洪猷狼煙
合澤臣
序章
深い森と
馬とそれぞれに騎乗した人も同様で、雨避けの外套は既に水気を含んでずしりと重い。しかし縦列に並んだ真中、少年は別の理由でも体を濡らしていた。
雫が
前を往く乗手が馬首を返した。
「――息を深くしてはなりません」
言われ、少年は微かに首を振る。震える手で手綱を握り直した。
「覆いも取ってはなりません」
「だが、苦しいんだ。あの水をくれないか」
額を押さえる。耳鳴りと
「
少年は前後のふたりをうらめしく見やった。平然と馬を進めている。本当になんともないのだな、と半ば信じられず、また、自分もこの毒に耐性があれば良かったのに、と悔しく思った。
この世界の――といっても少年の知る範囲での世界のことだが、大半の人間はこの瘴気に耐性がない。それで由霧のない大地、泉を
峠を一つ越え、一行は徐々に傾斜が緩やかになる峰を下る。目的地まで
さらにしばらく鬱蒼とした森を進み、少しばかりひらけた高台に出る。坂を登りきらないうちに先行していた男が前方を示した。「見えました」
少年は朦朧としながらも、眼前に広がる広大な平野に目を
少年の知る世界の西の果て、眼下には呆れるほど大きな牧草地が広がり、ちょうど彼らのいる側の平野を挟んで真向かいに沿って土地は再び傾斜している。その丘の上、遠目でも巨大に見て取れる黒い建物がどっしりと構えていた。
「……あれは……城か?」
「そう言っても過言ではありませんな。
後ろから追いついた男がやれやれと言うふうに息をついた。
「なんとか半月経たず由霧を抜けましたね、
少年は俯いた。「その呼び方はやめてくれ」
前の男が厳しい目を向けた。
「いつまでそうして固辞しているんです。ここまで来たのは一体なんのためか忘れたんですか。いい加減腹を括ってください」
少年は唇を噛んだ。瘴気にあてられ疲労した頭では、もう何を言い返す気力もない。後ろの男が前の男を
一行は牧草地を回り込んで続く道に歩を進める。平野を突っ切ればいいのではと言ったが、男たちは否と答えた。
「この先は既に牙族の領地です。前もって言っときますが、あいつらを同じ人だと思わんほうがよろしい。無断で領地に入り込んで生きて帰った奴はいないと聞きます」
「だが、別に塀や柵があるわけではないだろう」
境界を隔てるものはあたりには何も無い。
「なおさら
そんなものなのか、と少年はぼんやりと聞いていた。
再び坂を下りて進んでゆくと、突然森が開けた。木が除かれて見晴らしの良い
先ほど遠目で見た黒い城とはうってかわったみすぼらしいその柱には、様々な表情をした人の顔や草花、動物の紋様が彫り込まれている。風雨に晒されて劣化していた。
「これが
「のようです」
少年は族人がいないかと見回したが、周囲はしんと静まり返り、人どころか鳥一匹いない。
「取り次いでくれる者はいないようだ。このまま入って問題ないでしょう」
前の男が言いつつも、腰に帯びた剣の柄に手を添えるのを少年は見逃さなかった。それで柱の間にさらに延びる道へ、緊張した面持ちで踏み出した。
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