第12話

 靴を履いていると、暖簾の向こうが騒がしくなっていた。


 揉める、というより同調によって盛り上がっていく雰囲気だ。だけど、風船の中に熱いガスを注ぎ込んでいるような盛り上がり方だ。あまりよろしくない。


「──を壊すなんて」「酔っぱらって壊したんじゃないのか」「なんて罰当たりな」「そう言えば、──も一つ」「それ、私の母が見たと言っていました」「じゃあ、今回のは」「ああ、ブコウさまの罰だ」


 何の事を言っているのかわからなかった俺とボーさんが、後ろで順番待ちをしていた大宮さんたちを見ると、彼ら警察官は若干気まずそうな顔をして、


「申し訳ございません。今回の件は、どうやら解決したと思われます」


「は?」


 声が出たのは、俺よりもボーさんだ。そりゃそうだろう。依頼──正式には頼まれていないけど──してきたのは彼らだ。 


 その彼らが、解決したと告げたのだ。まだボーさんは調査結果について一言も報告していないのに。


「それならそれで構わないけど。どうしてそうなるんだよ。俺が調査してる後ろで、あなたたちか何かわかっていたなら、それは筋が悪いってもんだ」


 そっちの仕事を手伝ってやったんだから、俺にも教えろとそう言うことなのだろうが、ボーさん、あんた適当に終わらせるって言ってたろ。あんたこそ筋が悪いよ。


 まあ、俺も気になるところではあるので、ボーさんに同意するように頷いておく。


「いえ、それはですね……」


 ここで初めて、大宮息子が口を開く。こちらも、父親に似てかなりの大男だが、歯切れ悪く口ごもりながら、


「まあ、その、この島にはブコウ様という神様がいらっしゃいまして」


「それで?」


「漏れ聞こえた声から察しますに、亡くなられた方々は神棚と鳥居を壊されてしまったようで」


「それとこれと、関係あるって?」


「あるかどうかは、その、ハッキリとお答えできませんが。本州から来られたお二人もバカバカしいとお思いでしょうが……」


 どうやら大宮父子の方でも、説明された状況に対しての俺たちの感想と一致しているらしい。屈強な男が肩を落とし、腰を曲げている。


 ボーさんも彼らに言ったところで何も変わらないと「ああ、そう。だいたいわかったよ」と切り上げてしまう。


 こちらの追及が終わると「外の人たちには私たちから伝えておきますので」とそそくさと出ていき、二言三言で解散するよう指示している。


 入り口の前に集まっている人たちにどういう顔をして出ていけばいいのか。呆れた顔のまま出ていくわけにもいかなかったし、正直助かるところではあった。


 残っていたのは旅館の羽織を着ている若い男だけだった。


「お休みのところ申し訳ございませんでした。お部屋に寝床の準備をさせていただい

ておりますので、どうぞ今夜はゆっくりお休みになってください」


 その場から騒ぎの気配はどこかへ行ってしまっていたし、その人もいやに冷静だった。大宮息子の言う通り、解決したのか。それにしたってこの引きはなんだ。俺たちが女湯に入っていくころや、今の今まで盛り上がっていたのに。


 憶さんの姿も見えなかった。彼女はここの娘だし、明日から、いや、この夜からどうしていくのか話に付き合わなければならないだろう。それでなくとも、生家で人が死んだのだ。亡くなったのが赤の他人だとしても、彼女の中で整理する時間を求めるかもしれない。


 部屋へ帰ると、蒲団は並べて敷かれていた。だけど、敷かれていたのは海に面した部屋で、テレビや机のある部屋はそのままくつろげる。

ボーさんは俺が買ってきたビールを冷蔵庫から出し、プルタブを開けた。閉じ込められた炭酸が飛び出す音が響く。俺も続いて、缶チューハイを取り出す。プルタブを開けて、掲げて、突き合わせる。


 ぶつかったのはアルミ缶どうし。今度は気持ちのいい音はならない。 


 テレビをつけてみるが、温泉旅館で女性二人が亡くなったニュースはどの局も取り上げていなかった。


「明日には取材が来るかもな」


 俺は頷く。


 若い女性が二人。湯に浸かったまま亡くなったのだ。話題性には十分だ。


 そうなると、心配なのは憶さんの今後だった。


 ニュースになれば、当然、芥川旅館の名前もでる。もし、彼女の名字が【芥川】で、そして、大学での友人たちが、彼女の実家が旅館を経営していることを知っていれば。憶さんはどのようにして新学期を迎えるのか。


 俺が心配することでもないし、したところでどうすることもできないのだが。より良い方向に流れてくれれば願うことならば簡単だ。


 明日、この村を出るまでに時間があれば、あの神社へ行ってみようか。都合のよいときだけ神様に頼れるのが日本人の特権だ。


「よかったですね、解決して」


 テレビでは男性アイドルが身体を張って泥沼に突っ込んでいる。名前は知らないが最近露出が増えてきたアイドルだ。ついでに曲は一曲も知らない。と、思いこんでいるだけで、実は知っていたりするもの。


「腑に落ちないけどな」


 ボーさんはイケメンが泥に落ちていく姿が面白いらしく、薄く笑みを浮かべている。


 セリフと表情がかみ合っていない気もするが、彼は続ける。


「人が死んだことに驚く。これはわかる。その場にいた探偵に調査を依頼する。アニメの観すぎだろと思うけど、これもわかる。死に方に違和感があるからな。ここまでのこと、全部わかる。俺に頼んだ経緯はだいたいな」


「そう言えば、ボーさんが探偵だってどうして知られていたんですか?」


 バレなければ、それこそ休暇のまま過ごせただろうに。


「それは俺が言った」


「は?」


 どうして?


「俺も風呂入ろうとしたんだよ。そしたら、番頭さんの悲鳴が聞こえて。周りの人が

ぞろぞろ集まってきて」


「そのまま野次馬の一人として傍観していたらよかったじゃないですか。なんでわざわざ」


「気になってしまって」


「気になった?まさか、あんた、女湯の中が気になったとか言うんじゃないでしょうね!」


「手伝いとか言って付いてきたお前に言われたくねえよ!」


「手伝えって言ったのあんただろ!」


 それに、俺がまるで、日ごろから女湯に入りたそうにしているみたいに言ったこと忘れてねえからな。あの時の苦笑いだった憶さんの顔も忘れられないよ。女の子にあんな顔されたら、これから生きていく自信を失ってしまいそうだよ。


「そう思っているうちは大丈夫だ」


 仮定形だからね!まだ生きていく自信は失っていない。今まで、何度か失いかけたけど。そんなことを繰り返して、こうやって酒を飲めているのだから、案外俺は強いのかもしれない。できれば、辛い体験はもうしたくないものだけど。


「それで、いったい何が気になったんですか?探偵だって名乗ったら色々突っ込まれて休みが無くなることもわかっていたでしょう」


 探偵という人種は、これがまた頭が回る。自分の一挙手一動がどのように作用するか。そのことも計算のうちだったりする。このボーと言う男はかなり直感で生きている節があるけど。だから、今回のようなことになったのだろうし。


「俺が気になったのは、番頭が叫んでからの間だ」


「はぁ……。それは、第一発見者が一番怪しいと言うやつですか」


 事件の犯人は、第一発見者が一番怪しい。昔ドラマで提唱されていた説だ。もしかしたら、二時間ドラマの法則だったかもしれない。


「今回のはただの事故だよ。犯人なんかいない。だが、俺も最初はお前と同じ考えだったのかもしれない。隣の男湯で服を脱いで全裸になっていた俺まで聞こえる、番頭さんの叫び声。これは普通じゃないと、俺が服を着る。そして、出る」


「で、そのまま女湯へ合法的に入っていくと」


「どんだけ俺を出歯亀にしたいんだよ」


 あんたが言い出したんだろ、仕返しだ。確かにネタとしてはしつこいなと思っていたけど。侵入ネタはしばらくお預け。


「そして、ちょっと──体感的に一分ぐらいかな──してから番頭さんが慌てて出てくる」


 俺は、ボーさんの説明した流れを頭の中で再現する。


 叫び声が聞こえてから、全裸のボーさんが服を来て外に出て、プラス一分後に第一発見者が人のいるほうへ出てきた、と。


 おかしいことはない。もし、この一分が長すぎると言うならば、擁護のしようはいくらでもある。例えば、


「番頭さんも腰を抜かしたんじゃないんですか。温泉にいきなり死体が二つ浮いてたら驚くでしょう」


「まあな、そう考えれなくもないんだが……」


 ボーさんは缶ビールの最後の一口をあおると、握り潰し、ゴミ箱に投げ入れる。縁に弾かれることなく収まったのを見届けると、冷蔵庫から新たな一本を取り出し、再びプルタブを開ける。二口、三口喉を鳴らせば、それを閑話休題の合図とする。


「どのみち、今回のは不幸な事故だ。二人とも死んじまったのが奇妙といえば奇妙だが、偶然でしかないと言われたらそれまで」


 探偵が偶然で片づけるのはいかがなものか。真実を探求してこそだろと思うが、しかし、俺も偶然の力を信じているので強くは言えない。


「で、結局何が腑に落ちないんですか?」


「ああ、それはな──」


 扉をノックがボーさんの口を止めた。その音は遠慮がちの間を持って三回。だけど、もし俺たちが寝ていたとしても気がつけたほどに力強い。確実に、俺たちを呼び出すため。


 俺はボーさんと顔を見合わせる。


 上座、下座を気にしているわけではないし、この男に気を遣う必要もないのだが、ここでは俺が上座に座っていた。つまり、扉に一番近いのは俺だ。


 ボーさんが顎をしゃくって扉を示す。 


 出ろ。そういうことだ。


「はい」


 覗き穴を覗くことも、チェーンにかけることも面倒で、そのまま開く。


 扉の向こうに立っていたのは、白いワイシャツを来た初老の男だった。手には革のバッグを携えている。


 もちろん、面識はない。どこかで見たことがある気もするけど、記憶を探る間もなく男が喋りだす。


「夜分遅くに申し訳ありません。私、当旅館を経営する、芥川でございます」

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