第4話<選ばれし者たちⅠ>

 復興歴301年8月9日08時00分

 太陽系第三惑星〈地球〉 衛星〈月〉周回軌道上


 闇に落とされる――。

 狭く長い磁路の中を淡い誘導灯に導かれて、槍の穂先のような菱形のシルエットを持つ旧型のリバプール級装甲駆逐艦が、全長約3キロの巨大な宇宙航空母艦〈マハ・ジャジール〉の艦内に設置されたリニアカタパルトから、無音の宇宙空間へと打ち出される僅か三秒ほどの時間。

 士官候補生にして今期の最終訓練で艦長役を手にしたクリスティーナ・〈ネルソン〉・ハンブリングは、全身にのし掛かる微かな加重を感じながら、いつももそう思う。

 全長約100メートルの装甲駆逐艦は、宇宙艦隊では最小サイズの戦闘艦である。その扱いは二〇世紀の海上に浮かんでいた空母の艦載機と同じ程度の扱いに等しい。

 打ち出される時に感じる感傷の理由を深く考える間も無く、金髪の少女の視界は宇宙の闇に染まった。

 狭い艦橋の内側の設置された球状のスクリーンが映し出すのは宇宙だけだ。

 少女は遠近感さえ失せる黒い空間に身を投げ出されたような錯覚を味わう。

 遠くの星々はその存在を主張することなく、ただ小さな光を闇の中で灯しているだけ。

 道標になりそうなものは目を凝らさなければ視認できない太陽系内の惑星のみ。

 距離感は狂い、気を抜けば上下すら失せる宇宙空間。

 それに加えて比較対象がないために肉眼では速度もほとんど実感できない。

 それでいて、時速500キロを超える速度で宇宙空間に放たれた際の戸惑いは経験した者にしか分からないだろう。

 しかし、それも彼女にとっては日常の一部である。

 クリスティーナ・〈ネルソン〉・ハンブリング。少し大きめな瞳と細いおとがいが少女らしさを十二分に感じさせる整った顔立ち。

 少し赤みが掛かった長い金髪を左右でシニョン――重力下ではよくツインテールにしている――に纏め、透き通るような青い眼は何もかも見透かすような力強さが宿る。

 着込んでいる宇宙服は動き易さを優先させた軍用品で、民間のものに比べれば幾分薄めで身体のラインも多少は分かる。

 女性としてはそれほど豊かな体付きではなかったが、それで少女の魅力が減じられることはない。

 その左胸に輝くのは航宙士見習いの徽章。

 加えて、彼女の容姿は18歳という年相応のもの――つまり、表情一つで少女のようにも、若い女性のようにも見えた。

 その年頃にしか見られない故の儚さも感じさせる絶妙なものであった。

 今年一八歳になる彼女は英国籍で、人類連邦統合軍第三聯合艦隊の練習艦隊に所属する士官候補生。

 最終訓練想定である今訓練を無事に終えれば、新米士官でありながら特別昇任で装甲駆逐艦の艦長を任ぜられるだろう才媛。

 クリスティーナの顔にはその噂を耳にする者たちを納得させるだけの凜々しさを漂わせている。

 それは彼女が持つ才能が生み出すものであり、そうなるべく育てられ、そして、そうあるべきと研鑽し続けた結果でもある。

 その少女の耳朶を管制官の声が打つ。

「ブルー634、You have a control」

「I have a control」

 短い遣り取りの直後、全長約100メートルのリバプール級装甲駆逐艦の制御の全てが少女の手に戻った。

 リニアカタパルトによる射出は安全確保のため、母艦から一定距離を離れるまでは操縦を制限されるのが一般的だが、時速500キロ以上で放たれれば十秒もしない内に安全離隔距離を得ることが出来た。

 宇宙空間では亀が歩くような速度だが、母艦や他の艦と艦隊行動を取っている以上、お互いに回避可能な安全速度というものがある。

 艦長であるクリスティーナが操艦を御すると、即座に部下役の同期たちから報告が上がった。

「――第1、第2核融合炉、第1、第2原子炉及びプラズマ・ホイール、異常なし」

 唐突に上がったリチャードの声の力強さは、少年というよりは男性を感じさせた。

「了解」

 いつものことと、驚きもせずにクリスティーナは返事する。

 装甲駆逐艦の推進力は大きく分けて二つある。

 核融合エンジン内で生じる爆発を電磁コイルで作られたプラズマ・ホイールにより推進力として使用する方法と、従来の推進剤を燃焼させて推力を得るロケットの二種類。

 さらに電磁力で形成されるプラズマ・ホイールを生み出すために必要な莫大な電力を供給する核融合炉も別に装備されている。

 これらはこの時代の宇宙船としては標準的なものであると同時に命綱であり、それ故に宇宙船の搭乗員らは、電力を供給する原子炉の管理には細心の注意を払わなくてはならない。

 クリスティーナと同い年の機関手、リチャード・ヘイゼルマンの報告はいつも短節で無駄がない。

 生真面目そうに七三で分けた前髪と絶対に変えようとしない四角い眼鏡は、生粋の英国人らしく頑迷なまでの彼のこだわりだった。

 艦長に対して、部下の報告が続く。

「母艦〈マハ・ジャジール〉とのデータリンク、同期異常なし。訓練用暗号P-1受諾、解読完了。訓練用暗号、設定良し。作戦座標を母艦のゼロ軸に固定、完了。宙域データ、異常なし。訓練標的、補足。火器管制レーダー、テスト開始。指定座標、確認。X568902°、Y251111°、Z490017°、誤差各±0.2°以下、25°i、距離60000。火器管制レーダー、テスト完了。行けるわよ、クリス」

 通信手のシュエメイ・ルー・リンドバーグの指がタッチパネルの上を滑るように動き、リップを薄く塗った桜色の唇から次々と報告が上がった。

 細い瞳を常に抜け目なく巡らす小柄な少女は、訳もなく綺麗に切り揃えられた黒い前髪を弄った。

 中華系米国人で、いつも早口。

 その為か、彼女は自分で出来ることは指示も命令も待たずに済ませてしまうたちだ。

 クリスティーナ自身の訓練として考えると少々実利が薄くなってしまうが、これも信頼故と、その思いは心の中に仕舞う。

「分かった。シウバ、主砲は?」

「全電磁砲及びレーザー砲塔、充電開始済み。模擬ミサイルの安全ピン一本さえ抜けてないよ、お嬢様」

 駆逐艦全ての火器を管理する砲術手、シウバ・エメウソン・上杉。

 日系で南米出身らしく浅黒い肌とわざと乱雑にセットした黒髪が似合う、なかなかの美男子だ。

 今は宇宙服に隠れているが、鍛え上げられた細身の肉体とその笑顔が合わされば、夏の海辺やプールサイドで女性の視線を奪うことなど造作も無い。

 異星生命体接触前の、平和な世の中に生を受けていれば今とは違う職に進んでいただろう。

「お嬢様って、この後に及んで嫌味のつもり? まったく、充電は主砲のみ。今はまだレーザー砲塔型個艦防衛システムLCIWSに余計な電力を回さないで」

 クリスティーナは不機嫌さを隠しもせずに返したが、シウバにとっては織り込み済みのことに過ぎない。

「仰せのままに、お姫様」

 うやうやしい口調は執事の受け答えそのものだ。

「これ以上戯言ぬかしたら、その頭を蹴っ飛ばすわよ」

 少し本気でイラッと来たが、さすがに、まだ蹴りはしない。

 狭い艦橋内は全員に手が届きそうなほどに近い。

 砲撃手を三角形の頂点として、右側に機関手、左側に通信手が配置され、艦長は機関手と通信手の間の少し高い位置に操縦席が設置されている。

 その気になれば、砲撃手の頭を蹴り飛ばすことなど造作も無いことだ。

 それでも彼女が蹴らなかったのは、この訓練の成績によっては自分の人生が左右されてしまうからだ。

 今までの集大成となる最終訓練だけあって、教官たちに様々な角度から分析され、評価される。

 戦闘技術、指揮能力のみならず、苦しい状況の中で指揮官としてふさわしい立ち振る舞いを保てるかどうかも重要な採点項目の一つだ。

 訓練課程終了後に装甲駆逐艦の艦長に成れるかどうかは、真の意味で総合的に判断された結果によるものなのだ。

 その点については、一切の疑義も存在しない。

「おぅう、怖い怖い」

 シウバは首を竦めて茶化すのを止めた。

 クリスティーナだけではなく、リチャードまでも厳しい視線を向けていたからだ。

 彼はクリスティーナが艦長の座を射止めることを心から願っている。

 シウバは射るような視線を背中で受けつつ、お伽噺のように金髪の少女に忠実な騎士様リチャードに、嘲笑にも似た笑みが浮かび掛け、自制して表情を消した。

 そうすれば、真顔で任務に集中しているように見えるだろう。

「個艦防衛システム《CIWS》は演習用フランジブル弾を半装填済み。格納庫の無人機群スウォーム固定ロック確認済み。派手に動いても大丈夫だぜ、お嬢様」

 シウバが見た目だけは真剣になったと思えるような報告を追加したが、リチャードは聞こえるように嘆息を漏らした。

 クリスティーナの呼び名を、お姫様からお嬢様に格下げした事がシウバなりの妥協点らしい。

 だが、どう控えめに考えても挑発的だ。

 これでも彼には、本当に悪気がないのだから始末に負えない。

 リチャードはシウバが好きではない。それはシウバも同じだ。

 しかし逆説的に嫌いであるからこそ、お互いの手の内は理解していると思っている。

 三年近くにも及ぶ付き合いは、それなりの衝突もあったからだ。

 そういうことがあるからこそ、リチャードはシウバの言葉にクリスティーナに対する悪意は感じなかったし、事実、シウバに悪意はなかった。

 シウバはクリスティーナを嫌っていない。

 彼にしてみれば、自分の振る舞いこそ、男性が女性に行うべき立ち振る舞いと信じている。

 男は女を喜ばせるべきなのだ。

 それが勘違いと言われようとも、彼は変える気は無かったし、今までも変えたことが無かった

 当のクリスティーナは喉から零れてしまいそうな悪態をどうにか飲み込んだ。

 こんなところで感情的になり、ミスを誘発して成績を落としてはならない。

 そう心に念じる。

「10秒後に戦闘機動態勢に入る。各人、姿勢確認。戦闘呼吸、開始」

 クリスティーナは指示を飛ばしながら、身体を囲い込む形のシートにしっかりと背中を預けた。

 加速時に全身に加わるGを軽減するため後方に傾斜した背もたれの角度はそれなりにある。

 そうでもしないと宇宙空間で激しい戦闘機動を行う装甲駆逐艦で長時間の戦闘を行うことなど出来ないからだ。

 シートの右側面にある操縦桿を握り直し、左側面にあるスロットルの位置を確認して手を置いた。

 両方とも様々なスイッチが所狭しと取り付けられ、それを全て使いこなせば、戦闘中に必要な操作のほぼ全てが指先一つで出来るようにデザインされている。

 それから僅かな時間しか無いが精神集中のためにクリスティーナは目を瞑った。

 そうして思い返す。

 数えきれぬほど繰り返した操作の数々が同時に、閃きや瞬きのように浮かび、そして消えながら、少女の胸の内で自信に変わる。

「各人、姿勢点検異常なし」

 上官に余裕を持たせるために七秒でリチャードが艦長に伝えた。

 補佐役としての彼はとても有能だったし、僅か四人しかいない装甲駆逐艦である。

 早く終わるのも当然だった。

「機動、開始」

 静かに目を開いたクリスティーナの声はひどく落ち着いていた。

 彼女は操縦桿を握る右手を微かに動かすと、槍の穂先のような形状をしたリバプール級装甲駆逐艦〈ブルー634〉は素直に指定された座標へと艦首を向けた。

 シュエメイの報告通りに仰角を執らせるとほとんど黒一色だったスクリーンに月の大地が映り始めた。

 クレーターが目立つ月の大地が下方向からせり上がるように見えると、そこで初めてスピード感が戻った。

 地形を視認することも出来ずに流れ去る月の地表が、彼らが乗る駆逐艦の速度を嫌が応にも実感させた。

 それもそうだ。

 彼らの駆逐艦は既に秒速2キロを優に超えている。

「メインスクリーン、ビジュアルモードを視界外戦闘BVRに固定」

「了解」

 クリスティーナの指示にシュエメイが即答。

 暗い宇宙を映し出すだけだったスクリーンは瞬時に様々な記号と数字、姿勢儀や火器管制が表示した。

 暗い宇宙空間しか映っていなかったスクリーンに緑や赤の記号と符号が舞う。

 僚艦の位置を確認して、自艦の速度を調整した。

 最終訓練は単艦行動だけで評価されるのではない。

 そして、操艦の腕は艦隊行動の時にこそ、より顕著に出る。

 クリスティーナの操るブルー634が3隻の僚艦と横一列の横隊を作り終わると、それを見計らったように音声通信が入った。

 モニターには生涯忘れることなど出来そうに無い女性教官の顔が小さいウィンドウの中に映し出された。

『――無線確認。こちら航空母艦<マハ・ジャジール>戦闘指揮所CIC、岩本だ。聞こえた艦は感明送れ』

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