第9列車 国鉄時代何をしていたいのだろうか

列車に乗っていると時々、「国鉄時代に一人旅をしていたらどんなことをしていたのだろうか」と思う時がある。JRになって34年目、あと一年もすれば35年目というキリのいい数字でもありながら35年という長い歴史の節目にもなる。国鉄時代の全盛期では数多くの長距離特急列車、急行列車、寝台列車、路線などあった。函館から稚内までの急行列車や小樽から釧路までの普通列車、大阪から青森までの寝台列車や東京から大阪までの特急列車、こんな列車があったと言うのは今の中学生や小学生、さらに国鉄を知らない世代は知らないだろう。いや知らないのが当然だ。時間に余裕がない時代、航空機や高速道路、マイカーへと競わないといけなくなった時代でありながらも少子高齢化、人口減少とも戦わないといけなくなった。時代は残酷である、時代は進化し続ける、人間生きている限り何が起こるのか分からない。

 話はずれてしまったが、私が「国鉄時代に一人旅をしていたら」旅の風景の撮影や車内放送の録音、切符集め、列車内で駅弁を食べながら見知らぬ土地へ行ったり、その見知らぬ土地で特産品を買っているだろう。朝が来るまでは深夜に出発して朝方に着く列車に乗って日を越すに違いない。今は廃止になってしまった路線や列車に乗ることで思い出としても残る。列車として例を挙げるならば、私幼い頃から中学生の頃まで札幌12時30分発 稚内18時10分着、稚内13時45分発 札幌19時08分着の特急サロベツに何度も乗っていた。車両は国鉄型特急車両の3両編成で1号車、2号車は指定席、3号車は自由席となっており、当時は自動販売機もついていた。さらに自動放送がないので車掌放送が当たり前だった。5時間近くに渡る列車の長旅には疲れていたりして列車にいる大半は寝ていたのだ。

今となってはサロベツは旭川から稚内までとなってしまったし、車両も変わってしまったが仕方ないことだろう。老朽化などにも勝てないのだから。

このようにいつ廃止に分からない列車や路線を乗ったりすることで思い出が生まれるのである。私が一人旅はまだやったことはないが、もしやるならば乗ったことない路線、行ったことない街、乗ったことのない列車にも触れていきたい。まだまだ感染症は収束する気配は一向にないが、感染対策をしっかりしていきたいものではあるがそんなことができるのはいつになるのかすら不明だし、その度ができるのもまだ未定なのである。もし一人旅ができたら、旅の様子や心情などをここに記していきたい。





〜あとがき〜

最後まで読んで頂きありがとうございました、今回の作品はいかがだったでしょうか。この作品を好きになったり、満足をしていただけたのなら幸いです。

私は凄い時代に生きているものだ、感染症がここまで続くなんて誰が想像したのだろうか、ここまで広がるの予想はしていたがそれ以上の酷い状態である。私は文を書くよりかは喋ることの方が好きなのである、文を書くのは僕にとっては眠たくなる話である。喋ることだからこそ、誰かに何かを伝えたい、私の一言で誰かを救って行きたい、私の想いを伝えたいのであるがそれでも文を書き続けるのは、心の奥底で何かをやっていたい、僕の考えや心情が誰かに伝わって欲しいと思っているからやり続けられているのもあるが、何よりもこの「人生時々列車内」を読んで下さっている皆様がいるからこそ、本作品シリーズは続けられているのである。改めてここに感謝申し上げます。

2021年8月16日 無才能

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