第5話<選ばれし者たちⅡ>

 厳しげな女性の声は、はっきりと皆の耳に響いた。

 宙域は電波的にもかなり安定している。

『ブルー631、感明良し』

『ブルー632、感明異常なし』

『ブルー633、感明よし。よく聞こえます』

「ブルー634、感明良し」

 教官である岩本は無駄口をひどく嫌う。

 減らず口の者にはそれ相応の罰を与えてきた。

 そうであればこそ、教え子たちから無駄なお喋りが消えるというものだ。

『さて、諸君。二年半の航宙士訓練課程も、これで最後の実動訓練である総合訓練となった。訓練方法に変更はない。ブリーフィングで説明したとおりだ。残念ながら諸君らは全課程を消化できず、不本意な形での出陣となるだろう。今訓練は本来の目的を変えた、実戦前の予行訓練に過ぎない。もはや教官である私から教える機会は無い。諸君等が、私の言葉を忘れていないことを祈る。そして、私の最後の任務は君らの実力を評価することのみだ』

 そう言ってから、教官は言葉を切った。

 やや間を開けてから、彼女は鋭い語気で教官として最後の命令を発する。

『現時刻を以て、ブルー艦隊全艦、状況開始! 全ての仮想敵を撃破せよ!!』

『『『「了解!」』』』

 四人の艦長候補生たちが一斉に応えた。

 これが艦長の椅子へと続く、最終試験の始まり。

 四隻の装甲駆逐艦が絡み合うように激しく位置を変えて、速度を上げた。

 ここから先は文字通りの競争だ。

 最初に仮想敵を撃破した訓練生の評価が最も高いのは当然のこと。

 クリスティーナも迷うことなく左手で握るスロットルを押し出して、100メートル近い船体を加速させる。

「シュエメイ、作戦情報を開示して」

 同期が「サブスクリーンに出すわ」と言い終えるよりも早く、標的の位置が示された。

 一番近くにあるものはここから月の軌道を六分の一程度移動した場所にあるクレーターにあり、遠い物は月を離れ、火星に向かう途中や火星の衛星フォボスの地表にもある。

 これは装甲駆逐艦の航続距離としては限界ギリギリの道のりで、操艦にはそれなり以上に気を遣わなくてはならない。

 無論、その道中にも幾多もの標的がある。

 燃料に余裕がないことは明らかだった。

 最初の標的に対しては悩む必要も無く、そして時間も無い。

 如何に早く、的確に指揮して目標を撃破するかも重要な評価項目だ。

 クリスティーナは右手で細かく操縦桿を動かし、装甲駆逐艦〈ブルー634〉をさらに月の地表に近づけた。

 併走する仲間たちの駆逐艦からは適度な距離を取る。

 巻き添えの事故で脱落するのは馬鹿馬鹿しい。

 かといって、距離を取り過ぎれば後れを取る。

 四隻の駆逐艦は標的までのほぼ最短距離を疾走していた。

「リチャード、第3標的までの最適航行計画を立案せよ」

「最初の標的後は、第3標的まで第五戦速にて巡航」

 リチャードの回答はいつも早い。

 時に生返事ではないかと疑いが持たれるほどだが、クリスティーナは彼を信用していた。

「駄目」

 にべもなく答える。

 今やスクリーンの半分を埋めようかという月のクレーターは、もはや流れ去る濁流のようにしか見えない。

 船体は既に制御可能な限界近くにまで加速している。

 そのまま宇宙へと行かないようにと、装甲駆逐艦の至る所に取り付けられているアポジモーターを噴かして月の曲線を這う。

 クレーターの上を掠めるように操艦し、先頭を疾走する〈ブルー632〉の後方斜め下の位置にぴったりと食らいつきながら、クリスティーナは続けた。

「先に標的を撃たれるわ」

 そんなのはくだらない。そう呟く。

 彼女にとって〈ネルソン〉の名――正しくは銘柄と言うべきか――はとても重い。

 遺伝子調整者デザインは、生まれ落ちた瞬間から、普通という言葉から隔離される。

 生まれた時から優秀。

 秀でている存在であるべき。

 天才に違いない。

 押しつけられる価値観と他人からの評価が常に付き纏う。

 まるで己の手足を縛る重圧。

 それに応えなければ評価されず、個人として認められない。

 クリスティーナはそんな日々を生まれた時から過ごしている。

 それが少女の自己同一性アイデンティティーに多大な影響を及ぼしたことは言うに及ばなかった。

「お嬢様は完全勝利パーフェクトゲームを狙うのかい?」

 砲撃手のシウバが軽口を挟む。

「当然」

 さも当たり前のように言い切る少女に、三人は驚かなかった。

 最終訓練で艦長を務める同期は、貪欲なまでに常勝を求める。

「それはネルソンの定め? それとも遺伝子調整者デザインの定め?」

 シュエメイが流れ去る灰色の大地と映り続けるデータを眺めながら無表情に聞いた。

 彼女が口にした〈ネルソン〉とは、まだ人類が地球だけで生きていた頃に生まれた、歴史を決定づける大海戦で勝利した大提督の名だった。

「私の定め、よ」

 強い意志を宿した声で答えた。

 軍人ならば知らぬ者などいない大提督と、この少女の間に血の繋がりはない。

 ただ、彼女の意志に関係なく、複製された偉人の遺伝子の欠片と様々な人工遺伝子が胎児の時に挿入され、付け加えられた。

 結果として生みの親はそれなりの報酬を手に入れ、生まれたばかりの赤子は産声を上げた直後から母親に抱かれることなく、優秀な軍人になるべく努力する一生が義務付けられた。

 無言でスロットルを押し込み、行動でその意志の強さを示す。

 先を行く駆逐艦を下方から抜き去り、先頭に躍り出た。

 議論は終わり、方向性は示された。

 そして彼女と共に厳しい訓練を歩んできた仲間たちは、それを理解できぬほど愚かでもない。

 芝居というよりは自らに酔ったようにシウバが口上を述べる。

「お嬢様が歴史に名を刻みたいと申すならば、騎士としての義務を果たさねば――」

「私に騎士などいらないわ」

 スクリーンから視線を外さずに切って捨てた。

「無碍に断ると部下のモチベーションが下がるよ」

「なら、鞭で語り掛けるだけね」

「それも悪くない」満更でもなさそうに呟く。

 その言葉にクリスティーナもげんなりとした表情を隠すことは出来なかった。

 苛つきで微かに震えた右手が〈ブルー634〉を揺らす。

「手伝うよ。けど、第三戦速以上は駄目だ」

 リチャードの言葉はいつも短い。

「ありがとう」

「宙域データ、異常なし。訓練標的、補足。火器管制レーダー、目標固定マーク、開始。10時30分方向、俯角5.00065、距離46000。目標固定マーク、完了。行けるわよ、クリス」

 シュエメイは意志を示すよりも先に任務を果たした。

 今この時も秒速数キロという速度で移動しているのだ。

 数秒の遅れといえども安易に取り戻すことができない。

「了解。シュエメイは次の標的の攻撃見積もりを」

「分かった」

「初撃は主砲。出力75%。有効射程に入り次第、別命なく砲撃開始。シウバ、外さないでよ」

「お任せあれ、愛しい人よミ・アモーレ

「……この、お調子者」小声とはいえ思わず本音が滑り出た。

 四隻の装甲駆逐艦が絡み合うように激しく位置を変えながら、月のクレーターの上を這うように疾走し続ける。

 高度は高く出来ない。

 仮想敵の良い的になる。

 撃ち抜くのは標的だが、その周りに模擬弾で攻撃してくる仮想敵役の自動兵器がないという保証はどこにもない。

 むしろ、それを考慮できない者は艦長役を命ぜられていないだろう。

 クレーターに激突すれば即死する速度で低空を保ち、均一ではない厳しい地形を飛ぶのだ。

 当然、場所や角度により他艦より優位に立てる射撃位置ポジションがある。

 それを奪い取るために挙動を隠し、欺瞞も行う艦長候補者たちの静かで、激しい駆け引きが繰り広げられる。

 その最中、突如として標的と重なるように表示された海兵隊の標記記号にクリスティーナは声を荒らげた。

「シュエメイ! 地表の友軍は何!?」

 もう、標的が近いのだ。

 しかも今から撃とうとしている標的は、クレーターのど真ん中に設置された地上固定型。

 このままでは砲撃手の気が散るだけではなく、危険過ぎる。

 旧型とはいえリバプール級駆逐艦の主砲は、核融合炉から莫大なエネルギーを得て撃ち出される電磁加速砲だ。

 式守ら海兵隊員たちの傍を掠めれば、重大な事故――死亡事故が起こるはずだ。

 電磁加速砲の弾体が纏う雷は、触れただけで海兵隊員たちを強化外骨格ごと消し炭にしかねない。

(――海兵隊はこんな場所で何やってるの!?)

 クリスティーナの頭に血が上がり、沸き立つ怒りが口調に出た。

「知らないわよ! これも岩本教官の仕込みじゃないの!?」

 暗号通信の見落としなどと思われるのは心外と、シュエメイも声を荒げる。

敵味方識別装置IFFに異常はない! 教官の仕込みだ!」

 リチャードの対応は常に素早く、短い。

 教官達は即戦力に値する人物にのみ、実戦での駆逐艦長という名誉と重責を授ける。

 これらの障害をクリアできない者に他人の命を預けさせる気はない。

「シウバ! 主砲出力3%に変更!」

 クリスティーナが海兵隊に示した譲歩はここまで。

「了解」

 シウバはやけに落ち着いていた。

 彼の、自分ならば外すわけがないという楽天的な自負がそうさせていたからであり、客観的な根拠など何もなかった。

 その間にも駆逐艦四隻の射撃ポジション争いの激しさが増す。

 もうクリスティーナには地表の海兵隊を気遣うような操艦は出来ない。

 既にそんな余裕を持てるような高度ではないのだ。

 右手の操縦桿を僅かに下へ傾けるだけで体勢を戻す余裕もなく月面に激突し、木っ端微塵になる。

 操艦と競争相手に勝つことにのみ、クリスティーナは意識を集中させた。

目標視認タリホー!」

 シウバが声を上げた。

 標的の近くで、ご親切に緑色のマーカーが光っている。

「それは味方だ!!」

 リチャードが声を荒らげ、そのあまりの珍しさにシュエメイが目を丸くした。

「分かってるって!!」

「前に出る!」

 地表すれすれの高度で他の3艦を追い追い抜いた直後に高度を上げ、一気に前を押さえる。

 進路妨害まがいの操艦だが他艦の射線と重ならないのは、彼女の腕がそれなり以上の水準にあるという証明であり、それだけ我が強いという証拠でもあるだろう。

 高度を取ったことで一気に標的との見通し線上に躍り出た〈ブルー634〉。

 クリスティーナは左右のペダルを一瞬だけ踏み込んでスラスターを噴かす。

 艦長役の操艦を盲目的に信じていたシウバは、訪れた一瞬の機会を逃さなかった。

目標捕捉ターゲット・イン・サイト! 発射ファイヤー!」

 シウバが叫びながら人差し指でトリガースイッチを引き絞った直後、艦首中央から艦尾まで貫くように装備されている電磁投射砲が一条の雷を吐き出した。

 砲口から迸った白い雷光が、少女たちの視界を一瞬だけ奪い、即座に宇宙の闇へと戻す。

 少女の視界の先――約200キロ先のクレーターに設置された一辺20メートルの仮想敵の的に一条の雷が突き刺さり、黒焦げた巨大な穴が一つ、音も無く穿たれた。

 ほぼ同時に的の後ろで突風のように月の砂が高く巻き上がる。

 続けざまに三条の雷光が突き刺さり、砂煙が乱れ舞う。

 連続して立ち上った砂煙はやがて一つになり、それは火山の噴火のようにも見えた。

 無論、その近くにいた式守ら海兵隊は誰一人として怪我をしていない。

 彼らも彼らで、これが訓練の一環である。

 それなりの対策は済ませていたし、何よりもシウバが放った砲弾は寸分違わず標的を貫いている。

 海兵隊には死者も怪我人も出ていない。

 細かい号令もなく有機的に連携するクリスティーナ達の様子は、共に過ごした訓練時間の長さを十二分に感じさせたが、彼らにはそれを噛みしめるような余裕はない。

「シュエメイ、第2標的までのコースを」

 そう言いながら、クリスティーナは減速に入った。

 進路変更するポイントを逃すと無駄に推進剤を失ってしまう。

 戦闘機動とは別な意味で神経を集中させなければならない。

 戦闘機動を終えた〈ブルー634〉は第2標的へと艦首を向け、他艦も同一経路を選んだ。

 まだまだ最終試験は序盤である。

 推進剤節約のため、どの艦も巡航状態に入った。

「3分待って、クリス。2つ出すわ」

 シュエメイが素早くタッチパネルを叩く。

「クリスティーナ、もう少し減速してくれ。最終想定で余裕のある加速が出来なくなる」

 リチャードが義務を果たすと、クリスティーナは素直に忠告を聞き入れた。

「第3想定までは貴方のプランに従うけど、最終突撃では思いっ切り加速するわよ」

「ならば、第2想定は長距離ミサイルを使うべきと具申する」

「シウバ。リチャードの意見を採用した場合、ミサイルはどの地点から撃てるの?」

 自分なりの見積は当然あるが、担当者に意見を求め、確認を取ることも同じような価値があることは、今までの訓練でちゃんと学んできた。

「撃つだけなら、カタログスペック通りだが……砲撃手としては……難しいな。標的に自律防御――乱数回避とかをされた場合、最大射程で攻撃したミサイルには推進力の余裕が無い。おそらく外れる。ミサイルは最大有効射程の7割で計算すべきだ」

 シウバが真面目に応じたが、それを耳にして、リチャードは久し振りに彼が遊びで居るわけではないことを思い出した。

「私の攻撃計画では長距離ミサイルは使用しないわよ。普通、奥の手でしょ。四発しか無いんだから」

 自分の作業が無駄になる流れを察して、シュエメイは少し唇を尖らした。

 ここは自分が決断するべき。と、クリスティーナは判断を誤らなかった。

「次は長距離ミサイルを有効射程の7割で使用する。もしも状況によりミサイルの使用が不適切ならば、その時は私が判断する。以上」

「「「了解」」」

 示された以上はすべきことをする。

 彼らは歳こそ若いが、軍人としてすべきことは分かっていた。

 それから約6時間。

 彼ら4人は月の地表及び軌道上に設置された数々の標的及び仮想敵を攻撃し続けた。そのまま休む間もなく4隻のブルー艦隊は、ほぼ一団となって火星へと進路を取った。

 次の標的は火星の衛星に設置された標的だ。

 火星までの航海は約2週間。

 この間の航海で、ストレス耐性などの項目でチェックが入り、航宙士としての適性にも最終判定が下される。

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