クリスマスと、それから
クリスマスと、それから - 左手
アルバイトを入れに来た。
外は雪だったので、スカートの下に暖かいもふもふしたペチ。
クリスマスだからといって、私に予定があるわけではない。どうせ周りは予定あるんだし、ここは私がバイトするべきでしょう。
「え、バイトのシフト?」
店長。器用に皿を洗っている。義手とは思えないほどの、器用さ。光る左手の薬指。
「はい。明日と明後日入ります。フルタイムで」
「え、優胡ちゃん何言ってるの。24日と25日だよ。クリスマス」
洗っている手首を、眺める。こうやって見ていても、どちらが義手なのかは分からない。聞くこともできない。同僚からなんとなく噂を聞いただけ。
「はい。クリスマスだからです。予定ないんで」
「いやいやいや。優胡ちゃん、予定も何も、明日と明後日は休みだよ」
「えっ」
休み。
「クリスマスだもん。休み休み」
「え、だって、店にも人が」
「来ないよ。食材も仕入れてないし、予約もない」
うっそでしょ。
「パスタの下ごしらえ、しちゃったかも」
「あ、それはいいの。使うから」
どういうことだか、分からない。
「予定がないならさ、明日の夜、ここに来てよ。みんな呼ぶから。パーティーしよう」
「けっこうです。店長は家族と過ごしてください」
「いやいや。家族いないから僕」
嘘をつくなよ。
何も言わず、そのまま店を出た。
雪の降る街を、とぼとぼ歩く。
イルミネーション。
「まいったなぁ」
クリスマスなのに、本当の意味で予定がなくなっちゃった。
「一日寝て過ごすのもなぁ」
生きている関係上何回かはSNSやラップトップを開く。そしてそのとき、世はまさにクリスマスという現実を見せつけられることになる。それがいやなら、目を閉じ耳を塞いでひたすらお布団のなかで眠るしかない。
好きな人は、いる。
ただ、手に入らない。それだけ。
アルバイトしてるレストランの、店長。
年齢も名前も、知らない。どうせ付き合ったりすることはないのだから、最初から知らないほうが得だった。似た名前の人を見るたびにいやになるのなら、最初から知らないほうがいい。
左手の薬指。指輪をしている。
料理や皿洗いをしているときに、きらっと、光る。
「アルバイト、やめようかな」
口に出して呟く。それでも、きっと私は、やめられない。好きな人のところに、いてしまう。そういう人間だった。
家族がいない。
物心ついたときから、ひとり。
自分ひとりで生きていく関係上、ごはんを作ってくれる人を好きになるのは当然の流れだった。
それでも、自分の初恋が、まさか妻帯者になるなんて。
自分の倫理観と節操のなさだけが、ただただ切ない。
歩く気すら、なくなってしまった。
イルミネーションと雪の真ん中で、立ち止まる。
街。
静か。
雪と光だけが降る交差点。
人通りも車もない。みんなきっと、家族や恋人と過ごすんだろう。
私は、ひとり。これまでも。そして、これからも。
家に帰ろうとする、その一歩が、踏み出せなかった。このまま、雪とイルミネーションに融けてしまいたい。
恋心もクリスマスもすべて忘れて、ただ降り注ぐだけの光や雪に、なりたい。
しゃがみこんだ。
つかれた。
もう、つかれた。
歩けない。
「あ、いたいた。優胡ちゃん」
遠くから。声。
いるはずのない、店長の声。
「幻聴聴こえてきた。はやく帰らないと」
立ち上がった。
「いやちょ、待って。待って優胡ちゃん」
声。
幻聴じゃない。
振り向いた。
店長。
「明日の夜がだめなら、昼でもいいよ。僕は朝が弱いから自信はないけど、朝でも」
「なんの話ですか」
「パーティー。明日と、明後日の」
「いやです」
「えっ」
「私、ひとりで過ごすので」
「なんでさ。ひとりは寂しいよ。僕もひとりで寂しい」
「なに言ってるんですか。指輪してるくせに」
「指輪?」
「話はそれだけですか。じゃあ。帰ります」
「待って」
伸ばされた腕を、払った。
左手の薬指。指輪。
飛んでいった。雪の中に落ちる。
「あっ」
「あ、ごめんなさい」
瞬間、ものすごく、自分がいやになった。厚意を振り払って、指輪を雪の中に。私は、なんてだめな人間なんだろう。
「探します」
「ああ、大丈夫大丈夫。気にしないで。家に帰れば予備があるから」
「でも」
店長。左手をひらひらしている。
「あっ」
左手の薬指。
ない。
指輪ではなく、左手の薬指そのものが。ない。
「え、うそ」
「そっか。優胡ちゃんに見せるのは初めてだね。そう。義指なんだ。左手の薬指」
義手ではなく、義指。
「じゃあ、指輪は」
「そっか。指輪に見えていたのか」
店長。存在しない左手の薬指を、眺める。
「義指の繋ぎ目だよ。指輪じゃない。そしていま、君がなんで僕と仲良くしてくれないかが、わかった」
「あ」
「僕、君のことが好きだったんだけど、君にその気配がなかったからほとんどあきらめてたんだ。そっか。義指の繋ぎ目が指輪に。そっかそっか」
「行きます」
「え」
「パーティー。行きます。なんなら、今からでも」
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