第五話 してみたい

「つ、つゆ……じゃなくて、雫はさ」


 彼女はぴょこっと跳ねた。まだ下の名前で呼ばれることに慣れてないのだろう。


「な、なあに?」


「どうして、でも俺の、彼女、になりたいの?」


「え? えっと……」


 女の子座りをする彼女は、太ももの間に両手を突っ込んで小さくなった。ワンピースも足の間に巻き込まれて、彼女の身体の輪郭が見えた。


 どんなに妖精に見えようと、人間の形をしてるから人間なんだよな。


「色が、見えるから……」


 妖精は小さくもはっきりと鼓膜を揺らす声で呟いた。


「い、色?」


 色が見えるなんて、別に俺じゃなくてもそうなんじゃないのか?


「私ね、ずっと前から目の病気で、あんまり色が見えないの。白と黒以外は、うすーくぼやけてるって言うか……」


「え。そ、そうなの……?」


 なんだそれ。そんな病気あるのかよ。


「全部灰色に見えるとかじゃないんだけどねっ……。しきかくいじょう、って言うらしいんだけど……」


「しきかくいじょう……え、じゃあ、雫の部屋がこんなに白いのは……」


「あ、白は、一番綺麗に見えるから。他の色にしてもさ、自分じゃ見えないし……」


 そうなのか……。じゃあきっと彼女の白いワンピースも?


「でもね」


「うん」


「拓哉君のこと考えると、世界に色が付くのっ。ぱあって、一気に。拓哉君は私に色くれる人なのっ」


 色のない妖精は笑顔で世界を彩色した。


「だから一日だけでも、一緒にいたいんだ」


「っ……」


 きっとそれは死ぬような病気じゃないんだろう。

 でも彼女にとっては、何よりも生きることに近いのかな。幸せって言うか、なんか、そういうの?


 俺はいつの間にそんな人間になったんだ……?





「え、でもさ。一緒にいるって、な、なにか、するの……?」


 ただ一緒にいるだけでいいみたいな感覚は俺はそこまでわかんないんだけど、女子はそういう感じなのかな。それとも、何か一緒にした方がいいのかな。


「あ、あるよっ。してみたいこと……」


 してみたいこと。


 彼女は勉強机からノートを取り出してきて俺の前に広げた。


「え、な、なんだこれ……」


 そこには彼女の綺麗な字で一行ずつの短い文が書き込まれていた。心なしかキラキラ光って見える。


「拓哉君と付き合えたら、してみたいなって思うこと。毎日ちょこっとずつ、考えて……」


 ま、まじかよ……。


 ページをめくって見る限り、50はある。


「ここまでが仮カノになれたらしてみたいことで、そこから先が、ちゃんと付き合えたら一緒にしてみたいこと。これからもっと、たくさんしてみたいこと見つけて死ぬまでに全部達成するの。それが目標かなっ」


 彼女はノートをぼんやりと眺めて幸せそうに微笑んだ。


 これを書いているとき、彼女にはどんな色が見えているんだろう。今日だけじゃなくて、その後もこんなにたくさん想像して……。


 あれ? これ俺、もう付き合うしかなくね?


「な、なるほど……」


 俺はとりあえず仮カノとしてしたいことの欄に目を向ける。


 下の名前で呼ぶ。クッキーを焼いて二人で食べる。


 これは、いつの間にか達成されてる。


「このクッキー、雫が焼いたの?」


「う、うんっ……」


 俺はまだ手をつけてないそれに視線を移す。


「食べても、いい?」


「い、いいよっ。美味しく出来てるか、わかんないけど……」


 皿に盛られたクッキーをひとつ口へ運んだ。サクサクとした食感だが焼き立てではない。今日の午前中は学校だったから、きっと昨日の夜から用意していたんだろう。


「うん、うまい」


「ほんとっ!? よかったぁ。クッキーなんて久しぶりに焼いたから……」


「こ、これは、俺のために用意、してくれたの?」


 彼女はこくりと頷いた。


「もし断られちゃったら、一人で食べるつもりだった」


 おいおい、マジかよ。めちゃくちゃ寂しい思いさせるところだったじゃん。色のついてないクッキーを一人でとか。


「そ、そっか……」


「ねねっ」


 肩に妖精が宿る。その指は開かれたノート指さして。


「私のしてみたいこと、一緒にしてくれないかなっ……?」

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