第14話

 芥川・満さんからようやく依頼の本筋が語られ始め、空気に受領が増していく。


「テレビ、消しますね」


 ようやく、リモコンに手が伸びる。


 テレビからの音は途切れるが沈黙は生まれなかった。


 ボーさんが口を開く。


「神の怒り?」


「はい」


 短く、覇気のある返事だった。ここにはさっきドアの前に立っていた初老の男はいない。ヤクザのような雰囲気を纏った、老舗旅館の当主が俺の右前に座っているのだ。そして、憶さんに案内された神社は彼女の家系が管理していたことを思い出す。つまり、満さんが神主だ。だからって、こんなオーラ出るか、普通。今にも逃げ出したい。ただの大学生の俺がいちゃいいけない気がする。


「細かい話は置いておきましょう。長くなりますから。ただ、この島では〝ブコウ〟という神が島民から信じられ、信仰されております」


 ブコウ。その名は女湯から出るとき、靴を履いている最中に聞いた。そうか、神様の名前だったんだ。


「今回の一件、全部ブコウのせいだと思われていると」


「その通りでございます」


 ふん、とボーさんは鼻で笑う。


 だが、彼が笑ったのは島民の深すぎる信仰心ではないらしい。


 ボーさんは満さんにもビールを出すよう、俺に指示をする。こんなとき缶ビールを出すのもどうかと思ったので、満さんの前にコップを置き、冷蔵庫に元から入っている瓶ビールを注ぐ。彼は「すみません」と断りながら、口をつける。


 ここからは酒の席。


 もし誰かに聞かれていたとしても酔っていたで済ませられる。どこまで通用するかわからないが、意思疎通を取りやすくするお互いの共通認識のためにやるのだと、後にボーさんは教えてくれた。


「俺も、あんたの意見には賛成だ。人が死ぬ理由が神様の意思だとは思っていない」


 人が死ぬ理由が全て神の御意思だとすれば、この世から医者と裁判官と警察官と探偵の仕事は半分ぐらい必要なくなる。人が死ぬ──あるいは死んだ──理由を神の気持ち次第だと片づけられるから。 


「だがな、俺はそれでもいいと思っている」


 いいか、と彼は続ける。


「もし、今回の人死にが神様のせいじゃなく、この旅館の不手際だったとき。困るのはあんたらだろ」


 満さんはこくっと頷く。


 なぜ、満さんが困る?


 いや、それはわかる。亡くなった理由が人為的な事故だった時、その管理責任やらなにやらが降りかかってくるのは確実だ。そのせいで今後経営できなくなるかもしれない。


 普通の街でこんなことが起こったのなら、すぐに調べ上げられて、真実と責任の所在が明るみに出されるだろう。確実にテレビにも。さっきまで点いていたテレビにこの旅館が映るかもしれない。


「それなら、神様のせいにでもしておいたらいい。幸い、ここの島民はそう信じやすいみたいだし」


 そう、島民は神様を信じている。思えば、SNS女子たちが鳥居を破壊してしまったときもそうだ。あのとき、島民の誰も近づいて来なかったのは、彼女たちを非難していただけじゃない。壊れた鳥居に近づいたり、触ったりすることに畏れていたのだ。いや、待て。なんで、死んだことがブコウとかいう神様のせいにされている?


「あの、すみません」


 二人が俺を見る。


 ボーさんは完全に仕事モードの目だし、満さんは満さんで目の奥が笑っていない。なんとか声を絞り、質問する。


「なんで、ええと、亡くなった人たちは神様を怒らしちゃったんですか、ね……?」


 話の流れでそんなことは否定されているのだが。だけど、島民たちがこの説を信じ切っている理由も知りたかった。


 それ相応の理由がないと成り立たないだろ。


 もう、半分ぐらい俺も気づいているけど。胃が押しつぶされそうになりながら答えを待つ。


「──港の鳥居と、当旅館の神棚を壊されたと、そう聞いています」


 教えてくれたのは、満さんだ。真実ではないが、そう信じられていることとして不服そうな声だった。彼はビールを煽り、グラスを空にする。


 俺の嫌な予感は当たった。それでも正気は保っていられたから、二杯目を満さんのグラスに注ぐ。一杯目のように泡はたたない。


 やっぱり、死んだのは、あのSNS女子たち二人だ。


 ロッカーの中を見たとき、そんな気はしていた。認めたくなかった。名前も知らない二人だけど、生きて、話をしている姿を知っている。昼前まで同じ船に乗っていた。手を伸ばせば触れられる距離にいたときもあった。確かに存在し、生きていたことを知っている人間だ。そんな人が、死んだ。胃がぺしゃんこになりそうだ。いつもこうやって俺は生きている実感を思い出すんだ。


 このことはずっと一緒にいたボーさんも今知ったはずなのに、平気な顔をしている。


 それも、違うか。きっと、彼はロッカーの中にあった服を見たときに気づいていた。だって、探偵だから。あの時点で気づいていてもおかしくはない。俺に教えてくれなかったのは優しさか。無駄なところで気を遣うな。結局知っちゃったけど。俺が訊かなきゃよかったんだな。わかっていたくせに、自分で首を突っ込んだ。


「そう、ですか」


 なんとか、喉から絞り出す。


 でも、これ以上この部屋にいられる気もしなかった。


 ここの空気を吸っていたら、肺に穴が空きそうだ。それに、今行われているのはボーさんへの仕事の話だ。部外者の俺がいるのもおかしい。


「外の空気吸ってきますね。ちょっと、酔いが回ってきちゃいました……」


 靴をひっかけて、スマホだけもって部屋を出る。ほとんど無意識に掴んでしまうあたり、俺も立派な現代人だ。


 人が死んだなんて嘘みたいに廊下は静かで、人っ子一人いない。


 もしかしたら、もう誰も気にしていないのかもしれない。


 神様のお仕置きってことにして、埋もれてしまうだけかも。


 掘り起こそうと望んでいるのは満さんだけ。


 あとは、ボーさんが飲むかどうかだ。


 俺が決めることじゃないし、関わるべきことでもない。


 とりあえず、一階に降りて、玄関を出る。


 雨は止んでいた。

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