服が、少年――荒木大祐のはち切れそうなほどに肥大している筋肉を隠していた。
「いや、僕は別にいいけど、猿渡班長を説得できるの?」
式守はボブの隣りに座った同期――荒木大祐に、困ったという表情を浮かべながら答えた。
式守直也という少年の見た目を一言で言い表せば平凡だった。
中背中肉で引き締まった細身の身体付き。
顔立ちは比較的整ってはいるが、少年を二枚目とまず評す者は居ない。目は少し細めで覇気も無い。
当然、軍人らしい威圧感も鋭さも無い。
むしろ、戦闘服との対比で悪い意味で平凡さが目立つ有様だった。
その式守は食事中に表れた同期に呆れていた。
昼飯時の学生食堂は混雑しているが、その中からよく自分を見つけたものだ。
例えるならば混雑している地下鉄のホームで知人を探すようなもの。
どうせなら見つけられなかったら良かったのに。と、思ったが口にはしない。
無駄な争いは、式守が心底嫌うことだ。
彼としても儀式の代表なんて面倒臭いこともしたくはないが、今からそれを代えるというのは、余計に面倒臭いことだとも分かっていた。
「だから、お前自身に辞退して欲しい」
角刈りで厳つい顔をした荒木は机の上で両手を組んで、真面目そうな表情を浮かべて言った。
荒木大祐――不貞不貞しい表情を浮かべた巌のように彫りの深い顔。
190cmを超える長身に纏う鍛え上げた筋肉は、慣れていなければ腰が引けてしまうほどの迫力がある。
二の腕はどうやって袖を通したのだろうかと思うほど太く、彼の筋肉はどこを見ても常人離れしている。
だが、それは見せかけのものではない。
ラグビーやアメフトの選手のように柔軟性と瞬発力に優れており、彼はまさに肉体的エリートと呼ばれる部類の人間だった。
「無理だと思うよ」
「無理だろ」
式守とボブは、同時にお話しにならないというように答えた。
彼ら三人の訓練班長――この日本軍防衛高等学校火星分校の海兵隊課程で、彼らを教育している下士官は曲者の中の曲者。
暴言、体罰、当たり前。
懲戒免職になりそうでならない厄介者。
この基地では知らない者はいないほどの有名人だった。
「そう思うから、お前に直接頼んでいる」
机に両手を付けて乗り出してくる荒木だが、式守はその両肩を抑えた。
「いや、さ……班長に辞退したいと言うことは出来ても、それで荒木に代わるとは限らないと思うよ」
「そんなことはない!」
気色ばんで喚く同期を面倒臭いと思いつつ、式守はどこから順序立てて話そうかと思った。
そもそも式守を班の代表として決めたのは、彼らの教育係である猿渡二等軍曹である。
見た目通りに腕っ節も強い荒木だが、どうして土壇場で横槍入れたいのだろうか。
「おいおい、荒木。どうして、そんなに代表になりたがってるんだよ? 今さらだろ。いい加減にしないと班全員の迷惑だぜ」
ボブが半ば苛立ちながら口を挟む。
彼も式守や天羽、荒木と同じ班で、猿渡班長の指揮下にいるのだ。
防衛高等学校とはいえ、日本軍の一組織だ。
上意下達。命令遵守。行動統制。規律厳守。
これらのことは、学生という身分を持っていようが、未成年であろうが関係ない。
猿渡班長という上が決めたことに従わず、己の我が儘だけで勝手に別の行動を行なうのは反逆と言われても仕方ない。
そして、この手のことは――相手が被教育者という立場であれば、特に連帯責任で贖うのが基本だ。
ボブは、荒木の我が儘で自分たちまで被害を被るなら、ここで殴り合いを選んだ方がマシだと考え始めていた。
喧嘩の仲裁に憲兵隊が入ってくれた方が、猿渡班長の
少なくとも憲兵隊は法律や規則通りに処置してくれる。
すでに完全に目が据わったボブに、荒木はそれでも「どうしても」と言葉を続けた。
「重々承知している。それでも代表になりたいんだ」
ボブはやると決めたらやる男だ。
だが、荒木も似たような性格だ。
静かに――だが、徐々に本気で睨み合う二人の間で、式守直也は疑問を口にした。
「昔から荒木が代表になりたがってたのは知っている。だけど、どうして儀式の代表になりたいの? 儀式なんて名前だけど、実際は
「お前にとってはそうかもしれないが、俺にとっては違う。実戦前に出来る、一番実戦に近い訓練なんだ。この機会を逃したくない」
真顔で話す荒木を、ボブは「ぷっ」と小さく吹き出して嗤った。
「あの噂を真に受けて、たったそれだけの理由かよ。だったら、諦めろよ。俺たち全員の迷惑だ」
「何を悠長なことを言っている! 修了式が半年近くも早まったんだ! 本来は教育期間を縮めるなんて、戦争でもならない限りしないことなんだぞ! 俺は、時すでに遅しなんてことになりたくないんだ!」
食堂に響くヒステリックな大声に一瞬、人の動きが止まり、式守らに視線が集まる。
だが、周囲の視線など完全に無視したボブと荒木が、互いにドスの利いた声を漏らしながら額を合わしている姿を目にして、式守は諦めたように提案した。
「まあ、行くだけ行ってみる?」
「……助かる」
荒木は素直に、小さくだが頭を下げた。
「式守、いいのかよ?」
怪訝な表情を浮かべるボブに、式守は苦笑を浮かべた。
親友の顔は厄介事に巻き込まれるなよ。と言っている。
「いいさ。万が一、僕でなくなるなら有り難いし。猿渡班長の決心は代わらないと思うけどさ。一応言っておくけど、天羽を最初に指名したのは班長だよ」
式守は少しだけ釘を刺すことにした。
安易に何でも言う通りになると思われるのも面倒臭い。
荒木は視線を合わしてくる式守の意図が分からずに「ああ」と曖昧な返事をした。
「つまり、それは、荒木だと勝てるだろうと考えて、見世物として面白くないだろうから指名してないんだと思う。ボブも葉山も荒木も除外されたのが偶然じゃない。僕たちの中で、一番勝てそうにない僕が選ばれている時点で怪しすぎる」
「そうかも、しれないな。いや、その可能性の方が高いか……」
何か思い当たることがあったのか、荒木は右手で顎を擦りながら呟いた。
「班長はひねくれ者だ。もしかしたら、もう一度天羽が指名されるようなことがあったら、さすがにその時は僕が出る。その時は
最後の部分は、ボブも荒木も同意する内容だった。
「……そうだな。天羽には無理だよな……」
「アイツが動物を殴れるわけ無いだろ……」
ボブも同意見だったし、それは彼ら同期の共通認識でもある。
「天羽は口うるさいけど優しいから、動物と戦うとか絶対耐えられない。だから、僕もあれ以上は抗議しなかったんだ」
「俺が最初に代わると言ったんだ!」
式守は再び喚いた同期に耳を塞いだ。
「知ってるよ。荒木が一番最初に言ったのは憶えてる。だけど、それを却下して天羽を指名し続けた張本人が猿渡班長だろう」
「……本当、性格悪いぜ。式守が代役をすると言うまで代えないし、ろくなもんじゃねえよ」
ボブは吐き捨てるように言った。
式守はその事を咎める気などない。
むしろ、この場で本当に唾を吐かなかったことに安堵したくらいだった。
この遣り取りの数時間後、式守と荒木は猿渡班長の元へと行ったが、再びボブの前に二人が表れたが共に汗だくで、荒木に至っては殴られたのか鼻血を出していた。
つまり、彼らの提案は予想以上に、手酷く却下された。
ボブはそんな荒木を見ると腹を抱えて笑い、それが終わってから式守に同情の声を掛けた。
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