Chapter-1
演ずる、ということは。目に見えない存在との対話である、ととある人は言う。
その身に霊的存在を降ろして一体となり、彼らの持つ物語を辿ることで、その孤独と苦しみを慰め、鎮める。日本人である我々にとっては、能や神楽といった伝統芸能がなじみ深いだろう。
しかしながら、時に物語というものは、唐突に我々に牙を剥く。
今回は、私が都市伝説ハンターとして出会ったとある奇妙な演劇と、その物語を取り巻く謎について、皆様にご紹介することとしよう。
きっかけは、私が懇意にしている雑誌編集部に、いつものように舞い込んだ一通のメールだった。どこかたどたどしさの残るビジネス・メールに付けられていたタイトルは、こうだ。
『呪われた演劇「金剛石の薔薇」について』
正直に言ってしまおう。一目見た時、私は「またか」という諦観にも似た不遜な感情を覚えたことを記憶している。この文章を読んでいる諸君の中にも、その理由がよくわかるものがいるだろう。
というのも、「金剛石の薔薇」という件の演劇は、その筋の人間にとっては非常になじみ深いタイトルなのだ。
「薔薇」が最初に日本で紹介されたのは、1980年代の都市伝説ブームのさなか。低年齢層向けに廉価で発売された訳本から始まり、以降、雑誌への投稿ハガキ、チェーン・メールやインターネット掲示板向けの怪談話媒体を変え、今日まで語られてきた、いわば定番、お約束の類。
とはいえ、その方向に明るくない読者諸君の為、今一度そのお約束に付き合っていただくこととしよう。簡単に概要を話せば、以下のようになる。
「金剛石の薔薇」とは、19世紀なかばに実話をもとにして書かれたとされる一編の小説、およびそれを基にした舞台演劇だ。
物語は、主人公である少女リノアの父親が友人であった男たちの裏切りに会うことから始まっていく。
大銀行の頭取であった父親は、いわれなき横領の罪を着せられ投獄。令嬢であったリノアの生活は一変し、辺鄙な女学院で、罪人の娘として苦しい生活を強いられることとなる。父親の無罪を信じ耐え続ける彼女だが、父親は獄中で死亡し、悲しみに暮れる。
そんな彼女に手を差し伸べるのが、女学院に勤める一人の神父だ。
懺悔室でリノアの告解を聞いた神父は、神に仕える者としての禁を破り、彼女にとある手紙を渡す。神父がかつて俗世で仕えていた貴族の、隠し財産の在処を記した手紙を。
やがて、華やかなりし社交界に、一人の女性が足を踏み入れる。
「金剛石の薔薇」とは、その伯爵夫人……すなわち、成長した主人公リノアが、社交界の大物となっていた四人の裏切り者へ復讐を遂げるさなか、常にその身に着けていた精巧な薔薇のブローチに由来するタイトルなのだ。
――しかしながら、この「薔薇」は、演劇として公開された記録は一度たりとも残っていない。ここからが、都市伝説たる所以なのだ。
それは「薔薇」が世に出て数年後のこと。舞台劇として翻案された初演の、ゲネ・プロの最中に、主演女優が死亡したことに始まる。
彼女は、この物語の結末、すなわち霧の海へと消えていくリノアの姿を完璧に演じきった。地上8メートルの舞台装置から、ゲネ・プロの予定になかった身投げを行うことによって。
様々な憶測が飛び交ったことを、新聞などの資料が記録している。劇団の過剰な搾取や、恋人であった男にかけられた暴力の嫌疑。様々な
やがて市民は、一つの結論にたどり着く。それは、最も過激で、見る者の露悪的な感性を擽るのに足る噂話。
――主人公リノアの、呪いである、という結論に。
とある資料にはこうある。血の海に伏せる女優の傍らには、ともに地面へと落下した金剛石の薔薇が、血を浴びて真っ赤な花を咲かせていた。不自然にも傷一つないその薔薇こそは、小説のモデルとなった「侯爵夫人」が、実際に使用していたものである、と。
と、長くなってしまったが、コレが都市伝説「金剛石の薔薇」の概略である。呪われた演劇としての陰惨な逸話は、華やかな社交界の裏を描いた原作小説のイメージも相まっていつの世も人の心を惹きつけてきた。故に、私としては食傷気味でもあるということだが。
しかしながら、私は不遜なふるまいを諸君に謝罪しなければならないだろう。件のメールに、私は目を疑い、惹きつけられた。
簡潔に、メールの内容を諸君にお伝えしよう。
投稿者の所属する劇団は、注目を集めるために呪われた演劇の上演を企画していた、という。彼らは、より大きく耳目を集めようと初演で実際に使用された薔薇のブローチを入手し。
――「薔薇の呪い」を、目の当たりにしたというのだ。
そのメールは、このように締めくくられていた。
「都市伝説ハンターの力を借りたい」、と。
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