第6話<選ばれし者たちⅢ>

 クリスティーナは戦闘態勢を三直体制のローテーションに切り換えた。

 この事は、この最終試験前に予め決めていたことだ。

 二直体制だと火星直前まで同じ相手としか顔を合わせなくなる。

 余計なストレスを溜め込まないためには、多少不規則でも八時間交代の勤務態勢にすべきだと判断したのだ。

「シュエメイ、仮眠に入りましょう」

 クリスティーナがヘルメットを外しながら、肩の力を抜いた。

 頭を左右に振ると解けた長い金髪が漂うように緩やかに揺れ、それからゆっくりと動きを止めた。

 汗で微妙に湿った髪を空気に晒してから指で軽く梳いた。

 蒸れた頭皮に空気が当たるのが心地いい。

 それが終わると、そのまま背もたれに背中を預けた。

 思っていた以上に深くシートに埋まる感覚が背中から伝わる。

 想像以上に緊張していたことを改めて自覚した。

 最終試験――同期たちとの序列争いに負けはしないとは思っているが、必ず勝てるとも決まっていない。

「そうね」

 シュエメイもヘルメットを取る。

 少し短めに揃えた黒髪のボブカットと、それによく映える白い肌がよく似合った。

 右耳にだけ付けた赤いイヤリングが特徴的といえば特徴的。

 訓練兵の規則として訓練中のアクセサリーは禁じられているが、航海の間は小うるさい教官達も傍にはいない。

 そういった点では、彼女は抜け目がないともいえた。

「ゆっくり、お休みを。お嬢様」

「うるさい。黙れ」

「おやすみ」

 シウバの言葉にクリスティーナが反射的に罵声を返すのはいつものことで、リチャードが驚くほどの事でもない。

「行こう、クリスティーナ。時間が勿体無いわよ」

「まったく……」

 シュエメイに諭すように言われ、クリスティーナはシートから身を起こした。

 無重力に任せながら漂い、艦長席のすぐ後ろにあるハッチを開けた。

 それから思い出したように指示を付け加えた。

「リチャード、デブリは可能な限り避けて」

「構わないが、サイズによってはレーザー砲塔型個艦防衛システム《LCIWS》を使う」

「それも火星に近付いたら控えて」

 光は遠くからでも視認しやすい。

 まして、真っ暗な宇宙だ。

 警戒されていれば容易く発見されかねない。

「了解した。上手くやる」

 クリスティーナの意を正しく理解したリチャードは小さく頷いた。

 いま乗艦している四人全員がこのリバプール級装甲駆逐艦の操艦が出来るし、高度な自動化がされているので最悪一人でも運行が可能である。

 だからこその四人一組とも言えた。

 クリスティーナはシュエメイの後を追い、お互いに手が届きそうなほどに狭いコックピットから抜け出るように後方の扉を潜った。

 駆逐艦のほぼ中央に位置するコックピットの後ろには、さして広くない休憩所兼仮眠所がある。

 とは言っても、豪勢な部屋があるわけもなく、コックピットから見て右側に壁に埋め込むように作られた二段ベッドが一つ。

 二つしか無いのは当直勤務で乗員は半々で寝ることが常識だからだ。

 同じように設置された幅50センチもない個人用ロッカーが四つ。

 これ以外、下着や私物を収納するスペースは無い。

 反対側に作られた狭い空間には壁に備え付けられた折り畳み収納の小さな机と椅子が二つ。

 そこで食べるゼリー状の宇宙食と栄養ドリンクを捻り出してくれるドリンクバーは一台しかない。

 あとは狭すぎる男女兼用のシャワーとトイレ。

 個室はたったひとつ。

 艦長の特権たる艦長室のみ。

 もっともここはいざという時は病室にもなるスペースなので、誰も大きな声で文句は言えない。

 今は倉庫代わりに食料を詰め込んでいて足の踏み場もないどころか、

 頭を入れるスペースもない。

 他には艦後方に海兵隊が搭乗する際に使用する、少々大きい倉庫兼居住スペースがあるが、今回の訓練では使用できない。

 教官達が訓練生のストレスを増やすためにわざと封印していた。

 クリスティーナは仮眠室に入ると素早くドアをロックした。

「ロックした?」シュエメイの確認。

「大丈夫」ロックしたことを再度確認してからの返事。

「ふぅ~」

「さっさと着替えましょう」

 クリスティーナの返事を聞いた直後、シュエメイはわざとらしいほど大きな溜息を吐いた。

 それから二人とも勢い良く宇宙服を脱ぎ始めた。

 クリスティーナは艦内移動用吸着靴から細い足を抜き、まずはつなぎの筋補助衣アシストスーツから脱ぎ始めた。

 戦闘機動等でちょっとした加重が掛かるような状況は、筋補助衣アシストスーツで凌ぐことになっている。

 これは耐Gスーツとしての役割も併せ持つ優れもので、警察など他の行政機関でも普通に使用されていた。

 その下には身体にぴったりと密着するボディスーツタイプの艦内用宇宙服を着込んでいたのだが、それもさっさと脱ぎ捨てて全裸になった。

 手早くハンドタオルで体の汗を拭き取る。

 次に支給品の速乾性防臭防菌のスポーツブラとショーツを身に付けて、私物のゆったりとしたオレンジ色のTシャツと赤いハーフパンツを着込み、長い金髪を輪ゴムで手早く束ねれば、プライベートタイムでは定番の格好だ。

 シュエメイも服装に大差はない。

 ただ彼女はクリスティーナと違い、黒色のタンクトップとショートパンツの下着姿だった。

 男性が居なければどうでもいいらしい。

 クリスティーナは壁を軽く蹴って、休憩所の端にあるキッチンサーバーへと滑るように宙を飛んだ。

 無重力ならではの芸当。

 本当は吸着靴で歩く方が健康に良いと指導されているが、面倒な時はそうしてしまう。

「食べる?」

 大きめのボタンを押すとキッチンサーバーの内で宇宙食が暖められ始める。

 ゼリー状のものだが、中に入っている穀物や野菜の食感とブイヨンベースの下味も伴って、味覚は雑炊やリゾットに近いものがある。

 分量はそれほど無いとは言え、食感と喉越しで食べた気になれる点はとても重要だった。

 栄養素と噛み応えの無いゼリーだけで作られた戦闘用宇宙食よりも何倍も良かったし、一番大事なことだが糧食としては味がまともな部類だった。

 普通の戦闘糧食は栄養とカロリーを満たすことを優先しているので、誰もが食べたがるような味付けはしていない。

 物によっては、敢えて不味くしているものさえある。

「食べる」

 そう答えたシュエメイの頬は少しだけ緩んでいた。

 宇宙食とはいえ食事は食事だ。

 休憩が出来る。緊張を解せる。空腹を満たせる。

 誰にとっても良い時間だ。

 クリスティーナがキッチンサーバーで温められた、リゾットの宇宙食が入った真空パックと少し長めのシリアルバーを一緒に放ると、それはゆっくりと二人の間を漂うように飛んでシュエメイの手に収まった。

「ディナーは幾つ積んだっけ?」

 シュエメイは無重力の中を風船のように漂いながら、リゾットのパックに口を付けて黄色いゼリーを啜った。

 カレー味かと思ったらチーズ味だったので少し驚く。

 濃いめの味付けが美味しく感じるのは疲労の所為だろう。

 シリアルバーの方は普通のドライフルーツ入りのものだ。

 勢いよく囓ると干しブドウの味が薄く広がった。

 ナッツの歯応えがちょっとしたアクセントになっていて悪くない。

「一人につき三食。メニュー選んだの、あなたでしょ」

 ディナーはこの訓練間の数少ない娯楽だ。

 ビタミン剤や流動食ではない、本来の意味での食事を宇宙空間で楽しむことの出来る少し豪華な宇宙食のことで、これだけはちゃんとした形や噛み応えがあり、さらには香りまである高級品だ。

 つまり、二週間近い航海の間、本当の意味で食事を楽しむことは一人三回しか出来ない。

 クリスティーナもシュエメイと同じ物を口にしながら、ベッドの脇に立った。

 シリアルバーを口に咥えたまま自分の寝袋を広げ、下段のベッドの固定用フックに引っかける。

 その上に固定用ベルトを通し、枕代わりにリチャードの寝袋を置いた。

 これで就寝準備完了である。

「やっぱり、少ないよね~。私の北京ダック、シウバに食われないように気を付けなきゃ」

「その分、眠気覚ましのコーヒーやガムみたいな嗜好品を積んだんだもの。仕方が無いわ」

「あなたは艦長特権とか、わけ分かんないこと喚いて紅茶ばかり大量に積んだじゃない」

「英国軍人が戦場に紅茶を持って行かないことは未来永劫有り得ない」

 無駄に力強いクリスティーナの断言。

 ミルクティーもレモンティーも積んだが、お茶うけがほぼ積めなかったのが不満の種だ。

「それ、よく聞く戯言だけど、クリスを見てれば納得出来るわね。死んでも真似したいとは思わないけど」

「最後のは余計。私も口うるさい中国人に生まれなくて良かったわ」

「片意地だけで生きている英国人よりマシよ」

 軽くいがみ合いながら、素っ気ない食事を胃に詰め込み続ける。

 彼女たちは全員未来の艦長候補者だ。

 艦の全般のことを知るようにと、食事の積載計画までやらされた。

 訓練に支障があるような見積もりや作業だった場合、教官たちに厳しく指導されたので減点はあっても訓練自体に参加できないような事はなかった。

 シュエメイも寝る準備を終えた。

 最後にビタミン剤を冷水で飲み込めば、短い食事時間も終わりだ。

 私物のスマートフォンを取り出して、イヤホンを付けた。

 ここでは電話を掛ける相手は誰もいないが音楽は聴ける。

 火星にまで行くようになった時代でも、スマートフォンは情報端末として、前世紀からほとんど形が変わらなかった物のひとつだった。

「シャワーは何回浴びれたっけ?」

 シュエメイは狭い二段ベッドの上段に取り付けた寝袋に潜り込みながら、自分の身体をベルトで固定した。

 あとはもう寝るだけである。

「それも覚えてないの? 一緒に積載したじゃない。一人五回、三日に一回よ」

謝謝シェイシェイ

 呆れながらも答えるクリスティーナは少々お人好しな自分自身にも呆れた。

 下の者を見捨てられない質なのだ。

 そのまま自分も二段ベッドの下段に固定した寝袋に潜り込む。

 それを確認するとシュエメイは部屋の照明をスマホのリモート操作で落とした。

 代わりに蓄光式の非常時誘導灯に柔らかな緑色の光が灯る。

 お互い無言で情報端末をひとしきり弄った後、シュエメイがクリスティーナに声を掛けた。

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