第9話

 俺たちが旅館に辿り着いた際、なぜ同じ場所に、という疑問を抱く前に異様な状況に立ちすくんだ。


 人だかりができていたのだ。こんな大雨に関わらず、レインコートや傘をさした人たちが、それでも濡れることを構わず、門の前で中を覗いている。


 少なくとも俺たちは見物に来たわけじゃない。中に入らなければ、風邪をひいてしまう。


 人だかりをかき分けようとする俺を、憶さんが止める。


「こちらに裏口がありますから」


 彼女の手引きによって裏に回ってばかりだが、ありがたい。


 換気扇の生暖かい風を横切り、離れに建てられた家屋が彼女たちの生活スペースだと教えられる。


 また、旅館の真後ろには山がそびえており、これは俺たちがさっきまでいた山田と言う。


「待っててください」


 憶さんはそう言うと、家屋の中からタオルを二枚持ってきて、そのうちの一枚を渡してくれる。


「すみません、こんなものしかなくて」


 そのタオルには【芥川旅館】と刺繍が施されており、この旅館で使われていることがわかる。と、いうか、今日、自分が泊まる場所の名前を初めて知った。説明された気もするけど、きっと聞いてなかったな。俺が。


 この、【芥川】という姓。少なからず、俺にも関係があり、そして、ボーさんたちBB探偵事務所の面々とはかなり根深い因縁がある。だけど、それらは過ぎ去った話であり、現状には大きく関わらないのでまたの機会に語ろうと思う。なにより、語るべき事態に俺は関与していない。少なくともこの島にいる間は、ボーさんが口を開くまで話をするべきではないだろう。きっと、彼が懐古することもないと思うが。


 そして、大事なのは今だ。


 タオルで濡れた髪をある程度乾かし、滴っていた雨水を潤い程度に収める。

どうやら騒ぎの元となっているのは大浴場の離れのようで、俺と憶さんはその場に急ぐ。


 男湯と女湯に分かれる入り口の前に人だかりができている。だが、その規模は旅館の前に比べればわずかなもので、旅館の羽織を着た者と、警察官が数人ずつ、それにボーさんがいるだけ。


 浴衣をだらしなく着崩したボーさんは俺を見つけるなり、


「おぉっ、良いところに来た!横の女の子なに?ナンパでひっかけたの?お前、いくら部屋いっぱいあるからって俺のいるところでおっぱじめるなよ!」


「いや、これはその……」


 勢いで反論するのも面倒なので、ボーさんが寝ると言ってからの行動逐一説明した。時間はかかるが、後からの面倒は少ない。


「ふん、お前は身の潔白を説明したいつもりかもしれんが──まあ、いい。この話はあとだ。そんなことより、お前も説明してくれよ。今日の俺はオフだって」


「は?」


 ボーさんの要求と、この状況が結びつかず困惑する。なに、厄介ごとに巻き込まれた?


「ボーさんの本職は盗聴盗撮。女湯からブツが出てきた時点で言い訳できないから諦めてください」


「今それ言うなよ!」


 否定しろよ。


 後ろの方々も困惑しているし、警察の方ももう一回見てこいなんて指示出してるし。おっと、これが最近流行りの「俺、なんかやっちゃいました?」ってやつかも。


「余計なこと言いやがって」どうやら俺はボーさんを不利にすることを言ってしまっ

たらしい。まあ、身から出た錆なので受け入れて欲しい。


「あのな、」 


 ボーさんはひどく面倒くさそうにぼやく。灰皿があれば煙草を吸いだしそうだ。


「ここで、死体が出た」

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