三十四章



 烏薄うはくが手招きするのに気がつき、跿象としょうは足早に近づいた。森の向こう、霧の中を恐ろしい速さで近づく影がある。

 物見窓から領門を臨み、声を張る。


「開門‼」


 風のような馬影は止まることなく外門、内門、城壁へと駆けてゆく。


「当主が戻られたぞ!」


 待ちわびていた主の帰還に次々と歓声が上がった。



 半月ほど前。珥懿のめい十三翼じゅうさんよく万騎はんきの混交部隊五百を預かり、領地に帰還した侈犧しぎはまず南の甕城おうじょうに立て籠っていた跿象らを解放した。敵は守備に残していた兵のうち十数人と耆宿院きしゅくいんの院士、院塾生がおおよそ百と大多数を占めていた。珥懿たちが出兵してしばらく後、伴當はんとう監老かんろうのみで合議を行っていたところを突如包囲し、急襲。重臣たちは帯剣していないところを襲われたが叛逆者たちに応戦し、さらに争いは城内に拡大した。多くの者が死傷したなかで丞必しょうひつもまた深手を負い、珥懿と姚綾ちょうりょうに鳥を飛ばした直後に捕らえられたのだった。

 戦端、残っていた数少ない伴當を叩かれたものの残りの者が善戦し、城を奪い返したが孤立。街への連絡も遮断され、城を明け渡すよう要求されていた時分に侈犧軍が到着し鎮圧した。さらに騒動の状況を知った民が耆宿院に抗議の波をつくり、形ばかりの平定を呼びかけていた大耆たいきがやっと重い腰を上げ、叛乱した院士たちを説得した。





「おう。早かったな」

 丈の短い褲褶きものを着ている姿など久方ぶりに見た、と侈犧は笑う。

「おかげで良い駿馬しゅんめを使い潰した」

 珥懿は佩刀はいとうの柄に手を預けた。房を見回す。

「これで全てか」


 耆宿院の立つ丘の中腹に付属した牢房、もとは畜舎で屋根付きの広い空き地には埃だらけの院士と院生が縄を打たれてうずくまっている。

「ああ。街のもんが抗議してくれたおかげで、後半は意気を削がれて世話なかった。しかし、院士だけじゃなくまさか十三翼の中にまで敵がいるとは思わなかったぞ」

「私も信じたくはなかったがな。――裏切り者は」

 侈犧は頭を掻いた。「城だ。徼火きょうかがみてる」

 そうか、と珥懿は息を吐き、隣に控えた砂熙さきも顔を曇らせた。牢房を出て院内に移動する。広房ひろまの真正面、壇上で香を焚いている老婆を見据えた。


枯残こざん。貴様、狼煙のろしが上がるのが分かっていてなぜ止めなかった」

 大耆は憂うように小さな目を閉じた。

「……紅珥くじさま、もう三度目です。耆宿院の者がこうして乱を起こすのは。十三年前も、十年前もあなたさまは力で院を封じ込んだ。しかし彼等とて、決して好きこのんで同胞を討ったわけではありませぬ。私はただ十二分に話し合いを持って欲しかった、ただそれだけ」

「ほざけ。城のやり方が意に沿わぬからと癇癪でもって従わせようとしているのはいつもお前たちだ。私にも堪忍の限界というものがある。三度みたび刃向かってただで済むと思うのか」

 冷徹に言った当主に皺だらけの手を合わせた。

「私は彼らに賛成も反対もしておりませぬ。言いたいことがあるなら聞いてくれるまで粘るのみと言っただけでございます」

「耆宿の長であるお前が放任し静観を決め込んだのなら、それは立派な同調であり扇動で大罪だ。――追って沙汰を出す。天寿は全う出来ないと思え」

「無論、覚悟は決めておりまする」

 みなまで聞かず、珥懿は身をひるがえした。



 城の走廊ろうかで介添えの手を借りつつよろよろと歩く人影は主の気配をぎ取り微笑んだ。

「戻られたか」

「大事ないか、烏曚うもう

「脚を刺されたが、なに、大したことはない。不在にこんなざまになって情けないことじゃ」

「養生せよ」

 威勢の欠けた肩に手を置く。烏曚は頷いて頭を上げた。

斬毅ざんきは、一緒ではないのですな」

「――ああ。まだ知らせていない」

 烏曚はさようか、とだけ呟くと黙り込んで去って行った。それを見送り、珥懿ら三人はいつもの大広房おおひろまの門扉を開けた。



 扉のすぐ脇には監老の夭享ようきょう老茹ろうじょが悄然として立っている。中央には鎮圧した兵たちに見張られ鎖に繋がれた一団が集められており、物音に一斉に振り返った。ついこの間まで同胞として共に戦った朋友たち。彼らは顔の筋を微動だにさせない主をみとめると、一様に怯えて俯いた。


「申し開きを聞こうか。――お前」


 適当に指された一人がわなわなと唇を震わせた。それでも、口を開く。

「……当主は、独断に過ぎます」

「私の、どこが。――次、お前」

 横のひとりは果敢にも睨み上げた。

「耆宿をないがしろにして常日頃嘲笑している挙句、諫言かんげんを受け入れず、一族の不和を先頭きって招いているのは当主でございます!お陰で配下の私たちまでざまに言われて、仲の良かった院士とも疎遠になりました」

「己の問題を私に転嫁するのか」

「原因を作っているのは貴方様です!当主だけじゃない。伴當も、僚班りょうはんも、万騎も。代々の当主は耆宿院とは一線を置いていましたが、決していがみ合ってはいなかった。それが、先代の頃から伴當の専横が酷くなり、果ては垣根を越えて泉国と同盟など、ありえない!」

 そうだ、と叛逆者たちは口々に言い立てた。

「我らをどこにお導きになる。少しは下々の者の意見もお汲みくださればよろしかったのです!長年仕えてきた我らを遠ざけて小家の者を重用し、万騎に砂人さじんなんかを加えて、当主はあまりにしきたりを軽んじすぎる!」


 光線が走り、少し遅れて剣が鞘走る音が響いた。空間が無音に包まれる。


 わめいた一人の喉元に刃先を突きつけた珥懿は皆が聞いたこともない低い声で呟いた。

「よく回る口だな。その舌切り取って失った者たちに継ぎいでやりたいくらいだ」

 声量は小さいのに鼓膜に突き刺さった。広房にいる誰もが殺気に気圧けおされる。こじ開けられる。。剣先に当たった喉が生唾を飲み込んだ。


「なあ、貴様」


 六感全てに畏怖を植えつける言葉が恐慌をあおりながら響く。


同胞はらからに裏切られる恐怖がどれほどのものか、貴様に分かるか。朋輩に刃を向けられた時の絶望の香りが、信じていた仲間に愛する者を目の前で惨殺される、それが忘れられない苦しみがお前らごときに分かるのか」

 鋒先きっさきは寸毫も動かない。それよりも鋭い眼光が叛逆者たちを射竦いすくめた。

「自身の行いの結果を省みようともせず、ただただ鬱憤を募らせて爆発させる理性の欠片もない豚ども。登狼とうろう登虎とうこの難関をくぐり抜け血反吐ちへどを吐いて一族へ忠誠を示したというのに、鍛えた力をこんなくだらないことに使うとはもはや救いようもない」

 珥懿は徼火に連れて来られた人影に呼びかけた。



「お前もそのうちの一人だったとはな――――芭覇ばは



 鎖を鳴らし膝をついたのは細身の男。青白い顔で主を見返した。

 珥懿は剣を向ける。額に青筋が浮かんだ。

「なぜ裏切った」

 芭覇は項垂うなだれた。体は小刻みに震え、色悪く変じた口から蚊の鳴くような声を発した。

「……当主は、そのたぐいまれなる聞得キコエの力を得る代わりに、大切なものを失っておいでです。稀代の速耳はやみみ、全方位の風を読み、九天の星を総覧し、砂粒の音まで聞き分けるほどの冠絶なる才をはやし立てられ、王よ主よと崇められてまるで飆風つむじかぜのように一族を高みに押し上げていくさまは、理解し信じる者たちにとってはそれは良い気分だったでしょう。……では、その風に上手く乗れない者たちは、一体どういて行けば良かったのですか。しもべども全てが、当主の一を聞いて十を知れるわけではない。それを察せよ測れよ、とにかく信ぜよといくら言われても、追いつけない者は必ずいるのです。それは兵たちに限らず、やがては民にも不信の種になります。現に、四泉との同盟を憂慮する者は少なくない。しかし今後もただ盲目に当主に従うだけでは、肝心の貴方が道をたがえた時には共倒れになる。牙族は、いちどそのあるべき姿を見直すべきだと思ったのです。そして、今がその時なのです」

「お前も私が弱き者たちを無視して独裁をいていると言いたいのだな」

「貴方様は、皆の当主という存在は崇敬すべきものであるという感情を利用して我儘勝手に権を奮っているだけです。私は……認められません。まだ先代のほうが慎ましやかだった。出来ることなら、先代にお仕えしたかった!」

「要するに、自分たちの思い通りになる人偶にんぎょうが欲しかっただけではないか。不満であれば自らが当主に立てば良かったのだ。お前たちは我を通せないのを当主が全て悪いと当てつけているだけだ。実に馬鹿らしい」

「なぜお分かりにならないのですか!我らはこんなにも、一族を想って尽くしてきたのに!」

 珥懿は嘆息し、剣を持ちなおした。

「今回も、二泉の手を借りたのか」

 芭覇は怯んだ。

「どうなんだ。耆宿に渡した武器はどこから調達した」

「私は……あずかり知りません」

 ほう、と再び殺気立つ。

「裏は取れている。二泉の銅興関を出て東まわりの抜け道から、驟到峰と泡丘ほうきゅうの監視の目を盗みたびたび物品を持ち込んでいたのだろう。見返りにお前は何をした」

 芭覇は大量の脂汗をかいた。

「わ、私は、ただ指示に従って武具の管理をしていただけで、本当に分かりません」

「二泉と交戦したおりに東門を開けたのも取引か」

「それは違います!間違っても民を失わせるつもりは毛頭もございませんでした!二泉は、民は泉賤どれいにするから殺さないと言っていたのです!なのに火矢を放って殺戮し我らをあざむいた!」

 珥懿は彼の襟首を掴んで引き寄せた。人離れした美貌は今この時ばかりは悪寒を生じさせる。魔夢を誘う唇が奈落の底へと突き落とさんと囁いた。

「お前が殺したんだよ」

「違います!違います!」

「何が違う。自分の子と同じほどの幼き者たちを血溜まりに浮かせた罪はお前にある」

 呻いた芭覇は顔を歪め、瀑布たきのように涙を溢れさせた。

「殺されはせずとも、民が奴婢になることは甘んじようと思ったのか。お前は何を約束されていた?王侯のような生活か?死ぬまでに使い切れないほどの宝か?もしや、二泉で厚遇してやるとでも言われたか」

 声をあげて泣き始めた。珥懿は男を放り棄て、冷めた目で見渡した。

「よもやこんな愚か者どもを私の大事な翼たちに紛れ込ませていたとはな。目先のことしか考えられないお前たちに一族を担わせることはもはや出来ない」

 他の叛逆者たちは一様に青い顔をして牢へと引き立てられていった。



 さて、と珥懿は剣を収める。

「これまでに起きた一連の謀叛、今回の決起の時機、そして四泉主をおりよく奪取出来たこと、それらが二泉の後ろ盾あってのものだと考えれば、全ての辻褄が合う。が、十三翼と耆宿院がいくら結託したとしても妙に具合が良すぎる。芭覇、お前は嘘をつくのが元来下手だ。上からの指図を受けてはいたが誰からなのかは把握していなかったというのは信じてやろう」

 石床に倒れ込んだほうは涙溜まりをつくりながら頷いた。

「とはいえ毎回の合議に出ていない院士らが詳細に城の動向を把握するのは無理がある。監老は逐一報告していたようだが、それでも限界はある」

 夭享は弁明の為に口を開いたが手を振られた。

「お前は耆宿院に都合よく利用されていたにすぎん。それで、丞必と調べても尻尾を掴めなかった私はある賭けをした」

 その場にいる全員が互いに顔を見合わせた。

「それは?」

 侈犧が問うて、珥懿は腕を組む。

「四泉主だ。内通者が二泉と密に通じていると仮定するならば、当然あちらが今もっとも欲しがっているのは沙爽の身柄だ。つまり裏切り者は桂封侯とも繋がっている。思った通り我々の不在を突いて桂州と連絡を取り、沙爽を拉致させた。私はあれがさらわれるのならば、必然に、真の敵が誰であるのかが明らかになるようにした。とはいえそのことは敵も了解した上で動いたようだがな」

「どういうことだ」

「沙爽を隠匿していたのは城の地下、ただの僚班ではその入口さえ知らない。あれの居処を易々と見つけ、脱出の為の抜け穴さえも知っているのは代々の当主と限られた者だけだ」

 徼火が驚きに目をみはった。

「当主…って」

「そうだ。そして我々にとって当主とは一人ではない」

 砂熙が拳を握った。

彩影さいえい……」

「私には三人いる。私と全てを共有した片割れが」


 翡翠ひすい屏風へいふうの裏で悲鳴と怒号があがった。



「よせ!えん!」



 なだれるように躍り出たのは面紗ふくめん姿の三人、当主の替身ぶんしん、城の全ての情報を知るもう一人の珥懿たち。

 首を羽交い締めにされたせんがくぐもった声で憎々しげに吐き出した。

「この、卑怯者…………‼」

「なんとでも言え」

 超然と刃を向けるのは炎、その目は静かに一同を見渡した。ぴたりと珥懿と視線を交わらせる。

「……いつから気づいてた」

「さてな。しかしお前が歓慧を嫌っているのは薄々分かっていた。どんなに親しそうに呼んでもだ。だからもしやと。お前は自分が思っているより隠すのが下手だ」

「……黙れ」

 茜の目下から垂れた布が鋭利なものに当たって裂けた。

「炎、なぜこのようなことを……」

 たんが状況をまだ信じられず問いかける。炎は珥懿を見つめたまま動かない。

「お前が二泉の為に尽くしたところで、十分な見返りがあるとは思えない」

 すると、はっ、と笑って馬鹿馬鹿しいと丹を横目で睨んだ。

「俺が二泉のために?なぜそんなことしなきゃならん。俺はそんなもののためにそむいたんじゃない」

「なぜ。物心つく前から当主と双子のように育ってきたお前が」

「だからだ」

「だから……?」

 ああ、そうさ、と炎はさらに睨んだ。


「俺はかつてヒョウに食い尽くされ断絶したはん家の生き残りだ」


 周囲が予想もしなかった発言に驚く。砂熙が混乱して助けを求めるように皆を見た。

「うそ……でも……蕃家筋の生き残りは蕃淡はんたんだけで……」

「あれはもとは分家の小倅こせがれだ。俺は本家の六男ではあったが、大人かとくが外で血筋も分からない女に産ませた日陰者だ。たまたま年近く生まれた紅珥の白生はくせいに選ばれて城で育てられた。そしてまだ幼い妹とあのわざわいを生き残った。だから、蕃本家が断絶したというのは真っ赤な嘘だ」


 茜も丹も息を飲んだ。彩影は過去を捨てて当主に仕える。互いに身の上話などしたことはなかった。


「あの日はちょうど七曜しちようで、俺は許されて土楼じっかの妹に会いに行っていた……一家の訃報を聞いたのは城に戻った夜だった」

 忘れもしない、と吐き捨てた。

「俺は蕃家を継がせてくれと先代や伴當たちに頼み込んだ。でもそれは叶わず、俺は引き続き白生として生きることを強要され、まだ五つだった妹は土楼を追い出され耆宿院に預けられた。身寄りのない妹は院で腫れ物扱いされて育ち、今じゃ妓女になって春をひさいでる。城の由歩たちが、俺と妹の人生をめちゃくちゃにしたんだ」

「だからお前、よく妓楼に」

「それしか会う方法がないからだ」

 炎は初めて突きつけた刃を揺らした。

「俺が行くといつも泣くんだ。独りは寂しく仕事は辛いと。俺はせめても七日に一度会いに行ってやることしか出来ない。血を分けた兄貴なのに、助けてやれない」

 歯を食いしばって珥懿を憎悪する。

「全て、紅家と城の由歩のせいだ。紅珥、お前の父と母が俺を白生にした。お前の義兄あにが『選定』を失敗して逃げ出したから俺は家を失う羽目になった!そして、お前も当主になって俺の全てを取り上げたくせして、のりを無視して能無しの妹を城に置き、あろうことか妓女に入れ込んで俺の妹あのこが出たいと声を枯らして願った忌まわしい苦界に足繁く通う。……なぜ俺が怨まないと思った?お前は俺の素性を誰よりも知っていたはずだ。なぜずっと彩影かげを務めさせた」

「私にはお前が必要だと思ったからだ」

「嘘をつくな!」

 片割れは唾を飛ばして激昂した。

「茜も丹も彩影に加わり、俺なんてもう不要だったはずだ!お前にはなんでもあった。権も、力も、支えてくれる仲間や妹も。俺には、何も無い。何も持つことを許されなかった……だから、俺は壊してやろうと思った。なにもかも崩れればいいと思った」

 侈犧が険しい顔をした。

「だから二泉に手を貸したって?征服されれば、お前だって泉賤にされてたかもしれんのに」

「だが妹とは一緒に暮らせる」

「それだって、今のまま方法がないわけじゃないだろう」

 聞いて可笑おかしげにわらった。

「紅珥は俺を解放する気がさらさらない。それに、俺は彩影だ。不言ふげんちぎりを交わし親しい者を持たず、影に生きてきた。生きる為のすべを持たない。もちろん、妹を連れ出して逃げることも考えたさ。でもなぜ何も悪いことをしていないのに逃げなきゃならん。俺も妹も不能渡わたれずで、由霧を旅するには命の危険が伴う。俺たちを不遇に追いやった者たちが栄えて、こちらが倍の苦しみを味わわなきゃいけないのはおかしいだろ?だから俺は逃げないと決めたんだ。どんな形でも、一族を潰す。そのために耆宿に近づいた」

 どうだ、と炎は珥懿を見た。

「少しは俺のことが憎くなったか?泳がせていたつもりだったろうが、俺は最初からお前とこうなりたいと思ってたぜ」

「お前はよくやってくれていた。だから思い直してくれるのを待っていた。憎いというより、残念でならない」

 片割れがそう返せば声を上げてひどく愉快そうに笑った。

「それはありがとうよ。じゃあ、ちゃんと俺を憎めるようにお優しい当主さまにもうひとつ教えてやる」

 剣を正面へ向ける。



「十年前、ぎょうさまを殺すよう耆宿院をそそのかしたのは俺だ」



 言うやいなや、炎は茜を突き飛ばす。そのまま珥懿の瞬速の居合いを受けた。しのぎから火花が散る。

 拮抗して小刻みに震える白刃を挟み二人は睨み合った。

「あれには、何の罪もない」

「いいや、あるね。――ひとつ、当主おまえの妹だったこと!」

 炎が力任せに払って突く。け反り避けた珥懿は胴を払う。

 軌道を読み飛び退さがって、ふたつ、と声を大にした。

「身の程をわきまえなかったこと!」

 激しい剣撃の応戦。珥懿に加勢しようとした徼火が侈犧に肩を掴まれた。

 ぶつかり合い、毛先を散らし合い、風を起こして間合いを取る。


「三つめは、いまだ暁さま自身が持っている」

「――――わけの、わからないことを、言うな!」


 撃ち据えながら、初めて珥懿が吠えた。ね飛ばされた炎は卓にぶつかって転げる。口中を切って血唾ちつばを吐き、拳で拭った。

「本人に訊いてみるといいさ。暁さまはお前が思ってるほど無垢じゃない」

 炎は屈んだまま鬼の追撃を鼻先にかかるすんでのところで受けた。全てを凍らす漆黒の瞳が彼を射る。

「お前ごときが歓慧あのこのことを分かったような口を利くな。殺すぞ」

「は。やっと怒ったか。お前も先代も、変に甘いところはそっくりだ」

 それに、と押し返す。

「当主のくせして、砂人の女ごときに骨抜きにされたのも瓜二つだな!やはり血は争えないか!」

 何かが外れたようにひときわ甲高く笑ったやいなや、またたきが終わらぬうちに屏風に衝突し、みどりの玉壁は倒れて粉々に散った。その上で呻いた顔に珥懿は剣を押しつける。赤い線が走った。

「……どうした。殺せよ。今までやってきたみたいに首をねろよ」

 いまや面紗は剣先に掛けられ吹き飛び、荒い息で仰向けにひっくり返り泣き出しそうに口を歪ませ、それでもせせら笑う。しかし、珥懿は答えることなく無言でしばらく見つめ、そしてふいと得物を退けた。炎は目をく。

「なんっ…」

 言いかけたところを逆手で持った鞘で容赦なく殴る。一瞬ののち昏倒しぴくりとも動かなくなったのをさらに黙って見届け、ようやく剣を収めた。



 しんと静まり返るなか、疲れたように上向く。乱れた髪を掻き上げ、珥懿は背を向けたまま後ろの一人に呼びかけた。



「ここまで見ておいて、まだ黙っているつもりか。老茹」



 思考の追いつかない間があり、追いついて絶句した間が満ちた。




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