第7話<選ばれし者たちⅣ>
「ねぇ。クリス、起きてる?」
「起きてる」
「ちょっとプライベートのことだけど、聞いていい?」
声音には少しだけ遠慮があった。
「珍しいわね。なに?」
考えてみれば、彼女とそういったことを話したことはあまりない。
いつも差し障りのない会話で終わっていた。
いや、それに関しては、誰とも親しくなかったような気がした。
クリスティーナには親友と思う同期は、二年半の訓練課程の中で一人しか出来なかった。
「
遠慮している振りして、いきなり核心から来るの……。
クリスティーナは心の中だけでぼやいた。
中華系米国人との会話でよくあることなのかと心に留める。
ただ、心の動きはその分返答の遅れとなった。
「別に。ただ、面倒くさいだけよ」
「けど、あなたは優秀だからそれをクリアできる。だったら面倒くさいなんて、デメリットじゃないんじゃないの?」
「優秀だからじゃないの。優秀でなければならないの。意味合いが全く違う。分かる?」
この意味は伝わらないだろうなと思うと、会話自体が物凄く面倒くさく感じてきた。
それが声音に漏れるが、隠す気も取り繕う気も起きない。
「それも、元々優秀だから出来ることじゃない」
「言葉しか似てないわよ、それ。第一、遺伝子一つで本当に優秀な軍人が出来上がるなら、とうの昔にクローン人間を量産しているわ」
本当に呆れてしまった。
遺伝子は能力に影響を与えないわけではないが、万能ではない。
それが分からないなら、シュエメイは電子工学や量子学よりも遺伝子工学を学ぶべきだ。
「本当に無駄なら、今もそれなりの国家予算をつぎ込んで
「まったく……しつこいね。シュエメイは
「何を?」
「人類連邦政府と国、そして軍が予算をつぎ込む理由」
シュエメイはその言葉に無言で首を傾げ、クリスティーナはなんとなくそれを察した。
「私たちなんて幻を追い続けた結果の、ただの副産物よ」
「言っていることが、余計に分からなくなったわ」
シュエメイが苦笑を漏らし、クリスティーナも苦笑を漏らしたが、その意味は全く違う。
説明を続ける。
それは
「国と軍、人類連邦は人類が滅亡しそうな、如何なる危機的状況をも打破できる軍事的天才を欲しがった。いいえ、今も喉から手が出るほどに欲しい。それも多ければ多いほど良い。霞を掴むような話なら、確率だけでも上げてしまおう。そう考えて、そして偶然に頼ることを良しとしない人々が立ち上がった」
クリスティーナは一息ついた。
自分を生み出した科学者たちは、なんと途方も無い目標に向けて人生を捧げているのだろう。
「人は飛行機を発明して100年もしないうち月に行った。その事実と前例がある以上、諦めこそが可能性を――未来を殺すと科学者たちが立ち上がり、今日まで人工的に軍事的天才を作り出そうと努力し続けている。これまで二度に渡る異星生命体との絶望的な大戦の中で、奇跡的な勝利をもたらしてくれた人類の英雄を、来たるべき未来の、不可避の破滅から逃れるために、人類の救世主を確実に確保するために――。それを追い求める方法の一つとして、
「ちょっと待ってよ、クリス。それじゃ、
初めて聞いた事実に驚き、シュエメイは絶句しそうになった。
天才を作り出す? 作り出せないから天才と言われるのではないのか?
あまりにも馬鹿馬鹿しい。人が人を超えようというのか?
それぐらいしないと出来そうにもない目的。
シュエメイには理解しがたい。
いや、大方の人は理解できないだろう。
「そうよ」
それ以外の答えを許さぬクリスティーナの断言。
そこに感情的なものは無い。
もう嫌になるほどその目で見てきた現実だ。
「上層部は、天才が――人類を救うような天才が、いいえ、物語に出てくるような英雄が欲しい。だけど、科学者や軍の上層部だって、遺伝子だけでそんな人間が生まれるわけじゃない事は百も承知しているわ。先天的なものだけでなく、後天的なものでも人の能力は決まる。それも、とても重要だから……それを理解しているからこそ、各国は
今現在も
シュエメイは身体の固定ベルトを外して下段のクリスティーナを覗き込んだ。
金髪の少女は目を合わせても何も言わなかった。ただ苦笑を深くしただけだ。
「あのさ、ちょっと言い方悪いけど、生まれた時から英才教育したって、向かない人には向かないし、意味がない人には無駄じゃない。その論理で行けば、一流アスリートの子供――それも兄弟とか姉妹も教育により必ず一流アスリートになるって論法よ。そりゃ、普通の人よりは優れているかもしれないけど、オリンピック選手やプロレベルになれるのとは別なんじゃない? そんなことは歴史が証明しているし」
「上層部も理解しているって言ったでしょ。シュエメイは知らないだろうけど、幼少の頃から
「それをもう100年以上続けてるなんて、ただの馬鹿じゃないの?」
シュエメイの一言で徒労感が生まれ、溜息が漏れた。
いつ如何なる時も精神状態を安定させるべきと、様々な方法の教育や訓練を幼少の頃から受けているが、この手の相手はやはり疲れる。
「それでも人類存続の可能性が増えるなら、やるべきじゃない? 私には無駄としか思えない第三次人類播種計画だって進行中でしょう」
「そういうことがいえるような育ちであることが、既に特権よ」
「特権? そんなもの無いわよ?」
クリスティーナは余りにも馬鹿馬鹿しい単語にケラケラと笑ったが、シュエメイはそれこそが大嫌いだった。
「いいえ、特権よ」
シュエメイの棘のある断言に、クリスティーナは眉を顰めた。そ
れを見たシュエメイは艦長役の表情の変化を喜び、満足げに少し歪んだ笑みを浮かべた。
「人類の半分以上が軍人や軍属になるような時代に、生まれた時から世界最高レベルの教育を受けられるなんて、私から見たらこの上ない特権よ。
思いも掛けないシュエメイの毒舌に、クリスティーナは最初僅かに驚き、やがて浮かべていた苦笑を優しげな微笑みに変えた。
「……そうね。見方によっては確かに特権といえるかな。だけど、実戦を意識したシュエメイが嫉妬を晒す姿は思った以上に幼くて、可愛いわね」
「――っ!?」
暗い感情を隠せたとでも思っていたのか、いつもは細いシュエメイの目が驚きで大きくなった。
クリスティーナは口元を緩ませ、敢えて大きく笑った。
それで溜飲を下げることにした。
下手に追い込み過ぎても、価値あるものは滅多に得られない。
クリスティーナはシュエメイより劣るとは思っていない。
個人の能力差から生じる扱いの差に嫉妬されても、そうする人物を心身共に脆弱だと思うだけだ。
「嫌味な言い方」
シュエメイが睨むが、クリスティーナにとってそれは見慣れた表情に過ぎない。
「褒め言葉として受け取っておくわ。正確に言えば、優秀というより初等学校以前から軍人になる為の教育しか受けてないの。これで中等学校から基礎訓練を始めたあなたたちに劣るようなら、ただのお笑い種よ」
「それも、そうね」
言われてみれば、確かにそうだ。
自分が逆の立場で劣等生なら人前に出たいと思わない。
クリスティーナはベッドの上段からの視線を軽く無視して、そのまま喋り続けた。
「私に言わせれば、
金髪の少女の形の良い唇から、小さなため息が無意識に漏れた。
端的に言えば、報酬が支払われる志願制(一部は強制の)人体実験者と言っても良い。
これらの成果により人類の大半は無重力空間に於ける骨粗忽症の軽減や、戦闘時に於ける血小板機能の強化による戦傷への耐性向上などの必要な適応力を獲得した。
つまり遺伝子を組み替えたり、追加したり――さらには動物や植物の遺伝子を交雑させることで、より人間という種そのものの環境適応力や各種能力を向上させる人体実験を、その身で受けている人々の総称だった。
「……
そう呟いて、シュエメイは口を閉じた。
やや間を置いてから訊ねた。
その呟きに怯えが内包されているは演技ではないだろう。
「
「よく知っているわね。それ、本当」
クリスティーナが驚いて僅かに目を丸くした。
彼女は〈ネルソン〉家とも言うべき人的ネットワークで聞いていた話を、一介の候補生であるシュエメイが知っているとは思わなかった。
ただ別に否定するべき事とも思わなかった。
正式に人類連邦から予算が配分されている研究だ。
今はもう実用化試験中であり、近々目にすることもあるだろうと見積もられている。
「もう人間が動物なのか、植物なのか、分からなくなるわ」
「見た目はただの人間よ」
「――え、ど、どうして知っているのよ!? クリス!」
「写真、見たもの」
「持ってないの!?」
「見ただけだよ」
「ちぇっ」
「なに期待しているのよ……常識的に考えて、持っているわけないでしょうに」
Need to know。
守秘義務の原則中の原則だ。
写真を持っていたら、噂話で済ますことが出来ないレベルになってしまう。
シュエメイはやたら人に食いついてきて、勝手気ままに離れていく。
航宙士より戦場カメラマンの方が向いているのではないかと思ったが、自分に付きまとわれる場面を想像して考えを改めた。
間違いなく、しつこくて、邪魔だ。
一言で言えば、うざったい。
「何が違うの?」
子供のような好奇心を瞳に宿すシュエメイは、任務の時とプライベートの時での印象が違いすぎた。
「私が見た写真の人は、髪が緑色だったわ」
「葉緑素の影響?」
「さぁ、詳しくは知らないわ。なんかウミウシを模倣して、特殊な藻を組み込んだ髪を植毛したそうよ」
「……凄いね。人間、なんでもしちゃうんだ……」
「全ては生き残る為よ」
シュエメイの呆れと感嘆が入り交じった溜息で会話が途切れた。
そんな中、クリスティーナは少しだけ期待を込めて、噂話に耳聡そうな同期に訊いた。
「知っていたら教えて。この最終訓練、今のところのトップは誰?」
人並みの世間話を振られたのが嬉しかったのか、シュエメイは猫のように目を細めた。
「首位はホワイト艦隊のフランチェスカ・〈東郷〉・トモエ。クリスは二番手よ。ああ、点差は僅差。想定一回でひっくり返るぐらいの差しか無いわ」
「ふ~ん」
その名前が出ても驚きはしなかったし、自分の順位に落胆もしなかった。
あまりにも予想通り過ぎた。
〈ネルソン〉が英国の
共に海軍の大提督として歴史に名を刻んでいる者の名だ。
「驚かないのね?」
「相手はフランチェスカだもの、驚くようなことじゃないし、順当すぎるってか。むしろ驚いたのは、シュエメイが順位を断言した事。普通、試験の途中経過は秘密のはず……。嘘じゃないわよね? どうやって入手したの? その口振りからは、正直出鱈目とは思えないんだけど」
どうして訓練中の成績を断言出来るのだろう。
そちらの方が疑問だ。
それを気配で察したのだろう。
シュエメイが猫のように目を細め、得意げになって説明した。
「定時報告のデータにこっそりと、ね。ああ、それと採点班のとある人物に賄賂を渡しておいたの。結構、お金掛かったのよ。珍しくお父さんに、お小遣いのお代わりをお願いしたくらいだもの。どう、なかなか使える通信手でしょ」
「――シュエメイ! あなた、まさか私に胡麻を擦ってるの!?」
ふと気付き、本当に、心の底から驚いてクリスティーナは声を上げた。
いろいろする同期だとは思っていたけど、まさかそこまでするとは思わなかったし、する理由が確信を持って断定できなかった。
様々な理由が脳裏に浮かぶが、結局どれも確信が持てない。
だが、シュエメイはクリスティーナの狼狽を瞳に焼き付け、喜色満面の笑みを顔一杯に浮かべていた。
「そうよ。胡麻を擦ってるのよ、私。最終訓練後は是非、あなたの駆逐艦の搭乗員にしてよ」
「艦長になれるとは限らないけど……いったい、なんで?」
あまりにも唐突すぎて声が裏返りそうになる。訳が分からない。
彼女は私を気に食わないと思っていたのではなかったのか?
人間関係の認識を僅かな間で根底から崩され、クリスティーナの思考は翻弄された。
ここまでシュエメイに主導権を握られたことに驚き、そして、そこから態勢を立て直す当てもない自分に狼狽えていた。
こんな心理的死角があったことを不覚と恥じた。
「シュエメイ・ルー・リンドバーグは、
思いもよらぬ展開を見せた会話に薄気味悪さを感じつつも、驚いた表情のままクリスティーナはぎこちなく首を縦に振った。
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